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2010年04月の日記
2010年4月30日(金)

 午後6時半、朝からずーっと苦しんでいた仕事を一つ終え、今晩は長谷川穂積の世界戦があるので注目の一戦を前にちょっとソファでくつろいでいたら、家内と長男が「外食に行こう」と言ったのである。聞くと長男は明日、東京に(正確には千葉だが)帰るらしく、家族で外食に行くなら今晩しかないということであった。

田尾「しょうがないのー。どこ行くんや」
長男「どこと言われてもなー」
田尾「リスト上げるぞ。回転寿司」
長男「うーん、微妙やな」
田尾「中華」
長男「中華は違うな」
田尾「焼肉」
長男「ちょっと重い?」
田尾「トンカツ」
長男「重いか」
田尾「インド人のカレー」
長男「カレーなあ…」
田尾「遊」
長男「遊って何?」
田尾「和食の割烹や」
長男「オカクラみたいなん?」
田尾「何やオカクラって。天心か?」
長男「うわ、岡倉天心って何した人や」
田尾「ネットで調べろ」

 話が脱線するのは我が家の家系だ(笑)。それから「岡倉天心」を調べ、何のつながりか「角倉了以」まで調べ(笑)、結局巡り巡ってイタリアンのピッコロジジに行くことになったのである。マンションを降りて駐車場のゲートを開けて車に乗り込んでカーナビのテレビをつけたら、7時10分過ぎ。7時から始まるボクシング中継だというのに、もう両者リングに上がっている。7時から中継が始まって8時過ぎてゴングが鳴るような亀田の試合とえらい違いだ。

 車でピッコロジジに向かっていると、とうとう第1ラウンドが始まってしまった。ライオン通りの駐車場に車を止めた時、第1ラウンド終了。実況アナウンサーが「何ともハイレベルの第1ラウンドが終了しました!」と叫んでいるが、ダメだ、たぶんスパゲティ食ってる間に試合が終わってしまう。後ろ髪を引かれながら、7時35分、我々はピッコロジジに入った。

 ここのスパゲティ、うまいのよ。3人でスパを1コずつ。これにスープ(これがまたうまい)とサラダと牛肉のマリネを張り込み、満足の夕食を終えて時計を見たら8時30分を回っていた。

田尾「1ラウンド3分でインターバルが1分あって、12ラウンドまで行っても50分以内か。もう完璧に終わっとるな」

 そう言いながら車に乗ってエンジンをかけると、ボクシング中継が映った。「次の西岡の試合か」と思って見ると、

田尾「え?! 長谷川がやりよるやないか! 何でや!」
実況「第1ラウンド終了ー! 何ともハイレベルの第1ラウンドが終了しました!」
田尾「第1ラウンド? 店に入る前に第1ラウンドが終了したやないか。その実況、店に入る前に聞いたぞ! どういうことや。俺らがスパゲティ食べるの待っててくれたんか?」

 続いて第2ラウンドが始まった。ということは、ダイジェストでもないんか? ほんまに今、第2ラウンドをしよんか!

長男「俺ら、ほんまはスパゲティ食べてないんちゃう?」
田尾「あのスパゲティとスープ、幻やったんか! 大丈夫か俺ら!」

 それから家に帰るまで、何がどうなっているのかわからないまま、カーナビのボクシング中継は続いた。駐車場に車を入れた時、第3ラウンド開始。そこからマンションの部屋に帰ってテレビをつけたら、第3ラウンドが終わって第4ラウンド開始。時計はすでに8時40分を回っている。番組表を見ると中継は9時までだ。一体どういうことだ? 食い入るように見てたら…

田尾「うわー! KOされたー!」

 と思った瞬間、画面はロッカールームで敗戦のインタビューを受ける長谷川に切り替わった。何や、全ラウンドのリプレイやってたんか。ま、そらそやわな。ビジネスの世界で「相手の気持ちになって考える」習慣のついている私は、万感の思いで長谷川の画面を見ていた。うー、ここ、気持ちの整理をどうつける…。
2010年4月29日(木)

 そろそろ水槽レポートをお届けしなければならない。お届けしなくてもいいけど(笑)。あの黄砂は数日後にようやく収まったのであるが、それでも薄〜く霞がかかったままで、しかも魚が多いせいか、尿のアンモニアで水がすぐに薄〜く黄ばんできて、実は今月中旬、ついに全面清掃に踏み切ったのである。魚を別の水槽に移し、底の小石から水草まで全部出して3時間ぐらいかけてすべて洗い終え、全部戻して一晩水を循環させたら翌朝、未だかつて見たことのないような透明感あふれるクリーンな水槽が出現して、しばらくものすごく気分爽快だったのである。

 しかしそれも10日ほどするとまた薄〜く黄ばんできた。そこへ昨日、飛んで火にいる長男が連休で帰ってきたのである。これまで、年に2〜3回帰ってくるたびに無理やり水槽の全面清掃を手伝わせていたので、ここは一つ声を掛けてやらないかん(笑)。

田尾「しょうがないのー、水槽の水替えするかー」
長男「頑張ってくれ」
田尾「お前な、新兵器があるんぞ。底の小石の間のゴミを吸い取りながら水を排出するポンプじゃ。これがあれば水替えがとても楽しくできるぞ」
長男「そんな楽しみを父ちゃんから奪うわけにはいかんな」
 
 仕方がない。ゴミ取りと廃水は私がやることにした。4分の3ほどの水とゴミを抜いた後、バケツで新たな水を入れ直す力仕事を長男に手伝わせて、水が満水になった後、私は水草の植え直しに取りかかったのである。

 流木のついた葉っぱの大きい水草が大小合わせて8株。これが「森」を構成する。あと、真っ直ぐ伸びた茎の周りに濃い緑の細い細かい葉っぱがいっぱいついたやつを10本くらいずつ束ねたやつが5株、細く伸びた茎に黄緑の小さい葉っぱがいっぱいついたやつを5〜6本束ねたやつが5株、表が緑で裏が紫の葉っぱがついたのを数本束ねたやつが2株、それとマリモが1コ。これが「林」を構成するやつ。

 これまでは、水槽の中央奥に「大きい森」を作って、向かって右に「大きい林」、左に「小さい林」という配置だったのであるが、水替えで水草を動かしたので、せっかくだからレイアウトを変えようと思って構想を練っていたところに長男がやってきた。

長男「何を考えよん?」
田尾「水草の配置や。大きな構想を言うとやね、後ろに広く森、前に広く林という組み立てにするか、思い切って右に大きく森、左に広く林、という組み立てにするか、ここが考え所なんや」
長男「チッチッチ、森と林を分けようとする時点でダメやな」
田尾「何でや」
長男「そんな発想では現代アートに置いてけぼりにされるわ」
田尾「わかった、そこまで言うならお前に任してやるわ」

 水草のレイアウトを長男に任せて、私はパソコンに向かって仕事を始めた。後ろで長男が何やら言いながら、小石群で底に小山を2つ作り始め、ああでもない、こうでもないと水草を動かしよる。しばらくしてのぞいてみると、森と林が入り乱れて何やらごちゃごちゃしとるでないか。

田尾「お前、それインパクトがないんちゃうか? 中心がないし、森も林もわからんでないか」
長男「まだ途中や。構想は決まっとんやけど、細部の微妙なあしらいが決まらんのよ」

 とかいいながら、またあちこちを微妙に動かし始めた。再び仕事に向かう私。30分くらい経った頃、長男が「よっしゃ。完璧や」と言った。見ると、ほう、流れができとるやないか。

長男「見てん。この右奥から左前に出てくる流れと、左奥からちょっとだけ真ん中に出てくる流れ。これが非対称に合わさってこっちに向かってこう出てくる感じ。もう完璧や」
田尾「タイトルは何や」
長男「まあ、『シティ感覚の躍動感』かな(笑)」

 くそー、ムチャ振りにも返してきやがる(笑)。

長男「科学者は完璧なものを作ったらモチベーションを失うからいかんのやけどな」
田尾「誰が科学者じゃ!」

 ちなみに長男は科学者志望ではないが、理系である。私はそんなことをつゆ知らず、長男が高校3年の時に進路相談会に呼ばれて高校に行って、担任の先生と長男が話しているのを聞いて「お前、理系やったんか!」と言って長男と先生の目を点にしたことがある(笑)。それからいろいろ話ながら先生を笑わせて相談時間を終え、部屋を出たら次の女子高生とお母さんがいたので「中、暖めときましたから(笑)」と言ってまた笑われたという、バカ親である。ついでに言えば、うちの長男も長女も小学、中学、高校の12年間、ただの1回も「塾」に行ってないという、教育に無策な親である。けどまあ、とりあえずここまで普通に来たからええか(笑)。

 そういうわけで本日初めて、私は「親が息子に追い越された瞬間」みたいなのを体験しました(笑)。「水槽の水草でかい!」と自分でツッコミを入れとくけど(笑)。
2010年4月28日(水)

 連日、インタレストの構想に苦しんでおる。第一特集の素材は「香川の山」。ある切り口に沿って30〜40の素材の発掘はほぼ終えているのであるが、どう見せるか、その分類と並べ方がどうにも決まらないまま1ヵ月。先週の授業では学生10数人を集めて、30〜40の素材を見ながら「これをどう見せるか?」というテーマで1時間くらい、みんなに意見を出させ、私の頭の中の混沌状態も全部口に出してしゃべりながら、結局混沌状態のまま、その日の授業を終えた。

田尾「な、難しいやろが。分類して並べるだけなら簡単な話や。けどそれでは、ただのデータベースかレベルの低いカタログになってしまう。それではただ“たくさんあります”というメッセージしか出ん。おお! と驚いてもらう。行ってみようと思わせる。地域の素材が味方によってこんなに魅力的になるのか、という発見をしてもらう…そういうメッセージを出そうと思ったら、たかが『見せ方』にこれだけ苦労する。そんな苦労も読者には半分くらいしか伝わらんけど、それでも苦労してメッセージを出し続けるのが『魂の情報発信』だ」

 とかいう、社会の現場に出たことのない学生には頭でしか理解できない難しい話だが、そんなことを日々やっております。で、昨日は連休前のインタレストの時間。いつまでも構想で引っぱれんので、企画作りのレクチャーをした後、30〜40の素材の位置を示す「コマ地図」づくりの作業を一気にやることにした。情報誌の店紹介なんかについている小さい簡略な地図ね。

田尾「そういうわけで、今からみんなでコマ地図を作るぞ」
富永「え? インタレストでそんなおいしそうなものも作るんですか?」
田尾「何がおいしそうなんや」
富永「だってあれでしょ? チーズを砕いてふるいにかけて…」
田尾「それは粉チーズじゃ!」

 富永、次期副編集長候補。どこから弾が飛んでくるかわからん(笑)。
2010年4月24日(金)

 火曜日の夜、私の手元に『超麺通団4』が届いたということは、もう本屋に並んでいるのではあるまいかモンゴイカ。すいません皆さん、何とかゴールデンウィークに間に合ったようです。早々と手に入れた団員Dから「期待以上におもろくて安心しました」というメールが来たが、私も2日かけて読んだらめちゃめちゃおもろかったわ(笑)。というか、あんなに読むところの多い讃岐うどんガイドブックは他にないと思います。しかも写真のキャプションまで全部私が書いてますので油断がなりません(笑)。「讃岐うどんの何たるか」から「魂の情報発信の手法の片鱗」、果ては「企業倒産のメカニズム」の勉強までできるこの一冊を、ぜひご購入、ご熟読いただければ内山さんが幸いです(笑)。

 さて今週はいよいよ『インタレスト』に追い詰められてきた。何が追い詰められてきた原因かというと、今回は香川の山の特集がメインなのだが、ずーっと天気が悪くて写真が撮れんのよ。学生スタッフ総出で香川県下を走りまくって山のあるビューポイントをかき集めているのだが、とにかく雨は降るし曇るし、たまに天気のいい日があっても学生たちは授業やバイトで行けなかったりするし。しかも撮影には関係ないけど寒いし。私は地球温暖化にCO2なんかほとんど影響してないと思っているのだが、「地球は温暖化している。その犯人はCO2だ」と言っている皆さん、これ、CO2をもっと出した方がええんですか?(笑)「寒いのも地球温暖化のせいだ」とか、無茶苦茶な論理でわけのわからないことを言っている人もいましたが(笑)。

 とりあえず今日、やっと4ページ分を松本君に届けてきました。これからゴールデンウィーク明けまで、怒濤の追い込みを余儀なくされております。明日はオープンキャンパス。私は緩くて楽しくて時々ピリッとする模擬授業を担当しているので、興味のある高校生の皆さん、お気楽に聞きに来て下さい。
2010年4月18日(日)

 土曜日の夕方、天気予報を見ると翌朝の朝は晴れとのこと。これはもしかしたら今季最後のチャンスかもしれんと思った私は、この絶好機を誰に知らせるべきか悩みに悩んだ結果、ごんに電話をした。

田尾「明日の午前中、時間ある?」

 瞬時に危険を察知するごん(笑)。

ごん「何ですか?」
田尾「第1回香川の自然の神秘体験ツアーが開催されるんやけど」
ごん「何かイヤな予感がするんですけど」
田尾「お前な、香川県民なら死ぬまでに一回は絶対見とかないかん神秘やぞ。しかもそれには、性能のいいカメラと三脚と、あわよくばビデオカメラがいる。となると、きみしかおらんやんか」
ごん「で、何があるんですか」
田尾「かくかくしかじかで…」
ごん「ほうほう」
田尾「というわけで朝5時集合ね」
ごん「あいててて…ちょっと体調が…」

 隊長は私だ。あと「ツアーのオモチャにH谷川君にも連絡しといてね」と言い残して、今朝5時を迎えたのである。何があるのかというと、全国に「○○富士」は数あれど、本家の富士山を除くと日本で2番目に美しいと評される香川県丸亀市の飯野山、通称「讃岐富士」。映画『UDON』でもおなじみのこの讃岐富士は、ほぼ完璧な左右対称の形をしていて、しかも平野の真ん中にポンと独立してそびえているという優れものの山。その西側すぐ近くの宮池の土手から見ると、池の水面に山が映り込んで見事な「逆さ讃岐富士」が浮かび上がる。さらに早朝にそこへ行くと讃岐富士の向こうから朝日が昇ってくるのだが、この時期と8月頃の年に2回だけ、その朝日が讃岐富士のピンポイント山頂から昇って来るという、しかもそれが池に映り込むという、奇跡の「逆さダイアモンド讃岐富士」が出現するのである。

 実は4月15日頃から25日頃にかけての1週間くらいの間に「逆さダイアモンド讃岐富士」が見られるという情報を入手していたインタレスト軍団は、金曜日の雨が上がると予想された土曜日の早朝5時半頃に学生編集長の松野を現地に派遣し、すでに今年一番の逆さダイアモンド富士を写真に収めたばかりなのだが、土曜の朝は少し風があって池の水面にさざ波が立っていたため、映り込み度合いだけがちょっと不十分だった。そこで翌日曜日の早朝、ワタクシ御大自ら出動することになったのだ。

 朝5時、ごんが我が家に車で迎えに来た。珍しく朝早く起きていた家内も「行く」言うので、3人で高松を出て30分くらいで現地に着くと、宮池の土手にはすでに10人くらいのアマチュアカメラマンがズラッと並んで三脚を立ててカメラやビデオをセットして待っている。すでに日の出の時間は過ぎてあたりは十分明るいのだが、三角の飯野山のとんがったてっぺんから太陽が出るのは午前6時15分頃だ。土手には子供を連れた家族もビデオカメラやケータイを持って集まり始め、しばらくするとH谷川君もやってきた。

ごん「来んでええ言うたのに」
H谷「何言いよんですか。団長とごんさんが来てて僕が来んかったら、後で何言われるかわかりませんやん」
田尾「ま、H谷川君だけ来んかったら、そのネタで『うどラヂ』2本分は引っぱれるわな(笑)」

 などとバカ話をしながら待っていたら、6時過ぎ、讃岐富士の山頂付近が一段と明るさを増してきた。晴れではあるが、水蒸気が少し上がっているせいかスコーンと抜けた空ではない。しかしそれがかえっていい感じでもある。あとは池の水面。見ると、少しさざ波が立って、やっぱりクリーンには山が映り込んでない…。しかし、朝焼けの逆光に黒くそびえる讃岐富士の圧巻に期待は膨れ上がる。そして6時10分、讃岐富士の山頂が赤く燃えだしたその瞬間、奇跡的に風が完璧に凪いで池の水面が鏡になった!

田尾「おおー! 水面が完璧になった!」

 ご来光ー! 讃岐富士の山頂から朝日がピカーッと光った瞬間、あちこちで無数のシャッター音が重なる。あれほど体調がどうの言うてたごんが、何かのスイッチが入ったかのように写真を撮りまくりよる。私もあちこち位置を変えながら、気がつくと40枚ぐらい写真を撮っていた。

 6時30分頃、神秘の「逆さダイアモンド讃岐富士ショー」、終了。明日から天気は下り坂だそうで、おそらく今日が今年一番のチャンスだった。しかも来光直前に水面が凪ぐという奇跡。8月にもう一度ダイアモンド讃岐富士が見られるが、8月頃は宮池の水面は水草に覆われて「逆さ」の映り込みが見えなくなる。いやー、普段から良い行いはしとくもんやなー。大満足の我々は6時40分過ぎに現地解散し、私と家内とごんは丸亀を後にして高松に向かった。

田尾「いやー、ほんまに奇跡的に絶好のコンディションになったよなー」
家内「どっかうどん家開いてるん?」
田尾「こんな時間はまだ開いてないわ」
家内「がもうとか、もう準備しよんちゃうん」
田尾「今日は日曜日やからがもうはやってない。一福もさすがに早すぎるわ」
家内「ほなマックかー。牛丼屋さんは開いてるんちゃう?」
田尾「朝から牛丼はきついでー」
家内「じゃあ朝マック? ごんはどっち?」
ごん「お願いですから帰らせて下さい」
2010年4月15日(木)

 火曜日の朝8時頃、大学の駐車場に車を止めて研究室に向かっていたら、チンペイが建物の周りを掃除していた。

田尾「どしたんや、朝早よから。罰ゲームか?」
チン「何言うとるんですか。僕は毎日この時間に来てますよ。最近田尾先生に会わないからネタの提供ができんのですけど」

 年度替わりで職員の配置換えがあって、去年まで私の研究室があるノトス館の対角線の一番向こうの建物(教学課)にいたチンペイが、同じノトス館の1階に来ている。でも、チンペイ配属の学生支援センターは私にはあまり用事がないので、ほとんど行くことがないのだ。で、今朝、郵送用の封筒がなかったのでチンペイにもらおうと思って久しぶりに学生支援センターに入ったら、みんなとても静かに仕事をしているぞ。

田尾「ここ、いつもこんなに静かなんか」
チン「静かですよ」
田尾「この部屋の一番偉い人は誰?」
チン「S野さんです」
田尾「お前、こっち来たのにまた笹Nさんの下か(笑)」
チン「S野さんもこっちに異動になったんですよ」
田尾「たぶん笹Nさん、学長からチンペイの監視の密命を受けとるぞ(笑)」

 向こうで笹Nさんが笑いよる。

田尾「例えばな、今日中に何か資料をまとめないかんとするやんか。静かに資料を整理するのもええけど、笑いを挟みながらでも資料がまとめられるんならそっちでもええわけや。結果が同じなら、そこに向かう途中経過は楽しい方がええやんか」
チン「そうですね」
田尾「楽しくやったら結果が出んかった、ではいかんけどな(笑)」

 笑うとか、笑顔とか、私は大好きです(笑)。だから私はいつも、いろんな打ち合わせとか複数の人たちと何かをやる時は「結果は出る」と思ったらなるべく途中に笑いを入れる。先方が緊張してきたら、最初に何か笑いでほぐそうとする。例え相手が何かのミスを謝りに来たとしても、たいてい冒頭から笑いを入れてほぐしにかかる。怒鳴りつけたってどうせ結果は大して変わらないから、ま、楽しく、というか普通に解決策を探せばええのではないかと。いつこっちが謝りに行く側になるかもしれんしなあ。その時の「謝る側の気持ち」になって考えてみたら、絶対そっちの方が後味がええもんなあ。などと、チンペイから無理やり引っぱってみました(笑)。
2010年4月12日(月)

 愛人スキャンダルで騒動になったタイガー・ウッズの復帰戦で、アメリカのプロゴルファーの中で最も家族を大切にする選手と言われるフィル・ミケルソンが優勝して乳がんと闘病中の奥さんと涙を流して抱擁するという、誰かが作ったみたいなエンディングでマスターズが終わりました。

 今日は復活宮武のオープン日。四国新聞に囲み記事が出るほどのニュースではあったが、私は開店時間のはるか前に店のすぐ近くの高松西インターから高速に乗って大学に行き、営業時間が終わった後で西インターを下りて家に帰るという、全く予想通りの展開です(笑)。先週の試食会の日、うどんを食べてちょっと気になることがあったのだが、

田尾「……という感じがせん?」
ごん「確かにそうですね」
田尾「けどこれ、言うてええんかな。大将、気ィ悪したらいかんし…けど言わんかったらずっと気がつかんで、オープンした後でお客さんが気づいて客が減る方がよくないと思うし…」
ごん「そこは団長が言わないかんでしょう」
田尾「よし、ここは心を鬼にして、思い切ってH谷川君に言わそう」
H谷「いやいやいや!」

 などという会話があってその日の夜、H谷川君からメールが来ました。

「今日は“神”へのダメ出し、最高でした(笑)」

 さすが大将、一介の客の私が進言差し上げたら若大将に「こう言う意見は大事やからな」と言って指導してたから、きっと試食日よりさらに優れたうどんが出ているに違いない。

 仕事は今、あれもやらないかん、これもやらないかん、けどどれも今日明日という逼迫したスケジュールではないという、複数の仕事が平行して同じ頃の締め切りに向かっているという、このまま行けば2週間後くらいに複数の仕事がいっぺんにのしかかってきて大変なことになるのが見えているのに日々ちょっと緩いという、危険なニオイがプンプンする状態です(笑)。わかってて同じことをいつも繰り返すということは、仕事の量の問題に加えて性根の問題があるのかもしれん。「心を入れ替えて頑張る!」と決意しても、取り組み始めたら入れ替える心がなかった…みたいな(笑)。その上に仕事上の相談事や依頼事が今週、5件も入ってきた。よし、ほんまに頑張るぞ明日から! 「明日から」という時点でもうダメダメなんやけど。
2010年4月11日(日)

 水曜日にインタレストメンバー10人と私、車3台で山の取材を兼ねてうどん屋2軒行って(どっちがメインや)、デザートにカフェに行ってくつろいでいたら、源成の多田が携帯を見てみんなに回しよる。

田尾「何を回しよんや」
多田「『たちあがれ日本』ですよ。どうなのこれ」

 ニュースを回しよった。新党の名前が発表されたのだが、「あまりにもネーミングがへこむ」とか言ってみんなで失笑していました(笑)。うちの大学生たちにはそういうことのようです。「たちあがれ日本」って、ひらがな市町名にもへこんだけど、ひらがな政党名もなあ。将来「たちあがれ日本」と「みんなの党」に二大政党になったら、どうなの日本(笑)。気持ちはわかるけど、それは政党名でなくてキャッチフレーズの方ちゃう?

 みたいなことがあって、昨日の夜は仕事の途中で睡魔が襲ってきて夜の9時半頃ちょっと仮眠したら、今朝の4時まで爆睡してしまった。4時に起きて新聞読んでたら、マスターズの中継が始まった。仕事をしながらチラチラ見ていたら、途中から仕事を置いてガン見状態。いやー、今日(大会3日目)はむちゃくちゃおもしろかった。ミケルソンのイーグル、イーグル、バーディーがあったあの30分ぐらいの、ウエストウッドとウッズとカプルスとチェまで巻き込んだ異常なムービングは、スポーツ中継で今年一番興奮しました。昨日の石川の予選落ちインタビューも「深かった」けど、やっぱトッププロのメジャーはすごいわ。あれに跳ね返された石川、18歳。立ち直れないぐらいの面持ちで泣いてたけど、もし今日のミケルソンやウッズやカプルスを見てたら、絶対立ち直れると思う。ニッポンは何を見たら「たちあがれる」かなあ…とか思ってしまいましたが(笑)。
2010年4月6日(火)

 本日昼、抱えていた2つの原稿終了。そして午後7時、『超麺通団4』の最終校正を終了して、長い長い苦悩の日々がついに、もう英語で「トゥイニー!」と叫びたいくらいついに、終わった。ま、そんな英語はないけど。そして、苦節をともにしてきた水槽の中の魚たちともこの喜びを分かち合おうと、水槽の水換えをやったのである。90センチ水槽の中には今、こういう魚たちが泳いでいる。

・2〜3センチくらいに大きくなったネオンテトラが50匹くらい
・2〜3センチくらいの、体の半分から後ろに黒とオレンジのラインが入ったやつが5匹
・3センチくらいの赤いのが2匹
・4センチくらいの体の前半分がオレンジ、後ろ半分が半透明の白いやつが2匹
・4〜5センチくらいの真っ黒の細長いやつが2匹
・4センチくらいの真っ黒で尻尾が刺又(さすまた)みたいになっているやつが1匹
・6センチくらいの、前半分が金色で後ろ半分が黒で尻尾が刺又みたいになっているやつが1匹
・4〜6センチの全身が半透明で頭の一部が赤く、尻尾が白と黒の短いストライプになったやつが10匹
・4センチくらいの極小のアジみたいなやつが3匹
・黒とマリンブルーのヒラヒラのベタが1匹
・水槽の中で生まれた、雑種のあんまり美しくないやつが5ミリくらいから3センチくらいまでとりどりに10数匹
・刺又の2匹から生まれたと思われる1センチくらいの真っ黒いやつが1匹
・もう5年以上も水槽の奥に主のように生息して体長5センチ以上の重戦車のようになったコリドラスが4匹

 あとまだ何かいるのだが、水草の森があってよく確認できない。仕事に苦しんでいる時は気分転換にしょっちゅう水槽の中の魚と水草を眺めながら頭の中で企画や文章を組み立て直しているのだが、この数カ月はさすがに苦しみ方の程度が大きすぎて、少しずつ黄ばんでくる水を見ても水を換える気力もなく、ただ眺めてはパソコンに向かうばかり。そのうち水草の弱いやつが変色して溶け始め、それを取り出しているうちに「水草の森」が一つ減り、二つ減り、魚も1匹死に、また1匹死に…という日々が続いていたのである。

 しかし3月中旬に『超麺通団4』の原稿が終わり、まだ校正は丸ごと残っていたのだが、あまりの解放感に先月末、ついに大々的に水換えを決行した。さらに、ペットショップの「プーキー」と「アミーゴ」をハシゴして魚を増量! 水草も増量! さらにろ過関係のグッズも一新し、水草がいきいきするという粒々タイプの補助剤みたいなのも初めて買って帰り、さっそく魚を入れて水草をレイアウトして、補助剤を説明書通りに底の小石の中に投入し、3月末からしばらく、美しくなった水槽を眺めながらすがすがしい気持ちで仕事を続けていたのである。

 それから2週間近く経った今日、水もほんの少し黄ばんできた感じがするので、仕事の大きな山を踏破したこの喜びを魚たちとともに迎えるため、再び水換えを決行することになった。いつもの段取りは、まず、中に弁のついた直径3センチ、長さ50センチくらいのアクリルのパイプの先に、水と細かいゴミは吸い込むけど小石は吸い込まない隙間のある器具をつけて、後ろにホースをつないでホースの先をベランダの外に出し、パイプの先を水槽の中で何度か前後に揺らすとパイプが勝手に水を吸い込み始める。物理的に言えば、何とかの法則だ。言えてないけど。

 で、パイプの先を底に熱く敷き詰められた小石に突っ込んでかき混ぜると、小石の間の細かいゴミもろとも吸い込んで水と一緒にベランダの外の排水溝に流れていくというわけだ。透明なパイプだから水を吸い込み始めると一緒に細かいゴミがどんどん吸い上がってくるのが見える。水草を避けながら底の小石の中をまんべんなく、水が3分の1か4分の1になるくらいまでそれをやっていると、小石の間のゴミはほとんど取れる。最初は小石をかき混ぜるから少し濁るのだが、終わる頃には濁りはほとんど取れ、そこに新たな水をバケツで投入してまたちょっとだけ濁るけど、30分〜1時間くらい濾過器で循環させていたら見違えるようなクリーンな水槽に変わるという、まあだいたい1〜2時間の作業である。

 それを今夜、始めたのである。ところが、いつものようにパイプとホースをつないで、先を小石に突っ込んで吸い込み始めた…と思った途端、まるで泥水のようなのがパイプを上がってきた! うわ! 何じゃこれは! その瞬間、アッと気がついた。こないだ入れた、水草がいきいきするという補助剤が溶けて細かい灰のようになって、小石の間に大量に潜んでいたのだ。そいつが水と一緒に吸い込まれて上がってきたのだ。しかも小石をかき混ぜたため、そいつは水の中に舞い上がって、あっという間に水槽の中は中国の黄砂状態になった! 日本の黄砂ではない。中国の黄砂! 視界、2センチ! うわあー! どうするこれ! 小石の中をパイプで混ぜないとゴミが取れない。しかし混ぜると黄砂が舞い上がってくる! というか、今やめても水槽はもう全面黄砂だ。

 「途方に暮れる」という言葉があるが、皆さん冷静に人生を振り返ってみると本当に「途方に暮れた」というシーンはそうそうないでしょう。私も生まれてこの方いろんな目に遭ってきたが、「途方に暮れて呆然とした」という経験はただの一度も思い出せない。たいていは何事が起こってもすぐに何かの対処に走ってきた。しかし本日、私は生涯初の「途方に暮れる」を経験しました。文章でうまく表現できないが、5分ぐらい、ほんまに呆然と、途方に暮れました(笑)。だって、いつものように美しく変身すると信じて疑わなかった、というかワクワクさえしていた90センチの水槽が突然、全面、視界2センチの黄砂なんだぞ(笑)。目に見えるゴミだったらしばらくすると沈んで行ってるのがわかるけど、こいつはほとんどケムリ状態で、沈んで落ち着くとかいう話じゃないんです。循環のろ過で透明になるのに2万5000年かかりそうな、プルトニウムの半減期か! みたいな状態が今、突然目の前に。

 しかし冷静な私は5分で、あっちの世界からこっちの世界に帰ってきた。さてこいつをどうするか。冷静に、現実的に考えてみよう。まず、この状態を一挙に解決するには、水草を全部取り出し、魚を全部すくって別の容器に移し、しかるのち、水槽の水を全部捨てて小石を全部取り出して、水槽を洗い、小石を洗い、黄砂を全部洗い流して、水槽に小石を戻して水を入れ直して水草を入れ直して魚を戻して丸ごと刷新すると完全復活する。しかし、今日はもう夜だ。そんな年末大掃除みたいなことはとてもやっている時間ではないし、そこまで暇でもない。

 第二案は、このままパイプで底を吸いながらなるべく多く水を捨てる。魚が干上がらない程度にギリギリまで水を吸い出すと、新しい水を投入したら黄砂がかなり薄くなるのではないか。うーむ、現実的にはこれしかないか。私は第二案を選択し、どうせなら少しでも多く小石の中の黄砂を吸い出そうと思ってパイプの先を小石の間に走らせた。さらに黄砂が舞い上がるが、もうすでに全面黄砂なんだから同じようなもんだ。水はどんどん減っていくが、魚はほとんど見えないという有様。大丈夫か? あいつらちゃんと息できよんか? ちょっと心配になって、底から10センチくらいのところで排水を止めた。小石が5センチくらい敷き詰められてるから、水深は5センチくらいだ。さすがにこれくらい少なくなると魚も全部見える。おー、ええ調子で泳ぎよる。私は急いで新しい水の準備を始めた。

 風呂場のシャワーに浄水器がついているので、そいつを温度調節して、しかしシャワーにホースがつなげんので大きなバケツに水をためて、バケツで何度も水槽に水を投入する。まず1杯目の重いバケツを持って、水槽の前に置いたイスに上がって高さ45センチの水槽の上にグーッと持ち上げて、腕がプルプル震えながら水を落とした…その瞬間、小石が舞い上がって黄砂がブワーッ! あかんあかん! ちょっとずつ入れないかん! けどちょっとずつでも45センチの高さから水深5センチの水面に水を落としたらどないしても小石と黄砂を巻き上げるが! どうすりゃこれ! とか考えている余裕がない! 腕がプルプルしよる! えーい! ドバドバドバー! 黄砂がブワーッ!

 20分後、視界2センチの「黄砂の海」が水深35センチに復活しました(笑)。水草の位置を整えようにも、小さな水草はどこにあるのやら、もう何が何だか(笑)。精も根も尽き果てて、今夜の大惨事の張本人となった例の補助剤の説明書きを呼んだら、こんなことを書いてあった。

「スティック状のため、水を汚すことなく使用できます」

できるか!

「底砂の清掃等で成分が少なくなったら、適量を底床に埋め込んでご使用下さい」

入れるか!
2010年4月4日(日)

 地球がちっとも温暖化しないので3月31日(水)の朝から風邪を引いてしまった。翌4月1日(木)もずっと風邪気味で、しかし2日(金)は入学式に出ないかんので1600円のユンケルを飲んだら、何とか風邪は一晩でほぼ回復。こら体力が落ちているのかもしれんと思って昨日(土)、今日(日)と2日連続、朝7時半頃から峰山に上がってきたのだが、ここ数カ月の疲れがたまっているのか、息切れで数回休憩を挟まないといけないという有様。体調は今、まあ70点ぐらいである。

 振り返ると3月3日に1年振りくらいに会った山陽放送のディレクターに「田尾さん、ちょっとやつれました?」と言われて「そうかなあ、自分ではよくわからんけど」と言ったのだが、3月16日に卒業式で久しぶりに会った学生から「田尾先生、何かやつれてません?」と言われた。さらに3月25日にこれまた久しぶりに大学に遊びに来たステファニーに「先生、またやせました?」と言われ、一昨日、大円に行ったら大将に「またやせました?」と言われ、昨日の晩は遊ゼミに行ったら小西さんに「田尾さん、何かやつれましたねえ」と言われるに至っては、ほんまにやつれているのかもしれん。過酷な数カ月だったからなあ。

 今朝は峰山の山頂の展望台に着いたら、40代くらいに見える男の人が一人いた。「おはようございます」言うたら、

男性「あの、田尾さんですか?」
田尾「はい」
男性「私、○○工務店にいたSと申しますが…」
田尾「え? 『お年玉模擬試験』に応募してきてた」
男性「そうです!」

 もう15年くらい前のタウン誌時代に、毎年正月に『お年玉模擬試験』という企画をやっていたのだが、その時に毎年のように挑戦してきていた人で、何となく名前と勤め先を覚えていたのだ。いやー、私の記憶力もまだまだ捨てたもんでないな(笑)。何しろあの頃は「笑いの文化人講座」等の投稿者のうち、ペンネームを見ただけでその投稿者の本名、市町名、学校や勤め先、投稿内容からうかがい知れる家族構成がわかるのが300人くらいはいたからなあ。

 それからSさんにコーヒーをいただいてしばらくいろんな話をして、私は先に山を下りた。9時半頃家に帰ってシャワーを浴びて、10時頃から昼過ぎまで仕事をして、ちょっと一服していたら12時45分頃、H谷川君から電話がかかってきた。

田尾「何?」
H谷「いや、今、宮武で試食してるんですけど、いつ頃来られます?」
田尾「えーっ! 今日か!」
H谷「いやいやいや! 以前から何回も確認してるでしょ! 試食券も渡してるし。みんな待ってますから早よ来て下さいよ」
田尾「30分で行く」

 危ない危ない(笑)。去年、麺豪山下のオープン前の試食会もすっかり忘れてて、あの時はH谷川君から電話があった時にはもう試食会の終了寸前で、家から40分ぐらいかかる場所だったので結局行かなかったのだが、今日は家から10分ぐらい、しかも宮武だから飛んで行かないかん(笑)。改めてお知らせですが、高松西インターのすぐ東側の道路沿いに、去年惜しまれつつ閉店して、閉店のニュースが四国新聞にも載ったあの琴平の宮武うどんが復活します。オープンは4月12日(だったと思う)。宮武の大将がまたうどんを打つのではなくて、大将の幼なじみの方の息子さんが大将直伝に教え込まれて、宮武うどんの名を継いで店を始めるのである。その試食会が今日の10時から午後3時まで。聞くと、東京からわざわざこの試食会のために某映画監督が来ているらしく、こんなところに来ているのをバラしていいものかどうかわからないので映画名はアルファベットで伏せておくが、『UDON』という映画を撮った某監督が…

H谷川「丸わかりですやん!」

 あ、アルファベットでで伏せたらいかんのか! その某監督がすでにうどん何杯も食べてもう帰ろうかというところ、「田尾さんが来るんなら待っとく」とのことだそうで、私はごんに試食会の案内をしてから家内と宮武に行ったのである。到着すると、店頭でH谷川君や麺豪山下君や監督やみんなが待っていた。挨拶してたら、店の中から宮武の大将が出てきた。

大将「忘れとったんやてな(笑)」
田尾「何を言いよんですか! もう昨日から待ち切れんでワクワクして、今朝もワクワクして寝られんで、もうあまりにもワクワクしてしまいに何でワクワクしてるのかわからんようになったんですよ」

 自分でも何を言っているのかわからんが、そういうわけで宮武が間もなく復活します。建物の壁面には「宮武うどん」と書いてるけど、道を走ってて見える大きな看板には「セルフ うどん」としか書いてない。前にここでやってたうどん屋さんの看板の店名を消しただけだ(笑)。営業時間は午前10時から午後3時まで。私はすぐそばの西インターから高速に乗って大学に行くのだが、行く時にはまだ店が開いてなくて、帰ってくる時には店が閉まっている。行けんでないか!(笑)
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