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2019年08月の日記
2019年8月13日(火)

 昔々、正確には1982年4月に『月刊タウン情報かがわ』を創刊し、「香川の若者文化をルネサンスさせよう」という思い上がった目的を掲げて香川県内の文化芸術からスポーツ、飲食、さらにはビジネスシーン等々で埋もれながらもゴゾゴゾとうごめく若者たちを発掘していた頃、当時都会では話題になりつつあったが香川ではとんと噂を聞かない「パフォーマンス」なるものをやっていた「ビニール解体工場」(何という素敵なネーミングセンス!)というグループなのか個人なのかよくわからないパフォーマーの「DEKU(でく)」さんという人物に出くわしたのである。

 当時、私がまだ26才か27才だったからDEKUさんはまだ20代前半だったと思うが、そこでDEKUさんと何かよくわからないけど意気投合した私は、「何かおもろいもん書いてね」と言って『タウン情報かがわ』の本誌1ページをDEKUさんに提供し、「DEKUのパフォーマンス講座」という連載が始まった(後に「ビニール解体工場通信」に改称)。

 その後、DEKUさんは本誌主催の「かがわ4コマ漫画大賞」で発掘されたこれまた奇っ怪なパフォーマンス少年の「詰沢脇市」(本名ではなく、これまた語源すら想像できない奇抜なネーミング!)を仲間に引き入れ、さらにうちの副編集長だった西岡聖子(通称ポコ西岡)も引きずり込み、「ビニール解体工場」は複数人のパフォーマンス集団として『タウン情報かがわ』主催のいろんなイベントやラジオ番組にも出始めたのである。

 といっても、当時の「ビニ解」のパフォーマンスは、河原町駅前の噴水の中に入って黙々と風船のような物(具体的に何であるかは書けない)を大量に浮かべ続けたり、真夜中の人っ子一人いない津田の松原の松の木に縦横に縄を張ってその間を飛び跳ねながら走り回ったり、トキワ街の人混みの中で突然ミカンをばらまいてそれを拾おうとした通行人に「こらっ!」と怒鳴りつけたり、とにかく一般ピーポーには理解不能なものばかり(ちなみに、私が1980年代に香川県主催の「香川芸術フェスティバル」で大駱駝艦の「羅生門」、白虎社の「ひばりと寝ジャカ」、大駱駝艦の「海印の馬」、金沢舞踏館の路上パフォーマンスと4年連続「暗黒舞踏」の公演を招聘して当時の香川で暗黒舞踏を最もよく知る男となったのは、当時のDEKUさんからの情報がきっかけである)。

 一方、ビニ解の音楽も、オルタナティブというかパンクというかインダストリアルというかノイズというか、これまた厄介で難解なものばかりだったのであるが、何と、そうこうしているうちに高松でビニ解の音楽に憧れる若者たちが出てきたのである。その「ビニ解チルドレン」とでも言うべき宇川直宏くん(我々の間では「おなひろくん」と呼ばれていた)や堀地浩くん(いつも腹が減っていたので我々の間では「ヘリチくん」と呼ばれていた)たちも加わって、あの当時、香川には、というか高松には、私に言わせれば何とも怪しいエネルギーに満ちあふれた若者文化がアンダーグラウンドで蠢いていたという記憶がある。

 で、あれから30年以上経ったこないだ、何やら見たことのない差出人と件名で、私に怪しい長文メールが届いたのである。読んでみると、「瀬戸内国際芸術祭の参加イベントで『ビニール解体工場と瀬戸内オルタナティヴの発生』というトーク&ライブをやるのですが、初期のビニ解をよく知る田尾さんにぜひ出演してもらいたい」という依頼。差出人を見ると、うかわおなひろくんやないのー!(笑)

***

 行ってきました。30年ぶりにDEKUさんと宇川君と脇市に合いました。みんなすっかり年を取っていたけど、確かにDEKUさんと宇川君と脇市でした。

 19時過ぎにイベントが始まりました。イベントはユーストリームか何かで世界に生配信されるとか言ってました。まず、狭いライブハウスみたいな所に集まった数十人の観客の前で、宇川君とDEKUさんがトークを始めましたが、「オルタナティヴ」やら「第五列」やら、私には全く理解不能な用語を連発しています。あとで聞くと、宇川君はあれから海外活動も含めてその道で大活躍をしていて(wikiに経歴等がムチャクチャ載っています)、もはや私の手の届くところにはいないレベルの“先生”になっているようです(ま、昔も手は届いてなかったんですけど・笑)。だからなのか、そのトークも何やら専門用語が次々に出てきて、とても私について行けるレベルではないぞ。

 ところが、観客の皆さんはそんな2人のトークに時にうなずきながら、時に笑いながら、時にスマホで撮影までしながら楽しんでいるではありませんか。「これは場違いなところに来たぞ!」と思いながら、とりあえず私は客席の隅っこで小さくなってパソコンを開けて別の仕事をしていたのですが(トークを聞いとらんのかい!)、30分ぐらいトークが続いた頃、ついに呼ばれてしまいました。

宇川「では、当時のビニール解体工場をよく知り、あのころの瀬戸内オルタナティブシーンの黎明期に欠かすことのできない役割を果たしたタウン情報かがわの元編集長の田尾さんがいらっしゃっていますのでお呼びします」

 私はめちゃめちゃ恐縮しながら前に出て行って、開口一番、

田尾「で〜くさ〜ん! 完全に俺、場違いやないの〜!」

***

 時々笑いも取れましたが(そういうイベントじゃないんだけど・笑)、20代のDEKUさんが出ているステージで司会をしている20代の私の恥ずかしい映像まで流されて(DEKUさんが持ってた)、それでも宇川君やDEKUさんに気恥ずかしくなるほどリスペクトされながら、30分ぐらいトークに絡んで退散しました。退席前のあいさつでお客さんたちに「ほんとに場違いですみませんでした。結局最後まで『第五列』が何なのかわからないまま帰ります」と言ったら笑いが来たので、調子に乗って「菅直人が『第四列』と呼ばれていたのは聞いたことがあるんですが」と付け加えたら、スベったみたいです(笑)。客層を間違えました。ほんとに申し訳ありません。

 という事件が先週末にあった数日後の今日、百々君から「こないだのDEKUさんと出てたやつ、ユーストリームで見ましたよ。ニューヨークで西岡さんも見てたそうですよ」という報告がありました。地獄耳か!
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