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2016年01月の日記
2016年1月31日(日)

 朝起きてパソコンを開けたら、U原から、

『久々の日記更新で、何を斬ってくれるのかワクワクしながら読み進めたら「朝起きました。宿題しました。水槽の掃除しました。晩ご飯食べました。残りの宿題しました。本棚を整理しました。眠れなくなりました」という、とうとう小四のうちの娘に肩を並べた大学教授の田尾先生、おはようございます。それだけです(笑)』

というメールが来ていたので、大学教授のプライドにかけて、期待に応えないわけにはいかない。

<きょうのにっき>
 きょうは、あさおきたら10じ30ぷんでした。おそくねると、おきるのがおそくなるのだとおもいました。しゅくだいをしようとおもってべんきょうべやにはいったら、すいそうとほんだながとてもきれいでした。よなかにみるより、あかるいときにみるとずっときれいだったので、もっときれいにしようといろいろかんがえていたら、きょうもあんまりしゅくだいがすすみませんでした。

 ひるは、いっぷくといううどんやさんにいきました。ちゅうしゃじょうに、かがわけんでないくるまがいっぱいならんでいたので、みせにはいってうどんをつくっているおじさんに「あいかわらずにっぽんぜんこく、つつうらうらからくるまがきとるなあ」といったら、おじさんが「いやいや」とまんざらでもなさそうにへんじをしたので、「ブラジルとか」といったら、おみせのひとがわらってくれました。

 ちょっとセリフがおっさんくさいが、今日はこれぐらいにしといてやろう。
2016年1月30日(土)

 創刊以来最大量の仕事を抱えて(もうええっちゅうに)四苦八苦の連日である。いや、本来の意味の「四苦八苦」ではないな。真言宗のよしみで「四苦」の「生・老・病・死」は覚えているのだが、サブ(?)のあと四苦が曖昧だったので確認すると、

愛別離苦(愛するものと別離すること)
怨憎会苦(恨み憎んでいる者に会うこと)
求不得苦(求める物が得られないこと)
五蘊盛苦(肉体と精神が思うがままにならないこと)

であった。四苦八苦の「苦」は「苦しい」という意味ではなく、「思うようにならないこと」という感じなので、「それなりに仕事は思うようにはなっているのだが、思うように捌いている以上にどんどん仕事が増えてきて、現在、創刊以来最大量を更新中で苦しんでいる」という現状は、やっぱり「四苦八苦」とはちょっと違うな。

 とりあえず、今日はこんな一日でした。

7:30 起床。

8:00 1時間ぐらいで片付きそうなものから1週間はかかりそうなものまで、大小合わせて20本ぐらい抱えている仕事のうちの、優先順位第1位の「3日ぐらいかかりそうなやつ」に取りかかる。

10:30 それを中断して、先週入ってきた仕事に出かける。

12:00 そいつを終えて、家に帰る。

12:30 再び仕事を開始したのだが、途中で思考が袋小路に入って、気分転換に水槽を眺めていたらスイッチが入って、1時間ぐらいかけて水替えとコケ取りを敢行。

13:30 再び仕事を開始。18:00頃まで順調に原稿が進む。

18:30 家内と食事に出かける。

20:00 帰ってきて再び仕事を開始。

23:00 風呂に入って再び仕事に向かったのだが、軽い睡魔がやってきて、葛藤の末、今日はもう寝ることにした。

24:00 睡眠薬代わりに文庫本を一冊持って(また10冊も大人買いしたジェフリー・ディーヴァーの中から『コフィン・ダンサー』を…)ベッドに入ろうとしたら、ベッドの周りに数ヵ月分の睡眠薬代わりの本が溜まっているのにふと目が行き、それを全部集めて仕事部屋の本棚のところに持って行ったら……スイッチが入ってしまって、午前2時までかけて本棚の大整理をしてしまった!

 というわけで、午前2時半、中途半端に目が冴えてしまってこれを書き始めてしまいました(笑)。あかん、ほんまにもう寝るわ。
2016年1月17日(日)

 まだ1週間も経たない数日前の夕方のことである。たぶん、連絡してくれていると思うので日時はぼかしておくけど、その日の夕方、私はある方のインタビュー取材をすることになっていた。まず、その方が高松空港に着いて、空港から高松市街地に向かうバスに乗る前に私に電話をくれる。それを聞いて私は、高松駅の近くのバス停にその方を迎えに行く、という段取りで、到着予定時間の5分ほど前にそのバス停に行ったのである。

 そしたら、待てど暮らせど(暮らしてはないけど)バスがやって来ない。空港からこのバス停まで35分ぐらいのところ、到着予定時間を5分過ぎても10分過ぎてもまだ来ない。その方のインタビュー取材はもう同じような形で20回以上やっているのだが、こんなに遅れたのは初めてだ。

 で、結局15分も遅れてバスが到着。そこからインタビュー場所に行くまでの間に会話をしていたら、その方が思いも寄らぬ「バスが遅れた話」をしたのである。

田尾 渋滞か事故でもあったんですか?
某氏 そうじゃないんですよ。私はバスに乗り込んですぐ右の席、運転手が斜め前のすぐそこに見える席に座ってたんですけど、結構年配の運転手でね。発車してからずーっと、幹線道路に出てもずーっと、時速40キロぐらいでゆっくりゆっくり走るんです。
田尾 超安全運転ですか。周りの車には迷惑ですけど(笑)。
某氏 それがですね、道は結構空いていて、片側2車線の右側車線、中央分離帯側ですね、いわゆる追い越し車線側をトロトロトロトロ走っているんです。だから、後ろから来る車がバスの左側に回ってどんどん追い越していく。「何だこれは」と思って運転手の方を見ていたら、その運転手、体がゆっくり前後に揺れていて、時々痙攣するみたいにビクッとしてるんですよ!
田尾 えーっ! それ、事故するんじゃないですか?
某氏 いやまあ、そういうクセのある運転手かもしれないし、まあ時速40キロだし(笑)。でもあれ、絶対何か体の調子がおかしいと思うよ。バス会社に電話して上げようかと思うんだけど、まあそれでこんなに遅れてしまったんです。すみませんね。

 という話を聞いた数日後、場所は全然違うけど軽井沢のバス事故のニュースが飛び込んできました。

 こういう事故や事件のニュースがあると、いつものように一切の情緒と当事者の立場を排して「自分だったらどうするか?」と考えてみるのが私のトレーニングの1つ。

 まず、当事者の立場に立って考えるのは「本当にお気の毒でした」とか「大変でしょうが適切にいろんなものを処理してください」としか言えないので、そこは自分でいくら考えてもどうにもならないから、「ではこれからどうすればいいのか?」という視点で考える。

(1)もし私が同業他社の社長だったら、目的は当然「自社のあらゆる現場の状況を徹底的に調べ、事故につながる恐れのある項目を早急に改善する」という話になる。しかし、大変なのはその先の「手段」である。

 社長をやっている人はわかると思うが、社員に注意を喚起するのは当然だけど、「経営」と「安全」を両立させるのは実に多くの難関をクリアしないといけない。会社を倒産させて従業員を路頭に迷わせてもいいのなら話は簡単だけど、そういうわけにはいかないとなると、おそらく「利益優先主義で安全を軽視するような会社はけしからん!」とだけ言っていればいいようなコメンテイターの方々にはわからない問題が山積しているのである。

 乱暴に例えるなら、何でもかんでも「反対! 反対!」とだけ言っていた民主党(特に旧社会党出身者)が、いざ政権を取って自分でやらないといけない立場に立ったらまるで何もできずに大混乱に陥ったみたいな話である。これも、国を潰してもいいのなら話は簡単だが、そういうわけにはいかないとなると、実践のマネジメントをやったことのない人にはわからない問題が山積していたということだと思う。そこを考えていると、結構リアルな経営トレーニングになるんです。もう経営者じゃないけど。


(2)もし私が同業他社(あるいは事故を起こした会社)の同職種の従業員(運転手)だったら、自分は絶対事故を起こさないように、あらゆる状態を検討し直す。例えば、自己管理を検討し直す、無理な業務要求を断る、業務を辞める、会社を辞める、それらによって合理的に失われる待遇は受け入れ、自分で次の活路を切り開く…等々。で、自分ならどうするかを考えてみる。

(3)では、同じ客の立場である自分はこれからどうすればいいのか? 例えば、「安いものには安いだけの理由がある」という原理原則を再確認する。この世に「絶対安全」などはないのだから、気をつけながらも「何が起こってもおかしくない」というメンタルトレーニングをする。身の回りのいろんなリスクをロジカルに理解して、なるべく事前に自分でリスクを最小限にする努力をする…等々を改めて考えて、これからの自分の行動に生かしていくわけである。

 そういうわけで、私は今(3)の立場だから、現実的には(3)を重点的に考えているわけですが、もし公にコメントを求められたら、(1)の具体的な「手段」についての答が出せないので、責任あるコメントはできません。とりあえず、ニュースの解説やコメントに惑わされずに、自分でロジカルに気をつけるのみです。
2016年1月15日(金)

 また「選挙区議員定数の是正」の話がマスコミの話題にのぼっているようですが、あれ、一体どういう状態を目指しているんでしょうか。

 今、選挙区ごとの国会議員定数が、東京とかの上の方が「50万人に1人」になってて、島根とかの下の方が「20数万人に1人」になってて、そこに2.3倍だの2.1倍だのといった格差がある。その状態が憲法の「法の下の平等」に反しているから是正せよ、という違憲判決が出て、細かく何増何減とかしょっちゅう議論されているが、結局、「では、どういう状態を目指しているのか?」というのが私の疑問である。

 「違憲だ」という人は当然、「憲法の通りにしろ」と主張していると思われる。すると、憲法の「法の下に平等」を議員定数にも当てはめろと言うのなら、「平等」だから「格差ゼロ」を目指せという話になるけど、それは現実的に不可能だということは、簡単な算数でわかりますね。

 議員1人に対する有権者数の格差をゼロにするという方法は、普通に考えると2つしかありません。まず1つ目は、「有権者1人につき議員1人」、つまり国民全員が議員になるという方法です。

 例えば、「有権者2人につき議員1人」としただけで、
有権者が2人いる選挙区…議員1人
有権者が3人いる選挙区…議員1人(1.5倍の格差が生じる)
有権者が4人いる選挙区…議員2人
有権者が5人いる選挙区…議員2人(1.25倍の格差が生じる)
………
となって、もう「平等」が崩れて「格差ゼロ」は成立しないという、まあ簡単な算数です。

 2つ目は、1つの選挙区の有権者数を厳密に同じ数にして、1選挙区の議員定数も同じにするという方法。例えば、「日本中どの選挙区も有権者数が50万人で、どの選挙区の議員定数も1人」とかにすると、1票の格差はゼロになります。

 ただし、「1つの選挙区の有権者数を厳密に同じ数にする」となると、県や市町村の線引きは無視しないといけなくなります。例えば、選挙区の有権者数を揃えるためには、おそらく同じ町内でも隣同士が違う選挙区になったり、ヘタすると家族のうちじいちゃんとばあちゃんはA選挙区、父ちゃんと母ちゃんはB選挙区とか分けないと数が合わない、という話が出てくる。さらに、人口は日々変わっているから、選挙のたびに選挙区の線の引き直しをしないと「平等」は確保できない。

 だから、「有権者1人につき議員1人」という方法も「1つの選挙区の有権者数を厳密に同じ数にする」という方法も、どちらもどう考えても現実的な方法ではない。つまり、「複数の人たちが一人の代表を選ぶ」という選挙では、一票の格差をなくして「平等」にすることは現実的に不可能だという話になるわけです。ちなみに、アメリカは線引きがドライだからか、そういうやり方に近い方法を採る選挙もあるそうですが、日本の風土には合わない。まあ、ここまでは単純に物理的な話です。

 すると、厳密に言えば、1票の格差を是正するのに「憲法」の「法の下に平等」という概念を根拠にすること自体、根本的に無理がある、ということになるわけです。だって、「2.5倍の格差は違憲だけど、2倍を切れば許される、1.5倍なら許される…」などという議論をいくらしても、どれも全部、「平等」じゃないんだから。

 だから、「1票の格差は違憲だ」という意見に対しては、私はいつも「じゃあ、一体どういう状態を目指そうとしているの?」という「議論の出発点に対する疑問」を持っているわけです。では、どうすればいいのか? 

 まあ常識でゼロベースで考えたら、都道府県の区切りというのは日本人に染み込んでいるから、選挙区は都道府県別の形をそのままにしておくのが現実的。すると、例えば日本の有権者数が1億人で議員総数が700人だったら、単純計算で例えば「有権者15万人につき議員1人」とするのが一番簡単な方法です。

 具体的には、
・有権者が1人〜14万9999人の時は議員定数0人。
・有権者が15万人〜29万9999人までなら議員定数は1人。
・有権者が30万人〜44万9999人なら議員定数は2人。
という計算になる。この時、例えば15万人〜29万9999人までの間には「一票の格差」が生じますが、そんな格差は無視です。さっき書いたように、そもそも一票の重みに「平等」なんて無理なんだから(でも格差2倍未満には収まる)。

 もう一つ、「たくさん税金を稼いで国に貢献しているところほど議員定数が多くなる」という尺度を使えば(私はこの尺度も十分成立すると思っている)、「GDP比」という決め方もあります。例えば、日本のGDPが500兆円で議員総数が700人なら、単純計算で「GDP7000億円につき議員1人」とすれば簡単。

 こういう方法にすると、各都道府県とも、議員定数を増やそうと思えば
@人口を増やす
AGDPを上げる
という戦略をとればいい(とらざるを得なくなる)わけで、すると、今の日本中の地方自治体に蔓延している「国に陳情してお金を恵んでもらう」という後ろ向きな体質も改善せざるを得なくなる、建設的で前向きな行動を取らざるを得なくなる、という、まともな方向への意識転換の起爆剤になるかもしれないと思います。

 ちなみに、もっと最初にやるべきは「適正な議員定数」の決定でしょう。何を基準に適正な議員数を出せばいいのか、正解はないだろうけど、これも普通に考えれば「何人いれば日本のマネジメントができるのか?」というところから考え始めるのが正攻法だと思います。

 ちなみに、議員定数の議論には必ず、「アメリカはもっと人口あたりの議員数が多い」とか「ヨーロッパは…」とかの例が出てきますが、ゼロベースで考えたらそんなことはどうでもいい話です。「他国はどうか?」ではなく、「これだけのサイズの組織をマネジメントするのに、何人のマネージャーが必要か」という組織マネジメントの原点(原理原則)から考えないと、現実的で実践的な組織論にはならないからです。すると、ゼロベースで考えれば、たぶん今の700人を超える議員定数は、300人とか500人で十分(ビジネスで言えば100兆円のマネジメントなんか100人で十分という試算もあります)という話になると思いますが。

 いずれにしろ私は、議員定数や一票の格差の話は、

@「日本のマネジメントに何人のマネージャー(議員)が必要か?」をゼロベースで考えて、議員定数の総数を決める。
A日本の有権者総数をその議員定数で割って、「議員1人当たりの有権者数」を決める。
B都道府県別に人口を「議員1人当たりの有権者数」で割って、都道府県別の議員定数を決める(2倍以下の「一票の格差」が出るが、そんなことは無視)。

という、原理原則に最も近い、一番シンプルな形に向かって行くべきだと思っています。こないだ書いた「税率は全ての税金について例外なく一律10%(税の三原則に最も近い形)に向かって行くべきだ」という話と同じです。もちろん、いっぺんにやってしまうのは何かしらのハードランディングになるので段階的でいいとは思いますが、とにかく「そこに向かっていない、あるいはそこに言及しない議論や方策は、基本的に全て大きな方向がずれている」と思いながらニュースを見ています。ただし、他に原理原則に沿ったもっとロジカルな対案が出てくれば、いつでもそっちに乗り換えますが(笑)。
2016年1月8日(金)

 今日の四国新聞の一面に、こんな囲み記事が載っていた。

***

(見出し)
18歳選挙権控え 初の高校生議会 
県議会、地方創生で熱弁

(本文)
 選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げた改正公選法(6月19日施行)を踏まえ、県内の高校生が地方創生をテーマに意見発表する「高校生議会」が7日、県議会議事堂であった。「18歳選挙権」を間近に控えた高校生議員たちは、人口減少の克服や商店街の活性化策を提言するなどし、政治参加への意識を高めた。

 選挙や政治に関心を持ってもらおうと、県議会が初めて企画。県内の各校を定数1の選挙区に見立て、校内選挙で選出された42人の議員が出席した。

 議場では、高校生議員が交流人口の拡大や移住促進などに向けた具体策を次々と発表。それぞれの意見は各議員が採点し、点数の上位5人の意見を辻村修県議会議長と浜田知事に決議文として手渡した。

 辻村議長は「高校生の視点で一生懸命に考えた施策が心に響いた。決議文を今後の県政に生かしていきたい」と話した。

***

 で、別ページにあった補足記事を読むと、

●農業で地方を元気にしたい。長期休暇などに高校生ボランティアを募り、お手伝い部隊として地域に貢献できる仕組みを作ってはどうか。
●学校や学部を増やすことで若者の流出を抑えることができる。
●資源が少ない香川が発展するため、新しい教育立県を目指すべき。
●人口減対策として政府機関を県内に誘致すべき。

などという高校生の提案があったと書かれていた。ちなみに、このうち最後の「政府機関を県内に誘致」というのが「上位5人」に選ばれたうちの1つだったようだが、あとの4つは書かれていなかったと。そういうニュースでした。

 まあ、いろんなことをやってみるのはいいことだと思いますが、この記事を見た私からの高校生たちへのメッセージは、「発表した高校生たちはみんな優秀なお子たちばかりだと思うから、ぜひ、ダークサイド(暗黒面)に落ちないように頑張ってね」である(またか・笑)。

 優等生たちはみんな、一生懸命頑張って考えるのである。でも、「農業で地方を元気にする」とか「学校を増やす」とか「教育立県」とか「政府機関誘致」とか、あとの38人がどんな発表をしたのかわからないけど、そういう類の話はほとんど「やっても地域は創生しないもの」、あるいは「実際やったけど地域は創生しなかったもの」ばかりである。つまり、そういう類のものは全部、私に言わせれば「地域創生策のダークサイド」だと思うのである。

 この期に及んでは、もはや「ダークサイドには地域創生の答はない」と知るべきだと思うのですが。何か、せっかくフォースを持った優等生たちが、今の行政や行政の息のかかった学校がやろうとしていることを「やるべきことだ」と思いこむように洗脳されつつあるのではないかと、また思いました。『スター・ウォーズ』の新作、まだ見てないのに(笑)。

 さて、今日は何を血迷ったか、文庫本をいっぺんに10冊も買ってしまった。

 去年の暮れ、A藤が「田尾さん、ロジカルなサスペンスものが好きなんだったら、あれ読んだらええわ」言うて、

○『その女、アレックス』『悲しみのイレーヌ』のシリーズ
○『ウォッチメイカー』『ソウルコレクター』のシリーズ(ジェフリー・ディーバーの『リンカーン・ライム』シリーズ)

の2つをメモ書きして渡されたのである。そこで、最初『アレックス』を買って読んで「おもしろいけど、ちょっとグロいのがダメやわ」と思いながら続けて『イレーヌ』も買って読んだら「こらあかん!」となって(笑)、そこでやめてたのである。

 ところが、つい先週、ふとA藤が「こっちはちょっとグロいところがあるけどな」とか言ってたのを思い出した私は、どっちがグロい方かは思い出せないまま、「『アレックス』と『イレーヌ』があれやったから、『ウォッチメイカー』はマシな方ちゃうか?」と思って、『ウォッチメイカー』を買ったのである。買ってから、チラッと「『ウォッチメイカー』の方がもっとえらいことになっとんちゃうか?」という不安もよぎったが(笑)、それが読んで見たら、「上・下巻」もあるのに止められなくなって一気に読み終えてしまった。この「慢性原稿追い込まれ状態」なのに(!)。

 でその2日後の、今日。辺りもすっかり暗くなった夕方に「くつわDo」に行って1時間ほど原稿を書いた帰り、思い立ってKSBの前のTSUTAYAで、そこにあったジェフリー・ディーバーの文庫を10冊全部(全部上・下巻で5作品)買うてしもた。いわゆる、「ここからここまでくれ」の大人買い状態(笑)。

 絶対、こんなの読んどる場合でないのは重々わかっています。もちろん、私は意志が強いので、やるべき仕事はきっちりやります。ただ、もし、万が一、億が一、何かの原稿がちょっとだけ遅れたとしたら……ジェフリー・ディーバーとA藤のせいだと思ってください(笑)。
2016年1月6日(水)

 2年前のマーケティング論の授業の中で「小さな経費削減をする時は小さな項目に手をつければ何とかなるが、大きな経費削減をする時は大きな経費項目に手をつけないとどうにもならない」という原理原則の話をしたことがある。例えば、3%や5%の経費削減なら「電気を小まめに消しましょう」とか「ボールペンは最後まで使い切りましょう」とかの積み重ねで達成できたりするが、20%、30%の経費削減が必要な局面になると、そんなことをやっても焼け石に水、とかいう当たり前の話である。

 その流れで、「この原理原則を元に、日本の国の財政を本気で改善するなら、何に手をつけなければならないか?」という話になった。そこで、「大きい項目に手をつけないとどうにもならない。では、日本の予算の中で一番大きい歳出項目は何か?」と尋ねたら、「防衛費」と答えた学生がパラパラいたのである。

 しょうがないから、私は2013年度の当初予算を額の大きい順に、

社会保障費…………29.1兆円
国債費………………22.2兆円
地方交付税交付金…16.4兆円
文教科学振興費…… 5.4兆円
公共事業関係費…… 5.3兆円
防衛関係費………… 4.8兆円

と黒板に書いたら、「へえ〜」という声が挙がった。しかしまあ、自分が大学生の時のことを思い出すと国家予算の費目別予算額なんか絶対知らなかったと思うから、まあそんなものかもしれないと思って「何となく覚えとってもええと思うぞ」ぐらいの話で授業を進めていったのが2年前のことである。

 そして、昨日の2コマ目のマーケティング論で、また同じような内容のところに差しかかったので、また同じように「日本の予算の中で一番大きい歳出項目は何か?」と質問をしてみたのである。すると、1人の学生がキッパリと、「防衛費」と答えた。

 何がどうなってるの? 誰か他の先生が必要以上に「防衛費」を強調して教えてるのか?

 そこでまた、今度は昨年末に発表されたばかりの2016年度予算案の数字を黒板に書いた。

社会保障費…………32.0兆円
国債費………………23.5兆円
地方交付税交付金…15.5兆円
文教科学振興費…… 5.4兆円
公共事業関係費…… 6.0兆円
防衛関係費………… 5.0兆円
(全て四捨五入)

 イデオロギーも何も関係ない、ただの正直な「ファクト」である。そしたら2年前と同じ、また「20へえ〜」ぐらいの声が挙がった。しかしまあ、また自分が大学生だった頃のことを思い出して「しょうがないか」と思いかけたのだが、2年前と違うことが一つ。

 この子たち、今年から「投票権」を持つのである。

 まあ、今までも若いもんは似たようなものだったと思うが、「18歳からの投票権」とは、基本的にそういうことだろうと私は思っている。私自身を振り返ってみても、「自分が10代、20代の時には、政治に関する判断能力はほとんどゼロだった」ということが今になってものすごく実感するもの。

 しかも、こういう平凡な(?)学生とは違って政治に対する参加意識の高い若い子らは、意識は高いけど社会経験はないしロジカルシンキング(政治をロジカルシンキングするためには実社会経験で得られる「ファクト」が絶対必要)も習ってないから、すぐに宗教的、感情的アジテーションに洗脳されて、フォースを間違って使って“暗黒面”に陥る(笑)危険がとても高いし…(SEALDsの子なんか、うちの学生より意識も高くて遙かに優秀そうに見えるから、誰かが早くジェダイの騎士に導いてやればいいと思うんだけど…ダース・ベイダーになってしまうのかなあ…)。

 などと考えながら、今日の『インタレスト』の編集会議は昨日の日記を見てビビっている中尾編集長(笑)の進行で、一からネタ出しの作業をやり直しました。

中尾「とにかく全員、来週までに絶対、一人1コ以上案を出してきてね」

 さて、どうなりますことやら(笑)。
2016年1月5日(火)

 夜、家に帰ってJRAホームページで結果を確認したら、

<中山金杯>
ステラウインド(7番人気)……… 5着
ヤマカツエース(3番人気)……… 1着
バロンドゥフォール(8番人気)…12着
<京都金杯>
マーティンボロ(11番人気)………9着
メイショウマンボ(10番人気)… 14着

 数十年ぶりの「調教の相馬眼」は、微妙でしたね(笑)。私の調教メモは、

ステラウインド………抑えたままなのでよくわからんが、四肢は伸びやか
ヤマカツエース………速い、切れる!
バロンドゥフォール…四肢大きく伸びやか
マーティンボロ………完歩短めだけど、活気がある
メイショウマンボ……前走より必死に走っているが、坂路でよくわからん

と書いておりましたが、調教で目立ってよく見えたヤマカツエースがほんまに1着に来たけど、あとは坂路調教の馬が上位に来たり、内を突いたらよかったのに外を回したりして、あんまり見せ場はなかった。やっぱりまだまだダメでしたね。マーティンボロとメイショウマンボはどこかで大穴あけそうな気がするんだけど、まあ、また時間があったら調教ビデオを見てリハビリします。

 さて、明日は今年最初の『インタレスト』の編集会議ですが、年を明けてもまだ次の特集が決まらないという、宝塚記念のゴールドシップのような出遅れを見せております(笑)。まあこっちは、最後はきっちりと差すつもりですが、次はもう通巻21号。そらネタ切れにもなる。中尾ー、ここらでちょっと、ガラリと作り方を変えてみるか?
2016年1月4日(月)

 今日は、競馬しない人には全く意味不明な日記になりますが、たまには息抜きさせて(笑)。

 いや、息抜きするつもりはなかったのだが、何か加入しているケーブルテレビから「誕生月に1カ月、1つだけチャンネルを無料で見られるようになってるんですけど、何見ます?」みたいな案内が来て、「じゃあ、グリーンチャンネル(JRAの競馬チャンネル)」と返事したら、映り始めたわけです。そしたら今日、夕方6時から「今週の調教」という番組をやっていました。

 私をよく知る一部の競馬ファンから、私は「書斎派」と呼ばれておりまして、私は競馬の予想をする時に、いつも競馬新聞を私の編み出した「ビジュアルで力関係が一目瞭然になる」というオリジナル色分けをしているため、昔からそれを見ている一部の仲間から「データ予想派(書斎派)」と思われているわけです。

 あと、1〜2年に1回ぐらい、仲間と競馬場に行くと、その「色分け新聞」を持ってパドックを見に行ってよく当てるので、「パドック派」だと思われているフシもある(実は就職して香川に帰ってきて以来、40年近くで20回ぐらい仲間と競馬場に行って、負けて帰ったことがたった1回しかないのは牛乳屋さんとかアップタウンのマスターとかごんとか出竿とかうちの家内は知っている・笑)。

 でも、実は私は元々、「追い切り派」だったんです。それもデータの調教タイムとかではなく、調教ビデオを見て予想するのが一番得意だった。きっかけは、あれは忘れもしない1977年、私が大学3年の時の皐月賞(ほんまに忘れてない・笑)。

 皐月賞の前日、スポニチの特報部(競馬、競輪、競艇部)でアルバイトをしていたら編集室のモニターテレビに皐月賞の追い切り(調教)ビデオが流れていた。それを何となく見ていたら、特報部の宮本部長がやってきて「田尾次、何がええ?」と聞いてきたのです。「田尾次(たおじ)」というのは、当時、スポニチに船曳彦丞さんという競馬記者の方がいて「彦次の予想」というコラムを書いていて、何かよくわからんけどその勢いで、私は特報部内で「田尾次」と呼ばれていたわけでして(笑)。

 私は大学1年の秋からスポニチでバイトしていたのですが、とても真面目だったので馬券なんか買ったこともなく(ま、競馬開催日はずーっと編集室で働いていたので買う暇もなく…でなくて学生は馬券を買っちゃいけないことになっていたので買わなかったことにしておこう・笑)、だから調教ビデオもちゃんと見たことすらなかったのですが、部長に言われたのでじーっと追い切りの馬の動きを見ていて、「ハードバージがええ感じに見えますけど」と言いました。

 そしたら部長が「よし、田尾次の予想に乗るか」と言って、枠連で(当時は枠連しかなかった)ハードバージのいる2枠からゾロ目も含めて8点、2万円(!)ずつ総流しをしたのです。後で確認したら、ハードバージは20頭立ての7番人気だったか8番人気だったか…。

 ところが結果は、ハードバージが勝っちゃった! で、枠連で7700円もついて、部長、編集部の人数分の寿司を注文して150万円ぐらいを持って帰ってきました。ちなみに、帰ってきた部長が開口一番、「来週から『彦次の予想』を『田尾次の予想』にするぞ!」って(笑)。それからですわ。追い切りビデオを見る目に神が降りてきたのは(笑)。

 で、翌年卒業して香川に帰ってからは競馬ともご無沙汰になって(香川に馬券売場はなかったし、電話投票までする気はなかったし)、そうこうしているうちに1985年に坂路調教が始まって、あれはほとんど正面から馬を映すから四肢の動きがとても見づらいこともあって、調教ビデオとはずーっと疎遠になって今日に至っていたわけです。

 その調教ビデオを今日、まことに久しぶりにじっくり見ました。中山金杯と京都金杯の出走馬のうち、中山は出走14頭中12頭、京都は17頭中11頭の追い切りが映りました。そのうち、坂路調教は見方がよくわからなかったので坂路以外の馬の動きを見た結果、良さそうだったのが以下の5頭。

<中山金杯>
ステラウインド(8番人気)
ヤマカツエース(2番人気)
バロンドゥフォール(9番人気)
<京都金杯>
マーティンボロ(7番人気)
メイショウマンボ(12番人気)*こいつは坂路だけど、前走よりピリッとしている感じがした。

 発走は明日(1月5日)です。ハンデ戦だし、坂路組が全部わからんので半分ぐらいしか予想できんけど、数十年ぶりの「調教の相馬眼」や如何に。ガモムス、乗るなよ。大ケガするぞ(笑)。
2016年1月3日(日)

 12月25日から取り組んでいた原稿が予想外に難航して1月2日の午前2時頃アップ。1月からの再開授業に使おうと思い立ったデータ収集とパワーポイントファイルが1月3日の夜9時頃完成。仕事をいっぱい抱えて日にちも曜日もよくわからない状態がずーっと続いた年末年始であったが、頑張ってよく考え、よく働きました。

 「思想・信条」を横に置いて、「事実(数字)」と「原理原則」と「ロジカルシンキング」で物事を考えることをモットーとしていると、一つの事柄を考えるのにまず事実(数字)をいろんなところから集めて、それを原理原則に当てはめて、ロジカルにシンキングして自分なりに答を出さないといけないので、頭が鈍ってきた私にはとても時間がかかる。だから、「これ、たぶん授業で開設したら30分で終わるだろうなあ」という程度のパワーポイントファイルを作るのに丸2日とかかかるのだが、まあそういうものである。たいてい、世の中のちゃんとした人の出すアウトプットは、数行の文章の後ろに数日、数ヵ月、あるいは数年の情報収集と分析があるのであるから、私も及ばずながらそうなりたいと思って頑張っているのである。

 一方、その「事実(数字)」と「原理原則」と「ロジカルシンキング」のない、「思想・信条」だけの数年の積み重ねは、感情的で宗教的な思考(最初から答があって、他の考えを反射的に排除するような)にどんどん固まっていくことになると思っている。もちろん、宗教に生きるのならそれは崇高で幸福なことなんだろうと思うけど、例えばビジネスでそれをやっちゃあ会社がおかしくなるし、社会活動においてもそれをやったら社会がおかしくなる。

 今、仕事の手を休めて去年の新聞の取り置きを見ていたら、産経新聞に載っていた「古舘伊知郎氏が報道ステーションの降板を表明」という記事に、古舘さんのこんなコメントが載っていた。

古舘「報道は権力を監視する役割を担っている。ニュースキャスターは反権力、反暴力で、言論・表現の自由を守る側面もある」「キャスターが意見を言ってはいけないことはない。基本的に偏らない放送はできないとの思いでずっとやってきた」

 古舘さんは報道ステーションをやり始めてからずっと、「思想・信条だけの積み重ね」をやってきたのかなあ。ちゃんと最初に「報道は権力を監視する役割を担っている」という原理原則から入っているのに、続いていきなり「ニュースキャスターは反権力で」って、「権力の監視」と「反権力」は全然違うやん。

 「反権力」というのは、まず「権力は悪である」という「答」があってのスタンスだから、基本的に偏っている。私の中の原理原則は、「権力はいいこともあるけど悪いこともある」である。リーダーに権力(権限)がなければ会社も社会もバラバラになるし、権力(権限)を濫用すれば社員や国民が被害を被るから「悪」になる。だからそれを監視することは不可欠だけど、いきなり「反権力」というのは宗教的スタンスだ。

 また、それを「反権力、反暴力」と並べるのも不当な誘導である。「暴力」はその大部分が「悪」だと思うから「反暴力」はなるほど、その通りだと賛同を得られると思うけど、「権力」には善と悪がそれなりに共存しているのだから、権力と暴力を並べて「反」でくくっちゃダメでしょう。

 さらに、「キャスターが意見を言ってはいけないことはない」というのは賛同するけど、「基本的に偏らない放送はできない」とは思わない。それは単純に「両論併記」すればいいだけの話だし、もっと進めてその両論も「事実(数字)」と「原理原則」と「ロジカルシンキング」で導き出された両論を提示させる、というスタンスを貫けば、それは「偏った放送」でもなければ「言いっぱなしの両論併記」でもない、ロジカルに考えるための材料をロジカルに提供するという「偏らない放送」ができると思うからである。まあ、新聞記事だから本当に一字一句そう言ったのかどうか知らないけど。

 収入が10万円しかないのに20万円を使えばお金が足りなくなるのはシンプルな原理原則。お金を足りるようにするためには、10万円しか使わないようにするか、20万円稼ぐかしかない、というのも当然の原理原則。運転資金を10万円借金したらその場は足りるけど、返すあてのない借金が溜まっていく。10万円借金しても、それが20万円、30万円というリターンを生むものに投資すれば、お金は足りるようになる、というのも。

 2000キロカロリーしか消費しないのに3000キロカロリー食ったら太っていく。山に向かって進んでいけば、山に登れる。崖に向かって進めば、崖に落ちる。頑張れば頑張るほど、早く崖に落ちる。だから、進む方向を「事実(数字)」と「原理原則」と「ロジカルシンキング」できちんと考えないといけない。

 ……などということをちょっと考えたりしながら、1月4日の夜明けを迎えました。
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