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2010年07月の日記
2010年7月27日(火)

 昨日、研究室のドアを全開にして仕事をしていたら、トミーがやってきた。

トミ「あ、田尾先生、何か松田さんが先生のハンコがいる言うてましたよ」
田尾「何の判や」
トミ「何かの使用許可がいるとか言ってた」
田尾「何を使うんや」
トミ「何て言ってたっけ。プラ…プラ…プラネタリウム?」
田尾「そんなん学校にあったか?」
トミ「プラトン?」
田尾「プラトン、外人だ」
トミ「プルトン? プルトニウム?」
田尾「原発だ」
トミ「プラ…プル…プレ…」
田尾「プレハブ教室の使用許可か?」
トミ「それそれ! プレハブ!」

 などという会話があった翌日の今日は、インタレストの取材に持って行くサンプルページのラフを作ってもらうため、松本君を編集室にお迎えしたのである。その特集の担当学生は、サマンサことトミーこと富永と、ナンシーこと松井と、夛田とジェシカ…

田尾「またおかしな名前が出てきたやないか! 誰やジェシカは!」
夛田「金藤さん」
田尾「何で金藤がジェシカや」
夛田「『アヤカ』だから」
田尾「『カ』しか合うてへんやんか!」

 インタレストの女子軍団「イナゴレディース」は、今年から妙な方向に進んでいる(笑)。さて、今日の作業は松本君にイラストレーターで見開き2本のラフを作ってもらうのであるが、それをみんなで取り囲んで、横からいろいろ指示を出していくという、松本君だけが忙しい作業である(笑)。学生たちは、自分たちが考えた大ざっぱな割り付けが松本君の手によって素晴らしいデザインに仕上がっていくのを「うわー!」とか「おー!」とか言いながら見ている。

田尾「の、うまいことするやろがー」
トミ「すごいすごい!」
田尾「素人とは思えんだろが」
トミ「プロですよ!」

 などと言っていたら、プリンターを確認していた夛田が言った。

夛田「あのー、『トレイの交換時期が来ています』って出てるんですけど…」
田尾「どこに?」
夛田「この表示のとこ」
田尾「『トナー』って書いてないか? トレイはそんなに交換せんでもええと思うぞ」

 夛田の天然爆弾、炸裂。トミーが腹筋攣るぐらい笑いよる。

田尾「何色のトナーが切れよんや」
夛田「え? 色は書いてないですけど」
田尾「YとかCとかMとか書いた棒の絵が出とるやろが。何の棒が短くなってる?」
夛田「Mが短い」
田尾「それが切れかかっとんや。Mって何色や」
夛田「えー? 緑?」
田尾「ローマ字か!」
トミ「Mは赤や」
田尾「おー! 正解!」
金藤「何て言ってたっけ…マ…マゼ…」
田尾「おー! 近い!」
金藤「マゼラン?」
田尾「船で世界一周してこい!」
トミ「マキロン」
田尾「そうそう、これが擦り傷に塗ったら痛い痛い…って何でやねん!」
金藤「マゼッタや!」
田尾(うー…ツッコミにくい…ロゼッタばあさんしか思い浮かばんが…)

 今年のイナゴレディースはなかなか手強い(笑)。ちなみにレディースのヘッドのトミーの妹も今年四国学院に入ってきて、私の授業を一つ履修しているのだが、こないだ提出してきたレポートの最後にこう書いてあった。

「あの姉はとにかく面倒な奴ですが、頑張って下さい」

 俺が頑張るんか!
2010年7月26日(月)

 3週間にわたる「血糖値抑制期間」を終えて、病院に再検査に。この間、3度の食事をきちんと摂り、薬も飲み、間食をきっぱりと断ち、清涼飲料水も断ち、チンペイに連行されてソフトボールの試合に出るなど適度の運動も行い、完璧な節制をこなして血液検査と尿検査に望んだところ、

田尾「どうなんですか?」
医者「この数値が220から70になってますね」
田尾「それはどうなんですか?」
医者「完全に正常値に戻ってます」
田尾「うっしゃー!」
医者「というか、むしろ低血糖とも言えますね」
田尾「どうなのそれ」
医者「とりあえず、薬が効くということはわかりました」
田尾「あと、私の意志が強いということもわかりましたね(笑)」

 そういうわけで、3週間で正常に戻しました。ごんがあちこちでこないだの日記を見た人から「田尾さん、大丈夫ですかね」とか言われたそうだが、「おっさん、大丈夫みたいですよ。ちぇっ」とか言うといてくれ(笑)。けどまあ人生摩耗の局面。ボチボチとね。

 先週は土曜日に四国学院大学の今期何回目かのオープンキャンパスがあって、昨年同期を100人以上上回る参加者があった。で、今日は血糖値で無罪放免。ええことが続いている上に、今日は夕食に行った先で、表だって批判するのがはばかれるようなある話題になって、一人が恐る恐る「あれはいずれゴミになるんじゃないですかねえ…」と言ったら、女将さんから「あんなの、今からゴミじゃ」という胸のすくような一言が出た。書けんけど、今日は快眠できそう(笑)。
2010年7月19日(月)

 インタレストの希望メールや感想メールを読んでいると、毎号必ずこういうお便りが何通も来るのである。

「料金受取人払いのはずなんですが、家に帰ったら郵便受けに入っていました。何のメモもないし、郵便局から催促も来ませんけど(笑)」

 ほんとに何通も来るのである。想像するに、郵便配達の人が配達に来たけど不在で、100円や200円のために出直すのが面倒だからそのままお金を取らずに入れていったのではないかと。どうなんですかねえ。違うんでしょうか? もしそうなら、民間なら絶対許されない、末端まで行き届いたテキトーさ(笑)。こりゃ郵便局の経営、大変だわ。

 「回収」という概念がないのかもしれませんね。税金の未納、年金の未納、給食費の未納、公営住宅の家賃の未納…「未納」の事件がニュースで流れるたびに、多くの人が「払わない人」に憤りを感じているかもしれないけど、零細企業ながら経営者をやっていた私は、一番に「何で必死で回収しない!」と、「集める人」の方の「放置しておいた」というメンタリティが信じられない。ちなみにこれら、全部、お役所の仕事だ。

 以前、ここで数字を挙げて書いたけど、会社というのは決算書という管理会計で倒産するのではなくて、キャッシュフローで倒産するのである。キャッシュフローは、要するに現金の回収である。その「回収」を放棄したら、民間企業なら退職勧告が出ますよ。

 さて、今日は祝日であるが四国学院は授業がある。私は授業のない研究日なので、午前中、家の仕事部屋で研究してて(もうええっちゅうに)、ふとベランダから外を見たらヨットが海にめちゃめちゃたくさん出ていた。あまりに壮観なので、気分転換に防波堤まで出かけていって写真を撮る。空を見ると、ヘリコプターが3匹も(単位間違ったか?)飛んでいる。何事かなあ…と思いながら家に帰って、それから夕方まで仕事をしてテレビをつけたら、ローカルニュースで「瀬戸内国際芸術祭の開幕」とか言っていた。その取材のヘリだったのか。

 資料によると、瀬戸内国際芸術祭は、去年約5000万円、今年約1億3000万円の予算で開催しているらしい。約2億円の投資で、目的は「現代アートで瀬戸内海の魅力を世界に発信し、地域の活性化を図る」ですか。私は地域活性化に対するアートのポテンシャルはわからないので、申し訳ないですが(誰にや)以下、コメント省略(笑)。
2010年7月18日(日)

 iTunesの歌購入がとうとう26曲になってしまいましたよ、上村さん(笑)。こないだ上村さんと一種に中華を食べていた時に、

上村「シャチョー、仕入れてますねえ(笑)。山崎ハコに行くとは、やられちゃいましたねえ(笑)」
田尾「歌いませんよ!」
上村「またまたシャチョー(笑)」

 こないだ上村さんたちとカラオケに行ったもんだから、上村さんは、私が次のカラオケのために曲を仕入れ始めたと思っている(笑)。オヤジの懐かしスイッチが入ったBGMですって。

 で、山崎ハコを3曲行っちゃったもんだから、とうとう中島みゆきも2曲買ってしまった。「化粧」と「元気ですか」(笑)。私の中島みゆきの記憶は「わかれうた」でも「時代」でも、ましてや「地上の星」でもなく、あそこだ。泣くよ(笑)。

 私が聴いただけで泣く歌トップ5。
岡林信康「チューリップのアップリケ」
ピンク・ピクルス「一人の道」
山崎ハコ「織江の唄」
中島みゆき「化粧」
中島みゆき「元気ですか(朗読)」

 それで今、iTunesのリストの一番下に「化粧」「元気ですか」と並んでいて、あの「元気ですか」の悲しい朗読の最後に被るように次の曲(リストの一番上)の「8月の濡れた砂」のイントロが入ってくる…あそこの繋ぎがたまりませんなあ! アホです(笑)。

 実は中島みゆきは、私はレコードもCDも一枚も持っていないし、当時聴いてもいなかったのである。実は結婚する前だったか、家内が持っていたのを聴いただけなのであるが、あの時、当時の若き家内が「部屋の隅で一人で膝を抱えて『化粧』を聴いていた」というのを聞いて「こいつは幸せにしてやらないかん」と思ったのをまだ覚えていたりして(笑)。

 それにしても、久しぶりにスイッチが入って70年代から80年代前半のフォークやポップスをユーチューブまで探して結構聴いたけど、ええなあ。歌詞がいい。精神性が深い歌詞と、言葉の使い方が素晴らしいのと。ハッとするフレーズがいっぱいある。メロディーラインもアレンジも、わかりやすく気持ちがいい。

 「最近の若いもんは…」とか言いたくはないけど、近年ヒットしている歌はちっとも聴かなくなったけど、たまに歌番組をチャンネルで通過していてふとスーパーで出ている歌詞を見たら、私の感覚からするとバカみたいなのばっかり(笑)。シンガーソングライター系で「いい歌」と言われている歌の歌詞も、見ると、私には精神性があまりに浅すぎる。みんな、辛いことを経験してないんだなあ…人生の中で深く思慮することがないのなかあ…と思う。ま、別にいいんですけど。

 夜、9時を過ぎて家内と1時間半くらい散歩をしてきた。行き先はサンポート方面。途中、高松駅を通りかかったら、あちこちでギターを弾きながら歌っている若い男の子や女の子がいた。それぞれ、何人かが周りで聴いていたけど、みんな音がとても汚いんだ。ギターも声も、うまいヘタ以前に、精神性も含めて、人に聴かせるレベルじゃないんだ。私らおっさんに聴かせているんじゃないと言われればそれまでだけど(笑)。

 私はああいう若者がストリートで音楽をやっている光景は好きで、昔、仕事で徳島に行っていた頃にも、夜の10時頃、ほとんど人のいなくなった新町商店街で歌っている若者をよく見に行った。ギターで一人弾き語りをやっていた男の子がいて(レコードが流れているのかと思っていたら、彼が『スタンド・バイ・ミー』を歌っていた)、近づいたら彼女らしき女の子が一人だけ聴いていて、私は少し離れたところに座って、黙って1時間くらい聴いていたら、終わって彼が「ありがとうございます」と言うので「いつやってるん?」と聞いたら「だいたい毎日です」と言うので、それから徳島に行った時はたいてい彼の歌を聴きに行っていたのである。そういうわけで私はストリートミュージシャンを応援しているから、もうちょっとうまくなってくれ(笑)。

 それから散歩中に家内とダメ出し合戦(笑)。
「近年の時代劇の殺陣が見ていられない」
「若いタレント俳優の演技やセリフ回しが見ていられない」
「紀行番組等の女優のくぐもったようなナレーションが聴いていられない」

 こうやって年取って、小言じいさん、ばあさんになっていくんやろなあ(笑)。けどなあ、若者たち、クリエーターの皆さん、周りの「客」が寄ってきてたらそれでいいのかもしれんけど、絶対いろんなもののレベルが落ちてるぞ。
2010年7月16日(金)

 9:30から「B級グルメ」の企画会議。今日は運営リーダー組とビジュアル企画チームを集めて、2時間近くイベントのビジュアル関係の検討をした。私のゼミの会議のパターンは、

(1)持ち寄った案を一人ずつプレゼンする。
(2)プレゼン内容を私が一つずつチェック入れて、解説しながら問題点を整理する。
(3)私が用意した案を紹介する。
(4)学生案と私の案を併せて検討して絞っていく。
(5)次回会議の日程と、次回までの宿題を出して解散。

 ま、会議の進め方の基本であるが、ポイントは
・会議の席で案を考え始めるのは時間の無駄であるから、必ず案(仮説)を事前に考えて持ち寄る。
・必ず私も案を持っていく。
の2つ。特に後者は、学生の教育としていつも私が重視しているポイントである。つまり、プロの案を見せてやらないと、自分たちの案が社会で通用するレベルにどれだけどういうふうに足りないのかがわからないからである。よく「学生の自主性に任せる教育」とかいう話を聞くが、社会の実戦を経験したことのない学生の自主性に任せたのでは、たいていがプロとして通用しない「学芸会」になってしまって、私のよく言う「みんなで一生懸命やりました」で終わってしまう。「過程」で評価されるのは高校生まで。プロ(社会人)は「結果」で評価されるのだから、社会人の直前である大学では、そこに入っていかないといけないと思っているのである。

 で、今日は、学生が持ち寄った案がミクロな視点にとらわれていたので、一旦「目的は何や?」というスタートラインに視点を引かせて、企画全体を俯瞰させながら、まずまずの成果を出して終了しました。昼、食事に行こうとしたら、今年就職したM車が学科事務室に立ち寄っていた。

M車「お久しぶりです」
田尾「おー、ちゃんとスーツ着てるやんか(笑)。似合うのー」
M車「そうですか(笑)」
田尾「けど、まだ立ち方が社会人になりきってないな(笑)。あと、社会人として首が据わってない」
M車「首ですか」
田尾「おー。お前は背が高くてカッコええんやから、上半身、特に首から上をピシッとしたら完璧や」

 ま、まだ社会人4カ月目やから、わけわからんでもとりあえず頑張ってたら何とかなるわ。

 さて、多田と松野と松田と4人で出かけた昼食は目が点になるような展開を見せたのだが、わけあってここで詳細レポートをするわけにはいかん(笑)。ネタは『うどラヂ』行きだ(笑)。夕方まで大学で仕事をして、あとは家に持って帰って、夜7時過ぎ、家内と香西の「長江」に中華を食べに行こうということになった。で、家内が上村さんを誘おうと言うので電話をしたら捕まって、中華食べながら真面目な話とバカ話をしたのである。その「バカ話」の方(笑)。

田尾「何年か前に牛乳屋さんと、『世の中で誰がこんなこと思いついたんやランキング』を考えてたんですよ」
上村「何それ」
田尾「例えば、豆腐。あれ、大豆をああやって絞って豆乳にするまでは誰かが思いつくかもしれんけど、それににがりを入れたら固まって豆腐になるいうのを発見するのって、何か奇跡的でしょ?」
上村「なるほど」
田尾「で、そういうやつのランキングを考えてて、第1位が決まったんですよ」
上村「何?」
田尾「ボーキサイトを見て“これ、アルミニウムが取れるんちゃうか?”と思ったやつ(笑)。例えば鉄鉱石とか金鉱とかは、見たら何か金属が含まれてるのが外観でわかりますやん。けどボーキサイト、何か赤茶色い岩というか土の塊みたいなやつですよ。あれを見て誰がアルミニウムになると思います?」
上村「おー」
田尾「しかもですよ、例えば山火事とかで偶然燃やされたら何かになったとか、木の割れ目にたまった水が発酵して、偶然サルがそれを飲んだら酒になってたとか、偶然何かになったのを発見したいうのはまだわかりますけど、アルミニウムってボーキサイトを何かした後、電気分解するんですよ! どこで偶然、電気分解なんか起こります?(笑)」

 牛乳屋さんと話してた時は、そこで「ありえない」ということになって、全員一致で(2人やけど)「ボーキサイトを見て“これ、アルミニウムが取れるんちゃうか?”と思ったやつ」が第一位に認定されたのである。ところが、上村さんがそれに待ったをかけた。

上村「それはの、ボーキサイトが先でなくて、おそらく電気分解が先なんや」
田尾「どういうことですか」
上村「誰かがまず、電気分解を学習したんよ。そしたら、とにかく何でも電気分解してみたくなったんや」
田尾「あ、例えば顕微鏡を買ってもらったら、やたらなんでも顕微鏡で見たくなるやつみたいな」
上村「そうや。ほんでそいつ、もう何でもかんでも電気分解してたんよ。ジュースも醤油も(笑)、手当たり次第に電気分解してて、しまいに個体まで行ったわけや。うどんもおでんも電気分解や(笑)。それでもうするものがなくなって、庭の土から裏山の岩まで電気分解してたら、うわ! アルミができた! みたいなもんや(笑)」
田尾「おー! 絶対そうや!」

 牛乳屋さん、解決しましたよ! してないと思うけど(笑)、とりあえず第1位を選び直さないかん。というか、仕事しよ。
2010年7月15日(木)

 もー、多田が「iTunesで歌が買える」言うから、サルみたいに16曲も買うてしもたやんか! 

 現代的な皆さんには「何を今頃」と突っ込まれるのは承知の上であるが、パソコンも携帯電話もまだ江戸時代を行っている私は、しょうがない、まあ1、2曲、試しに買ってみるかと思って昨日の夜、まず「初iTunesのお買い物」で、石川セリの「死んだ男の残したものは」を買おうと探したら売ってなくて、第二希望の「八月の濡れた砂」を買いまして(笑)。続きまして、高田渡の「生活の柄」が見つからなかったので、長谷川きよしと加藤登紀子の「灰色の瞳」を買いまして。それで2曲続けて聴いていたら、何か変なスイッチが入ったやないか!

よし、この手の気持ちの良い声のやつで攻めて行こう。
谷山浩子「河のほとりに」
大橋純子「たそがれマイ・ラブ」

男の心地よい声も入れとくか。
荒木一郎「君に捧げるほろ苦いブルース」
中村雅俊「ただお前がいい」

クリアな声行くぞ。えーと、チェリッシュ(笑)。
チェリッシュ「ひまわりの小径」
チェリッシュ「なのにあなたは京都へゆくの」

2曲も行ったか! というか、曲の内容がつらい方に行きよる…。
もとまろ「サルビアの花」

そっち走ったか!
山崎ハコ「気分を変えて」
山崎ハコ「望郷」
山崎ハコ「流れ酔い唄」

うおおー! 止めてくれ!(自分で止めたらええんやけど)気を落ち着けて、
あべ静江「コーヒーショップで」
小坂恭子「想い出まくら」
岩崎宏美「ロマンス」
……

もう空腹でスーパーに行った状態だ(笑)。子供の頃、父ちゃんがテレビの歌謡番組で演歌とか聴きよって、「何でそんな古い歌を聴くんやろ…」と思っていたのが、何かわかってきた(笑)。とりあえず、16曲で止めました。アホです。

 今日の昼は、多田とトミーとオカピと4人でおか泉へ。冷や天おろしを食べて、昨日の晩16曲も買ったことを話しながら大学に帰ってきて、私は研究室で仕事に、多田とトミーはインタレスト編集室で作業に入った。しばらくして私が編集室に行ったら、編集の指示かと思って多田がこっちを見た。

田尾「多田」
多田「何ですか?」
田尾「あの、iTunesで買うた曲って、CDに落とせるんか」
トミ「完璧にはまってるやん!」
2010年7月11日(日)

 こないだNさんから「田尾さんの授業、聴きに行きましたよ」と言われたのである。

田尾「えーっ! 何の授業?」
N「マーケティング論」

 Nさんは今、四国学院大学に非常勤講師で教えに来ているのであるが、私のマーケティング論は150人くらいの学生が履修してきているため、階段式の大教室で授業をしている。そこで、こそっと紛れ込んでいたらしい。気がつかなかった。

田尾「どうでした?」
N「おもしろかった。すごくわかりやすいわ。あれは社会人が聴いた方が絶対役に立つと思う」
田尾「相手学生ですからねえ。マーケティングの実戦経験がないから、社会に出て使える原理原則だけ教えてるんですよ。だから内容は簡単(笑)」
N「でもね…」
田尾「学生でしょ?」
N「うん。もったいないなあ…って」

 つまり、大教室の後ろの方に座ってる学生が私語をしたり寝たり、全然聴いてないのがもったいないと言うのである。

 私も大学に来て授業を始めた最初の頃は、教室にいる学生全員に理解してもらおうと、工夫して苦労して悩んでいろいろ試していたのである。その結果、程なく授業を受けに来る学生たちに大きく2種類あることを再認識した。一つは、「とりあえず出席だけして、出席ポイントで単位が取れればいい」というメンタリティの学生。もう一つは「勉強して何かを身につけよう」というメンタリティの学生。前者と後者の比率は、だいたい「7:3」(笑)。

 さらに細分化すると、前者は
D級…ノートも取らず講義を聴きもせず、教室に来ているだけの学生(約30%)
C級…勉強するつもりはないけど、とりあえず田尾さんの話のおもしろいところだけ聴いている学生(約40%)
に分かれ、後者は
B級…きちんとノートを取って、内容を覚えるという、高校までと同じような授業の受け方をしてい学生る(約20%)
A級…聴きながら自分で考えているという、社会人としての向上心の芽生えが窺える学生(約10%)
に分かれる。あと、すでに2年か3年の時に単位を取ったのに、4年になってもう1回聴きに来ている学生が数名(笑)。

 で、試行錯誤の末、大教室で大人数を相手にやる授業では、後ろの方のボーッとしている学生は、原則としてほっとくことにしたのである(笑)。故林家三平師匠ではないが「今日はその辺のお客さんだけを中心にお贈りします(笑)」である。前の方の「聴く体勢にある学生」を中心に授業を進める。それを、後ろの方は聴くなり聴かないなり好きにしなさい、と。ほんで、何かに目覚めてきたら、自分で前の方に来いと。たいてい目覚めんけど(笑)。

 まあ、それでいいかなと思っているのである。理由は、「聴く気のない学生に全力で向かっていってもむなしい」というのもあるけど、彼らもいずれ社会に出たら、いつかどこかで自分に関わってくる場面に直面して、何かを「聴く気」になる時が来るから、その時に必死で勉強しても十分間に合うだろうと思っているからである。

 だいたい私自身がそうだからなあ。自分の経験から言えば、必死で勉強してそれなりに成長したなあと思うのは高校、大学の受験時ではなく、大学の時でもなく、社会に出てからである。具体的には、就職して最初の4年くらいは無我夢中だから「目的を持って勉強した」という意識はあまりない。目的を持って勉強した1回目は、タウン誌に携わって編集長になった20代後半から30代前半の数年間。2回目は、経営陣に入った30代後半から40代前半の数年間。今振り返ると、そんな気がしますねえ。あの2回でグッと…まあ大した成長ではないけど(笑)。

 だから学生には、ここでその気にならなくても長い人生の中で「変われる時」「成長する時」が来るだろうと。そんな構えでおります。まあ「その気になる」のは早いに越したことはないのだろうけど、努力の本番は社会に出てからだろうと。授業では魂が抜けている学生たちにも、授業以外で会ったら時々そんな話をしています。学生時代に「学ぼうとしないやつ」も、まだ十分可能性は持っている。それより、社会人になると現れる「わかろうとしない人」の方がやっかいで(笑)。
2010年7月9日(金)

 引き続き、体調安定(航海日誌みたいになってきたな・笑)。思い起こしてみると、5年くらい前のダイエットに成功して快調だった頃を「10」とすると、2年くらい前から「7」か「8」くらいでずーっと来てたのが、先月あたりから「4」か「5」くらいにどーんと落ちて、こないだは「3」まで落ちたのが、今、「7」に回復した感じ。まだ「10」でないではないか、と思うかもしれんけど、私はもう人間として摩耗の時代に入っているから、「7」を「通常」だとして受け入れることにしているのだ。いつまでも昔の「10」を基準にしていたら、人生の終盤を「悪あがき」してしまうからなあ。

 さて、今日は朝9時半から、別のゼミ授業である「世界のB級グルメプロジェクト」の商品開発チームを集めて、年末のイベントの企画会議と情報収集作業をしていたのである。集まった学生メンバーは、プロジェクトリーダーの矢野(男)、近藤(男)、商品開発チームの部門リーダー田中(女)、以下スタッフの佐々木(女)、山地(女)、塩出(男)、大津(男)、豊田(男)。マッテオ(イタリア人学生・男)は欠席。マッテオには、「8月にイタリアに帰る」言うから、こないだ現地での情報収集を指示してある。

 これに加えて、インタレスト組から多田とトミーが助っ人でチームに入った。さらに、今回の企画にはプロのお菓子職人が必要なので、こないだS原を通じて高松のマカロン屋の…でなくてケーキ屋の「モンシェール」の変なおじさん…でなくてパティシエの住田さんに協力要請もしてある。

 企画はある程度概要が見えてきたけど、まだ手探り状態である。ところが今日、佐々木がなかなか奇抜な情報を入手してきて、みんなでそれを見ながら「これはいけるんちゃうか?」ということになって、だんだんテンションが上がってきた。そこで、ここは一気に進めた方がいいと思った私はその場でモンシェールに電話をし、住田さんに「今から行くで」いうて、次の授業のない近藤と佐々木、それに「ケーキ屋さん? 行く行くー!」いうて着いてきた多田とトミーを乗せて、5人で直ちにモンシェールに向かったのである。

 道中、トミーと多田と私のマシンガントークに初めて出くわした近藤と佐々木が戸惑いながら、昼前にモンシェールに到着。店の隅っこのテーブルに集まって、住田さんを入れてイベント概要の相談を始めた。はたしてこんなものを作るのが可能なのか、それは客に受けるだろうか、予算内で収まるのか、段取りはどうするか…と、いろいろ検討する。まだとっかかりの段階で、実際やり始めたら細かい修正点はたくさん出てくるだろうが、30分くらいの検討で「たぶんいけるぞ」という感じになってきて、学生たちも目が輝いてきた。

田尾「よし。じゃあ今後のスケジュールは一旦こっちに引き取って、内容を具体的に詰める作業に入りますわ。それからもう一回、こっちに作業を持ってくる」
住田「わかりました。あと、一つだけお断りしとかないかんことがあるんですけど」
田尾「何?」
住田「実は私、小麦粉アレルギーなんですよ」
全員「えーっっっ!」
田尾「小麦粉アレルギーのケーキ屋って! ほなここのケーキ、何の粉で作っとん? 龍角散とか?」
住田「何でやねん」
トミ「米粉?」
住田「そうなんです」
田尾「米粉はコシがないやんか。箸で持ち上げたらぷつぷつ切れるやろ」
多田「うどんじゃないんですから」

 私があまりに不安そうにしてたら、それを察した住田さんが「食べてみますか?」いうて、米粉で作ったロールケーキを持ってきた。パサパサ感があるんちゃうか? と思いながらそいつを食べると…

田尾「あれ? うまいやんか」
多田「おいしい!」
トミ「おいしーい!」
近藤「これ、いけますよ!」
住田「ね、いけるでしょ? でも小麦粉も全然ダメというわけではないんで」
トミ「わかった、こうしましょう。もし小麦粉を使うことになったら、作業は私らがやって、住田さんは宇宙服着て、横から指示を出してもらう」
全員「おー! それで完璧!」
住田「何でやねん」

 わーわー言いながら午後1時前、予想以上の収穫で企画は大きく前へ進むことになった。我々はロールケーキの残りとお茶を飲みながらエンディングの雑談をしていた。その時、店のドアが開いて、男が2人入ってきた。何かを捜索する刑事のような目つきで店内を見回したあと、我々を見つけた1人がもう1人に言った。

男「いましたぜ」

 和田とごんやないか!

ごん「何しょんですか!」
田尾「打ち合わせやんか」
和田「いやもう田尾さん、笑いの神が降りてきてますわ!」
田尾「何でや」
和田「いやね、さっき、ごんさんと昼飯食いに行こう言うて車で走ってたんですよ。それで車の中でね、田尾さんの話になって。ほら、日記で血糖値が高いいうて書いてたでしょ?」
田尾「確かに」
和田「それでね、ごんさんと『田尾さん大丈夫ですかね…』とか話してたんですよ。『甘い物、食べられませんよ』『いや、あの人は自分で節制できるから、今頃自分で甘いものを断って頑張ってるに違いない』『そうやなー』とか言うてたところへ、ふとモンシェールの前に差しかかったら、ボルボ13が止まってるやないですか! 目をこすりましたよ! 善通寺で授業してるはずやのに高松のこんなハズレで、しかも高血糖値の人が、ケーキ屋って! ようそんなオチ考えますわ!」
田尾「ギャグちゃうわ! 打ち合わせで来たんやんか!」
和田「いやいやいや、3日も前から日記でネタ振りして、オチはここかい! みたいな」

 ほんまにもー。きみら、ようそんな奇跡のタイミングで通りかかるわ。とりあえずそういうわけで、今、楽しいイベント計画が進行中です。
2010年7月8日(木)

 昨日の午後からずーっと、体調が良好です。松本君、心配かけてすまん。ここ1カ月のうちで一番調子がええ感じがする(笑)。勢いで朝から授業を1本。終わって午後、「インタレストの地雷(笑)」トミーを連れて、善通寺市の教育委員会に資料確認に行く。ちなみに前日のインタレスト編集会議での会話。

田尾「誰がナンシーや」
トミ「さとみ」
田尾「松井やないか!」
トミ「さとみ、ナンシーになったもん」
田尾「言うてることがよくわからんが…」

 どうもインタレストメンバーの松井の愛称が「ナンシー」になったらしい。ま、松井をどうしても外国人名で呼べと言われたら「ナンシー」しかないことは認めるが(笑)。ちなみに、本人の名誉のために言っておきますが、ナンシー関の連想ではありません(笑)。しかしステファニーが卒業したら今度はナンシーか。ふう…。富永が「トミー」でスシ太郎が「トニー」で、多田が「ポテチ」やったっけ。

多田「たらです!」

 ほんで松野が「おいどん」か。松野だけ純和風やんか。ま、みんな楽しんでくれ(笑)。

 市役所で用事を済ませて編集室に帰ったら、OBの三野が来てパソコンで何か見てた。しょうがない、こないだ仕入れたネタを提供してやるか。

田尾「ええ歌があるんや」
三野「何ですか」
田尾「ユーチューブで『るるるの歌』って入れてみ?」

 こないだ、NHKで何かの番組を見てて、番組が終わってそのままにしてたら『シャキーンザナイト』という番組が始まって、子供番組みたいなのでチャンネルを変えようかと思ったら、めちゃめちゃシュールなキャラクターが出てきて、さらに想像以上にシュールなセンスのコーナーが続いたので、つい見入ってしまった。その中で出てきた歌。「はじまり編」「おしぼり編」「未来編」…何本かあるけど、ようできとるわー。三野も喜んでおりました(笑)。

 それから来客があって、会議があって、夜は超有名企業の会長ご夫妻と会食。夜11時頃帰宅。まだ体調は良いまま。松本君、もう大丈夫みたいや。
2010年7月7日(水)

 体調が波打っております(笑)。

 何事かというと、2年前から健康診断のたびに「血糖値が高いので早よ病院に行ってちゃんと看てもらいなさい通告」が出ていたのを、こないだまで放置していたのである。というか、正確には放置していたのではなく、以前、ウォーキングと食事の節制で自力で高血糖値を正常に戻したことがあるので、今回も自力で回復できると思って病院に行かずに、適度の運動と節制をしていたのだが、こないだの健康診断で、どうもほとんど回復してないみたいであることが判明。併せてこないだから頭も痛いので、月曜日、ついに病院に行ったのである。

7月5日(月)

 病院で血液検査をしたあと、そのデータを見ながら先生と相談した結果、「じゃあ、血糖値を下げる薬を飲みながら3週間ぐらい状況を見ますか」ということになった。午後2時頃、診察終了。朝から何も食べてなかったので、そのまま昼食に行って、そこで私は生まれて初めて、血糖値を下げる薬とやらを飲んだわけです。

 で、今日は仕事にならんのでそのまま家に帰ったら、夕方3時半頃、突然眠気が来て、コトン…というよりゴン! と寝てしまった。そのまま意識不明で爆睡(ま、寝てる時はたいてい意識不明だが)。それからどれくらい寝たのか、何かの物音でガバッと起きて(犬か)時計を見たら、8時半! うわっちゃー! どんだけ寝たんや! 授業に間に合わんが! あわててバタバタと着替えを始めたら家内が

家内「ご飯食べるん?」
田尾「あかん! 時間がない!」
家内「どっか行くん?」
田尾「学校や!」
家内「こんな時間に?」
田尾「授業や」
家内「夜やで」
田尾「へ?」

 完璧に朝の8時半やと思ってたら、夜の8時半でした…というプチ錯乱(笑)があって、それから気を落ち着けて、けどモヤモヤした頭のまま、夕食をすませて、それからゴチャゴチャと雑務をして午前1時頃、再び寝た。以上、月曜日の夕方から夜まで、体調「どんより不良」。

7月6日(火)

 翌朝(火曜日)、6時半頃起きて、朝食を済ませて薬を飲んで大学に行って授業準備をしていたら、何かここんとこ経験したことのないような快適な体調になってきた。何と、頭痛もほとんどなくなってる。何だかものすごく晴れ晴れとした気持ちで、12時40分に午前中の授業を終える。依然、絶好調! その勢いで、次の授業との間が短いのでいつもは昼食抜きのところ、何か規則正しい食事をした方がよさそうなので、大急ぎで清水屋に突撃した。

 暑いから「冷やしうどん」を食べようと思ったのだが、何か栄養もちょっといるんちゃうかと思って、しかし冷やしうどん食いたいし、天ぷらかおでんをつけるか…と思案した結果、

田尾「ちょっと無理な注文してええ?」
清水「ええですよ。できることなら」
田尾「冷やしうどんとな、豚キムチうどんの麺とダシ抜き」
清水「えーっ!」
田尾「豚キムチうどんの上に乗せる豚キムチをおかずにして、冷やしうどんを食いたい(笑)」

 えーと、無理を聞いてくれました(笑)。よい子も悪い子もマネしたらダメですよ。で、薬も一緒に飲んで、直ちに次の授業に向かった。火曜日の朝9時頃から昼1時過ぎまで、体調「すこぶる快調」。

 そしたら…あれ?…教室に入った途端、何か頭がボーッとしてきたぞ。いかん、せっかく快調だったのに、またどんよりしてきた。しかし気力で2本目の授業を終え、残務を済ませて6時半頃帰宅。そのまま再び出かけて7時過ぎからFM香川で『うどラヂ』の録音を2本録って、夜の9時頃家に帰る。体調はどんどん悪くなっていく。頭痛が強くなってきた。しかし仕事が残っていたので、深夜1時半頃まで頑張って、就寝。

7月7日(水)

 で、今朝(水曜日)である。朝食と薬を飲んで大学に行ったのだが、もう最悪の状態。頭は痛いし、思考もまとまらない。午前中は授業がないので研究室で資料作成とかやっていたのだが、とうとう机に突っ伏して寝てしまった。

 30分後、起きて背伸びをしていたら、研究室のドアをノックする音。額に赤い「寝てましたマーク」をつけたまま「はーい」言うたら、学生の溝渕だ。

溝渕「築地に行ってきたんで、おみやげ買うてきました」
田尾「おー、すまんのー。何や」
溝渕「佃煮ですけど」
田尾「渋いとこ行くなー(笑)。家でおかずにするわ」
溝渕「(私のやつれた顔を見て)どしたんですか?」
田尾「頭が痛いけん、ちょっと寝よったんや」

 火曜日の午後1時半頃から水曜日の午前中まで、体調「最悪」。

 佃煮をもらって、それから気分転換に研究室を出てキャンパスを一周歩いてきた。研究室に帰ると、ん? 何か頭痛が消えてきたぞ…と思う間もなく、みるみるうちに体調が回復してきた。午後1時半、完璧に回復。頭痛どころか、先週からずっと残っていた首の奥の鈍い痛みまでほとんどわからなくなっているではないか! 

 そのまま1時半から、インタレストの編集会議に突入。10号編集長の松田スシ太郎の進行で、何班かに分かれた特集チームからの状況報告が進んでいく。今回は集め物がとても多いのだが、みんなよく鍛えられてきたので、情報収集も管理もずいぶん上手になってきた。そこで今日は、もう一つ上の段階の指示をする。

田尾「ええか? 今回の第一特集の情報はだいたい8割ぐらい集まった。では、次にすることは何か? ここで普通は、残りの2割を集めることに意識が向かうだろ? けど、編集長と特集リーダーはそこに行ったらいかん。残りの2割は集める手法もみんなだいたいわかってるから、そこは下のスタッフに任せて、トップはここでもう一回、全体を眺めるんじゃ。で、集まった8割のデータの現物を見ながら、見せ方の再構築をする。さらに、本全体の中でこの特集がどういう位置を占めるか、どれくらいのボリュームにすれば本全体のバランスが取れるか、他の特集と併せて本全体からどういうメッセージが出せるか。ええか? リーダーは最初に決めたアウトラインに縛られたらいかん。最初に考えた企画いうのは、集める前に考えた企画や。実際に動いて集めてみたら、必ず予想外のものが見えてくる。だから、企画内容は変わっていくものだと思え。いつも実際に集まった情報やデータを見ながら、どんどん修正して、よりよいものに変えていく、そういうもんやと思え」

 学生というのは、若さがあるから考え方も若く新しいと思ったら、大きな間違いである。彼らは実戦経験がないから、逆に「形から入ってしまい、その形を必要以上に守ろうとして、自らその形に縛られてしまう」うという習性がある。特に、先輩たちから代々受け継がれてきたサークルやナントカ実行委員会みたいな組織の中では、前例踏襲や過剰なルール遵守が染みついていて、もうほとんど安物の「なんちゃって官僚組織」のようなメンタリティがはびこっているのである。インタレストは私がやっているので、そんな融通の利かない「学生進行」はさせない。

 3時過ぎに編集会議終了。続いて3時20分から、私の担当する2つ目のゼミの「世界のB級グルメプロジェクト」の学生メンバーが集合して、4時過ぎまで企画会議。こっちはインタレスト軍団ほど鍛えられてない学生ばかりであるが、なかなか向上心のある学生が何人かいる。このチームは今、12月に予定しているちょっとおもしろいイベントに向けてスタートしたばかりだ。今から数カ月、「楽しそうでおもしろい」ではなく、プロのレベルで企画が実現していく中で「自分が成長していくおもしろさ」を体験させてやるからな。

 というわけで、今、夜の11時まで、体調は快調のまま。この数日のアップダウンは、初めての薬による初期不良だった、ということにしておこう。急いで片づけないかんちっちゃい山を別に3つ抱えているが、マスターとごんとTさん、ちょっと待ってね。明日はびっしり忙しいけど、金曜と土曜で片づけるから。
 
2010年7月3日(土)

 一週間のご無沙汰でした、と言っても「玉置宏」が思い浮かぶ人がめっきり少なくなって(笑)。この間、頼まれごとをきちんと断るという、自分で自分を褒めてやりたいような出来事が3件もありまして、一つは国のある省からの要請であったが、内容をよく調べると国の無駄遣いの手先になるような案件だったのでお断り。もう一つは県のある課からの依頼で、言ってることと本音が明らかに違う話であり、そんなのは民間でやればいいことだと思ったのでお断り。もう一件は、ある放送局からの依頼で、知り合いからの電話だったのだが、気乗りのしない案件に対して偽善的な応援コメントを求められたのでお断りした。偉いやろー? 成長したやろー?(笑)

 さて、今日は夕方まで割とダラダラしていたのであるが、理由は、まだ首の芯のあたりの鈍い痛みがちょっと残っていて、気分がもう一つだったからだ。で、朝、早起きをして四国新聞をボーッとめくっていたら、何ページ目かの参院選特集の見出しに大きく
「違い見えぬ成長戦略」
と書いてあったので、読むのをやめました。ほんまにアホかと思いました。何で日本の国の「成長戦略」に、政党ごとの違いを出さないかんの?

 成長戦略って、要するにGNPかGDPか知らんけど、経済成長を実現するための戦略でしょう? そういうものは、会社だろうが国だろうが、前提(今の日本の状況)が同じなんだから、「解」の方向性というか本筋は、プロならどこが考えてもよく似たものになるはずでしょうが。それに「違いを出せ」と言うのは、どちらかに「間違った解を出せ」ということじゃないですか。論評の目的を完全に見失っている。「成長戦略」というのはイデオロギーじゃないんだから、政党が違っても「国を成長させる」という目的が同じなら、戦略が「同じような答」になるのは何もおかしくないじゃないですか。

 そういえば沖縄問題の時も、自民党がまとめてきた「辺野古案」を民主党がひっくり返そうとして、結局辺野古案に戻ろうとしたら、「同じ答」に戻ろうとしたのに自民党は「迷走している」と非難していたし、民主党が「消費税10%」とか言ったら、自民党の谷垣さんが「それはうちが出した案だ」と、「同じ答」になったのに非難した。で、今度民主党が出した成長戦略に対してまた谷垣さんが「うちが出した案とそっくりだ」みたいな非難をした。

 防衛戦略も消費税も成長戦略も、目的が同じなら「それを達成するための優先的な手段」がよく似たものになるのは、プロがやれば当然のことである。政党や官僚の目的は「国を良くすること」より「自分たちがいい目をすること」の方が優先順位の上にあるのはもうすっかりバレているけど、ジャーナリズムまで目的を間違ったらダメですよ。

 などという面倒なことを考える気力がどうも充実してこないので、本日はこの辺で。女子ゴルフ、高松出身の新人の綾田がだんだん良くなってきました。明日、何とか10位以内に踏みとどまってね。
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