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2009年07月の日記
2009年7月29日(水)

 朝9時前、研究室で授業の準備をしていたら家内から電話が入った。

家内「今さっき香の香の奥さんから電話があって、電話して欲しい言うてるんやけど」
田尾「何の用事やろ」
家内「何か、香港で『香の香』いううどん屋がオープンしたらしくて、全然知らんのに看板のロゴまでそっくりや言うて。ほんで先生に相談したい言いよんやけど」
田尾「わかった。電話するわ」

 去年から「讃岐うどん」の商標が台湾や中国で現地企業に押さえられているという事件が話題になっているが、一(いち)店の名前である『香の香』が香港で使われてるって、どういうことなの? とりあえず9時10分から授業なので電話は後からということで、授業を終えて11時前に香の香に電話をしたら電話では説明しにくいということで、私は直ちに香の香に行ったのである。

 店に入ると奥さんが出てきて、厨房の奥の事務をする部屋に案内された。そこにはパソコンが1台。

奥さん「これなんやけどな」

 うわ、奥さんパソコンできるんや! と思ったら、

奥さん「お兄ちゃん、これちょっと開けて」

 軽くホッとする私(笑)。すぐに大将の息子のまさしげ君が来て、まずはメールを見せてくれた。それは香港に住む日本人の方からのメールで、内容は「香港に『香の香』といううどん屋がオープンしたので、まさかあの香の香が! と思って行ってみたら、本場のこっちの香の香とは似ても似つかないようなうどんが出てきた」とのこと。「写真とか出てないん?」と聞いたら「ありますよ」言うて、「香港 香の香」と入れて検索したら出てきた某社のホームページをスクロールしていったまさしげ君が、声を上げた。

まさ「あ! 消されとる!」
奥さん「あら! ほんと、消されてるわ!」
まさ「大丈夫や。携帯に撮っとる」

 と言って出してきた携帯の写真を見ると、そこにはこっちの香の香とうり二つのロゴで「釜あげうどん 香の香 KANOKA」と書かれたポスターが写っていた。加えて「讃岐烏冬」というスタンプ風のマーク。その下に「香川之香」「香港之香」という、店名の由来を言い訳説明していると思われる字も見える。しかし店の外観の写真を見ると、看板は「KANOKA Kamaage sanuki udon」。これはもう疑いなく、こっちの『釜あげうどん香の香』をそのままパクっちゃった店ですね。グーグルのキャッシュからほじくったら仕掛け人は日本人らしいので、日本人の誰かがこっちの『香の香』をパクって香港でプロデュースしたんでしょう。ひどいことするなあ。

 国が違うから商標権はこっちにないだろうし、ロゴデザインが酷似しているからデザイン的な著作権の話かとも思うけど、どうするかなあ。とりあえず今日のところは「香港の『香の香』といううどん屋は、本場讃岐の『香の香』とは全く関係ありません」というお知らせだけしておきます。しかしこれ、ほんまに「台湾と中国の『讃岐うどん』は本場讃岐の讃岐うどんではありませんキャンペーン」やら「香港の『香の香』は本場讃岐の『香の香』ではありませんキャンペーン」をやらないかんようになるんやろか(笑)。ちなみにこないだの樺島さんの件を受けて、勝谷さんから『偽物を駆逐するには、本物に惚れさせるのがなにより大作戦』と称して「台湾の人たちに本場讃岐のうどん巡りブームを起こさせる企画」のおもしろい提案を頂いたが、さてと、とりあえずインタレストの編集作業せないかん(笑)。
2009年7月28日(火)

 松野と松田と矢野が(矢野が「野田」だったら3人で名前がぐるっと回るのに・笑)どうしてもと言うので仕方なく、3時ギリギリにやまうちに行ったのである。松田はこれまでやまうちに行っては定休日だったり終わった後だったりで、なんと過去5回連続おあずけを食らってまだ1回もやまうちのうどんを食べたことがないという奇跡的な「やまうちに嫌われる男」であるから、こんな時間ということもあって不安いっぱいで、しかしネタ的には「6回連続やまうちに嫌われる松田」も期待しながら突撃したのだが、今日はまだやっていた!

 しかし店に入ってカウンターを見ると、当然こんな時間には天ぷら類は全滅。仕方なく「ひやひやの大」を4つ頼んでふと横を見たら、いつものようにお土産のしょうゆ豆が並んでいた。真空パックされた焦茶色の空豆のしょうゆ豆の横に、薄い色の大豆のしょうゆ豆…え? 大豆のしょうゆ豆? 表示を見ると…うおーっ! あの「にしきや」の大豆のしょうゆ豆だ!

 香川の「食」の特産としてはうどんの次に挙げられる「しょうゆ豆」は、そのほぼすべてが「空豆」を甘辛く煮詰めたものであるが、それを食べた東京の珍獣0西に「何かが間違ってる」と言われたように、確かに県外の人の口には少々違和感のある味であることは認める。しかし、県内でも希なこの大豆のしょうゆ豆は「間違ってる」とは言わさんぞ。特にこの「にしきや」の大豆のしょうゆ豆は(にしきや以外に知らないんだけど)、味もさることながらコリコリとした食感があまりにも素晴らしい。箸で一つずつではなく、私はスプーンですくってバフバフと、一食で一袋空けたこともある。家にこいつがある時など、仕事を終えたらもうウキウキしながら帰宅するのである(どんなんや)。その「にしきや」の大豆のしょうゆ豆が、やまうちの入り口を入ってすぐのショーケースの上に鎮座していたのである。天ぷらが切れていたこともあって、私はたまらずてっちゃん(若大将)にお願いした。

田尾「何か小皿あるん?」
てっ「何するんな」
田尾「いや、この大豆のしょうゆ豆、小皿にあけてここで食べようかと思って」
てっ「ええですよ。お父さん、田尾さんに小皿出してあげて」

 大将が奥から小皿を出して来て、袋を切って大豆のしょうゆ豆を盛り上げてくれた。

田尾「これがうまいんや。みんなでつつこうぜ」

 うどんを待つ間、我々は4人で大豆のしょうゆ豆をつつき始めた。一口食べた松野が、

松野「おいしいですね!」
田尾「な! うまいやろ!」

 あまりにうまそうに食べている私らを見てか、先に来ていたお客さん一組がうどんを食べ終わって、大豆のしょうゆ豆を買っていました(笑)。しかしこいつはなあ、袋が真空パックのあまりにありきたりの、いかにもそんじょそこらの田舎の物産チックで、今ひとつ目を引かんのよなあ。さらに外見だけではあのうまさが絶対に伝わらん。試食品は絶対にいる。とりあえずこないだの『香川名産物産掘出物県外友人知人定期的贈呈大作戦』の有力候補なのであるが、商品パッケージと売り方、何かいじりたいなあ。
2009年7月25日(土)

 第2回スシ太郎ツアー決行。アムステルダムの朝は早いが前回のツアーで産直市のスシも早いことが判明したので(午前中に売り切れの店が続出)、今日は朝7時に編集室集合ということになった。参加者はスシ太郎、スシ次郎、スシ子の3名。

多田「イヤやー。私、絶対『スシ子』にされると思ってたわ」
田尾「行くぞー。あ、行く前に記録ビデオ撮っとかないかん。みんな、紙にスシ太郎、スシ次郎、スシ子と書いてセロテープで胸に貼れー」
多田「もー、イヤやー」
次郎「田尾先生は名札付けんのですか?」
田尾「しょうがないの。ほな『スシ団長』…と」
太郎「何か一人だけカッコいいことないですか?」

 ま、カッコいいことはないけど。で、出発シーンを撮ってから7時半頃善通寺を出発。高速に乗って一気に香川の東の端まで行き、東から産直市を攻めながら、高松、国分寺、綾川…と善通寺に向かって帰ってくる、という作戦になった。編集室を出た我々は、高速に乗る前にまず、前回売り切れだった善通寺の産直市に行く。朝一番ということで、店のコーナーには数十コのちらし寿司が並んでいた。パックの表示を見ると4人の個人名で4種類のちらし寿司があるので、いきなり4パックを購入。そのまま高速に乗って東讃に向かった。

 東讃の引田インターまで1時間弱、長い道中なので目覚ましにコルトレーンをかけて、いろいろ小ネタをしゃべりながら走っていると、後部座席で何やらゴソゴソやっていたスシ太郎と次郎が不審な物音を立て始めた。チラッと見ると、

田尾「スシ食いよるやないか!」
太郎「いや、何か腹減って…」
田尾「写真撮らないかんやないか!」
次郎「さっき撮りました」
田尾「いつの間に!」

 聞くと、走る車内でスシ次郎が具材を小皿に取り分け、2パック分すでに写真まで撮ったらしい。スシ次郎、強力な戦力だぞ(笑)。

 9時前に東讃に着くと、豪雨になった。3カ所くらいでちらし寿司をゲットし、さらに三木町の産直市を経て高松に帰ってきたら11時。なかなか順調や…と思ったところから計画は狂い始めた。11時過ぎに言った古高松の産直で、ついに売り切れに出くわした。そこから、太田、香南、塩江、林、国分寺、綾川…と全滅! そんなにスシは人気なんか!

 スシ太郎が売り切れの店でいろいろ聞き込みをした結果、スシはほとんどの産直の店で開店と同時にどんどん売れ始め、早いところでは1時間で売り切れるというではないか。さらに、どこの店もたいてい一番に売り切れるのがちらし寿司で、山菜おこわ系や赤飯は最後まで残るらしい。さらに、いなり寿司も残るという。私があれほど『うどラヂ』で押しているというのに、イナリよりチラシなのか! というか、誰が朝からそんなにちらし寿司を買ってるのか? これは要取材だ(笑)。

 スシ太郎ツアーは「朝一で攻めないといけない」という新たな難関を抱え、今後の取材体勢を組み直す必要が出てきた。結局今日は午後3時頃にツアーをあきらめて、飯山の桃直売所であの奇跡の桃シャーベットを食べてツアー終了。4時頃編集室に帰り、2時間ぐらいかけてほじくり作業と撮影とデータ整理を終了。1階のノトススタジオで学生たちが明日の演劇公演の練習をやっているというので寿司を全部差し入れして、さて片づけをするか…と編集室を眺めていたら恐怖の「模様替え」スイッチが入って、スシ太郎と2人で晩の9時頃までかかって編集室の模様替えと大片付けをやってしまった。で、しかし男の「やり遂げた感」を持って帰宅したら、家内が飲み会に行ってて誰もいない。あー、寿司、持って帰るんやった(泣)。
2009年7月23日(木)

 ハードルを上げすぎたので、越えずにくぐることにしよう(笑)。それでね、まあお遊び感覚で「おもろいやんけ」と乗ってくるオバカ仲間だけで始めることにするわけですわ。

 こいつの仕組み上のメリットは、まず「売上が直接的に発生する」ということです。何しろ私と私の仲間が「まず買う」から始まるんだもの。まず情報発信して…発信した情報に誰かが触れて…情報に触れた人にもし興味が湧いたら、わざわざ通販か、あるいは何かで香川に行った折に購入…そこで売上が発生…などというまどろっこしい売上の発生の仕方じゃない。めんどくさいマーケティングの過程を踏まず、いきなり「売上発生」から入る。これがミソの一つ。

 加えて、その売上は県外のお客さんではなくて県内のお客さん(私ら)から起こるので、通販に申し込んだりわざわざ香川に来る必要がないのでこれも非常に話が早い。地元の名産の売り上げを伸ばそうと考えた時、ターゲットを「県内客」と「県外客」に分けたら、県内客はすぐに買えるけどそうそう名産を買わないし食べないし、対象人口も少ない。県外客は対象人口は桁違いに多いけど、そうそう情報が入らないし、そうそう買いに来られない。そこで、これらのいいとこ取りをして、「すぐ買える人(県内客)を購買のメインターゲットにして、しかし消費するのは対象人口の多い県外客」という構図を描くわけである。

 次に、県外の人へのPRが「情報」じゃなくて「現物」、つまり試食付き販売みたいなことになるという付録のメリットがある。食べてうまいのがわかったら購買意欲は湧く。けど県外の人に直接買ってもらうというのは第二義のターゲットだから、付録のメリット。あわよくば、贈った相手がクチコミで県外にPRしてくれる、贈った相手の会社でお中元とかお歳暮に採用してくれる、贈った相手のメディアで全国PRしてくれる…といった期待もある。

 続いてここから「完成予想図」の話になる。発起人メンバーは、この『購買ボランティア』のメンバーを継続的に増やしていく。10人がそれぞれ数人、数十人に広げていって、100人、1000人から1万人くらいに広がるとする。すると、「1回500円、年に2回、贈るのは一人だけ」というケチなGくん(仮名)もいれば「1000円くらいの品を30人に、年6回は贈るあるね」という太っ腹の田尾氏(実名)もいれば、「そんな企画なら年に50万は使うでー」という会社社長(糖尿と痛風持ち)も出てくるだろうから、仮に一人平均年間5万円くらい使っても、県内物産界に年間5億円くらいの上乗せの売上が発生することが期待できる。ということは、これは言い換えれば年間数億円単位の「実質的商品購買団体」ができるということだ(組織的な団体にするか、あちこちに核があるWEB的な存在になるかは別の話で)。

 そこで次の展開が出てくる。商品開発と商品改革の活性化である。地域の名産、物産の多くは、実は数十年にわたって商品自体やパッケージデザイン等がほとんど進化していないものがたくさんある。素材はおもしろいのに商品としてダサダサだったり、若者向けにバリエーションを展開したらヒットしそうなのに頑なに昔のままの商品のみを作っていたり…という例があちこちにある。でも「こうしたらどうですか?」といきなり提案しても「余計なお世話だ」とか「開発予算がない」とかいう話になりかねない。そこで、この「商品購買団体」が生きてくるのである。

 商品購買団体のメンバーにはマーケティングのプロやデザイナーがいて、地元の物産を取材、試食、調査しながら「あれはこうやったら化けるんちゃうか?」みたいなプランをどんどん出す。で、それをメーカーに提案するのだが、こっちは「それを作ってくれたら、まず私らが500万円分買って友人知人に贈ります」とかいう話なのである。提案というより「発注」に近い。商品開発予算まで捻出できるがな。しかもそれは、「税金を一切使わない」という優れもの(笑)。それで商品開発、商品改革が活発化すれば、地元の物産はクオリティとバリエーションが飛躍的に向上する。すると、ヒット商品も生まれ始める。中には全国や世界に売れる物が出現するかもしれない。

 こういうのを「起爆剤」と言うのである(大きく出ましたが・笑)。「情報発信基地」とやらを作って「地域活性化の起爆剤に」とかよく言っているが、ああいう類のもので何かが起爆したのを見たことがないのは、情報発信することが目的になっていて「物を売る」という根本的なマーケティングの目的と手法が抜けているからである。ちなみにこういう構想をすると「そんなものできるか」と言う人が必ず出てくるが、そういう人には「あなた方のことには言及していない」と言っておく。県民全員を巻き込んで、などとはちっとも思っていません。最初に言いましたが、「おもろいやんけ」と乗ってくる人たちだけでやりますから。ま、まだやるかどうかは決まってないけど、とりあえずオバカ仲間を集めてやり方とか問題点とか、いろいろ探ってみますわ。U山さん、頼まれてた仕事、遅れるかもしれん(笑)。
2009年7月22日(水)

田尾「今日集まってもらったのは他でもない」
ごん「というか、『うどラヂ』の録音で集まってるんですけど」
田尾「うー、じゃ、録音の他ではない、ということで」

 何や、あの「他でもない」いうのは。何の他でないんじゃ。ま、ええか。昨日、その録音のついでに私が明かした新プロジェクトの話である。

田尾「ちょっとこないだから、新プロジェクトを考えよんや」
ごん「何ですか」
田尾「名付けて『香川の名産物産掘り出し物を県外の友人知人に定期的に贈り続けようボランティア大作戦』」
ごん「長いですな」
田尾「じゃ、略して『香川名産物産掘出物県外友人知人定期的贈呈大作戦』」
H谷川「中国語ですか!」

 麺通団は作戦名が長いのだ。樺島さんの募金活動の作戦名も『台湾で「讃岐うどん」の名前を普通に使えるようにしようと頑張っている樺島さんを応援しよう募金』である。ちなみに言い忘れていたが、募金をしたからと言って台湾で裁判に勝てるわけではないことは百も承知で、昨日書いたように目的は樺島さんを応援することだけである。聞くと今度は中国でも「讃岐うどん」の商標が向こうの企業に取られるらしく、こうした動きに対しては行政もうどんの組合もほとんど無策なので、もうダダ崩れは避けられない情勢。それに対しKSBの喜多さんからコメントを求められた私は、「残る作戦は『台湾と中国で“讃岐うどん”を名乗っているうどんは本場香川の讃岐うどんではありませんキャンペーン大作戦』しかない」と答えてある。本題に戻る。

ごん「ま、しょーもないボケはスルーしてとりあえず聞きましょ」
田尾「あのな、香川にはうどん以外にもうまいもんとか珍しい物とかおもしろい物とか、結構あるやん」
ごん「ありますね」
田尾「その中から自分のおすすめ商品を選んで、それを自腹で買って、そいつに熱いメッセージを付けて県外の友人、知人、さらに仕事関係者、マスコミ関係者にプレゼントする。お金の余裕に合わせて、金額や贈る人数や贈る回数は自由。ただし、とにかく継続して毎回違ったいろんな商品を贈るわけや」
ごん「目的は何ですか?」
田尾「大事な指摘。目的はいくつかある。まず第一は、贈った相手に『田尾さんはええ人やなあ』と思ってもらう(笑)」
ごん「それ、いいですね!(笑)だいたいそういう自分のための目的がないと続きませんからね」
田尾「さらに、まあ誰でも気付くやろけど、これを続けると県外の人に香川の名産、物産のうまいもんやおもしろいもんを、試食付きでPRできる」
H谷川「現物をもらうのともらわんのでは全然違いますからね」
田尾「さらに、贈る側もおすすめ商品をどんどん探さないかんから地元の名産にとても詳しくなるし、無名の掘り出し物もきっといくつも発掘される」
ごん「ええ感じですね」
田尾「さらに、贈る側のメンバーで定期的に情報交換して、『あそこでこんなの見つけた』とかやりながら贈る物のコンテンツを増やしていく。さらに『こないだあれ贈ったらめちゃめちゃ評判よかった』とか『評判悪かった』とかいう情報も交換していくと、贈った物のポテンシャルのリサーチもできる」
H谷川「なるほど。それは何か意義がありますね」
田尾「けどな、ここまでの話はまだ、この大作戦の入り口なんや。ここから、驚くべき展開が待っている」

 そうなのである。平成の奇才・麺通団が「みんなで香川の物産を全国の友達に贈ってPRしよう」くらいの提案で終わるわけがない。この大作戦の真骨頂は、この後の展開なのである。(以下次号)
2009年7月21日(火)

 部屋で仕事をしていたら時々家内が私宛の郵便物を持ってくるのだが(と書くとどんな豪邸かと思うかもしれないが、客をお迎えする部屋もないぞ)、2ヵ月くらい前から、私宛に来る郵便物の宛名がおかしいのである。どうなっているのかというと、本来うちの住所と私の名前が書かれているはずのところに、何やら細かいアルファベットみたいなのがぎっしり並んだスタンプがペタペタ押されていて、宛名が全く読めないのだ。新手のバーコードか? 私は郵便物が来るたびに不思議に思っていた。どう目を凝らしても私には住所も名前も全く読めない。しかし、私に読めないということは、郵便配達の人にも読めないはずだ。読めないのにどうやって私の家に届くのだ。郵便配達の人は特殊なメガネをかけていて、それで見ると住所が浮かび上がるのか?

 しかし緊急に解明すべき謎でもないので何かモヤモヤしながら2カ月くらい経った今日、家内より先に家に帰った私が仕事をしていたら、隣の部屋に家内が帰ってきた気配がした。しばらくして隣の部屋に行くと、家内が郵便物を机の上に広げて何やらスタンプを押している。

田尾「あーっ! それや!」
家内「何?」
田尾「それ、うちで押しよん!」
家内「封筒捨てる時、住所とか消しとった方がええやろ?」
田尾「というか、それ何?」
家内「ケシポンやん」

 そのスタンプみたいなの、「ケシポン」だって。さっき書いたけど、細かいアルファベットみたいなのがぎっしり並んだスタンプ。宛名の上からそのスタンプ押したら、下の字がカンペキに読めなくなる。そうかー。そういや何かテレビでアイデア商品紹介とかで見たことあるような…。すごいなあ。みんないろんなもん考えるなー。

 さて今日は『うどラヂ』の録音日であったが、録音中に例の募金の回収日が決まりました。

 昨年、台湾で私企業が「讃岐うどん」の名称を商標登録してしまったため、台湾で「讃岐うどん」の名称が勝手に使えなくなった。それに対し、向こうで讃岐うどんの店をやっている樺島さんが一人で商標無効の裁判を起こして闘っているというのを聞いて、私らにはいかんともしがたいけれどせめて応援の気持ちを伝えようと、昨年暮れに有志10軒くらいのうどん店に募金袋を置いてもらっていたのである。えーと、山越、がもう、上戸、清水屋、白川、一福、夢う…あとどこやったっけ(笑)。で、それがもう8月が来ようというのにまだ回収に行けてなかったのですが、このたびようやく、8月4日(火)に朝から麺通団メンバーで「募金回収ツアー」を決行することになりました。

田尾「そういうわけで8月4日、朝から空けておくように。テレビカメラもついてくるからね」
H谷川「テレビも来るんですか」
ごん「まあ、最初設置した時も来ましたから、放送もちゃんと仕舞いしとかなね」
田尾「で、テレビが来るからではないけど、とにかく1日で全部回収するぞ」
H谷川「回りながらうどん食ってる場合ではないですね」
田尾「ない。ただし、回収スタートのがもうでは気合いを入れるために大と天ぷら2つ食う」
ごん「いいですねー(笑)」
田尾「まてよ、火曜日休みの店はないやろな」
H谷川「えーとですね…あ! 夢うが火曜休みです」
田尾「何とか」
ごん「困りましたね。どうします? 夢うだけ先に回収しとくか、後から回収するか…」
田尾「よし、夢うだけ回収を拒否したことにしよう(一同爆笑!)」
ごん・H谷川「夢うの大将、おいしいなー!(笑)」
田尾「『募金の回収を拒否する!』いう貼り紙をこっちで作って、勝手に店に貼ってカメラに撮ってもらう(笑)」
ごん・H谷川「あっはっは!」

 ウソですよー、大将(笑)。

 関係ないけど追伸です。峰山の私がオオスズメバチに刺されてえらい目にあったあの場所、巣が取り除かれて2年近く安全だったのですが、日曜日に通りかかったらあいつら、また帰ってきています。私はあそこまで登って、オオスズメバチ2匹に出くわして引き返しました。きっと巣を新築中です。お気を付け下さい。
2009年7月15日(水)

 午前10時50分頃、1コマ目の授業を終えて教室のAVラックのカギを返しに教学課に行ったら、チンペイの席の横のカウンターのところで何やら見たことのある女性がこっちを見て手を振った。うわ! 西岡がおる! 何でや! ニューヨーク在住だろうが!

田尾「何でここにおるんや!」
西岡「ちょっと問い合わせで」
田尾「チンペイいじめよったんちゃうんか」
西岡「いじめてないわ」

 タウン情報時代の二代目副編集長の、わら家でネギのツボにダシを入れてネギをバフバフ食った、あの伝説の西岡。用事があって善通寺に帰って来てて、ついでに母校に寄ったらしい(四国学院大学卒業生だ)。職員がいっぱいおるのに「暑いわー、ノド乾いたー、何か冷たい飲み物ないん」とかうるさいので、私は正門の向かいの喫茶に連れ出して飲み物をおごってやるハメになったがな(笑)。ほんまにもー。

 朝から衝撃の来客でリズムが狂いかけたが、グッと気持ちを立て直して昼からインタレストの編集会議。各特集チームからの状況報告を聞いて、問題解決やスケジュール修正等の指示を出す。空海オバカ企画チーム(内容は秘密)から情緒的な報告があったので、

田尾「きちんと数字で報告するように。全部で取材件数が何件で、今日現在何件の取材が終わってて、あと何件残ってて、締め切りがいつ、というふうに数字で状況を押さえておくと、だから残りの日でこういう感じで行ける、あるいは厳しいので取材スタッフを増強する必要がある、とかいう対策が取れるだろ? 情緒的な報告をしてると、有効な対策を取らないまま締め切り直前になって間に合わん! みたいになるんじゃ」

とかレクチャーして、続いて郷土料理チームから「スシ太郎企画が思いのほか進まず、2回のツアーで取材を終える予定が3回かかりそうだ」という報告があった。

田尾「うーん、取材メンバーを増強するか」
多田「次のツアーは私も行けます」
田尾「おー、ほな多田にもスシネーム付けないかんのー」
多田「いや、それはいいですから」
田尾「何言いよんや。このチームに入ったらスシネームは必須条件やんか」
多田「えー」

 くそー、スシネーム、スタッフに不評(笑)。仕方がない。今日チンペイに「また何か変な取材やってるみたいですね」とか言われたから、あいつ引きずり込もう。「吉田スシ平」でインタレストデビューじゃ(笑)。
2009年7月13日(月)

  寂しいパック寿司でうなぎ下がりになったテンションを挽回すべく、昨日の夕方は家内と焼肉なかむらに行った。あそこはいつも一杯なので夕方5時半頃に突撃して、我が家は2人ともお酒を飲まないのでひたすら焼き肉を食べて、6時過ぎにはもう食事終了。で、家内がメガネを見に行こうというので夕方6時半頃、久しぶりにEYE EYE ISUZUに行ったのである。たぶん5年以上ぶり。

 しかし相変わらず、EYE EYE ISUZUは品揃えのセンスがええなあ。「とりあえず入れとくか」みたいなメガネが一つもない。一つ一つ全部が「これはうちの店に置くべきかどうか」を吟味に吟味を重ねたようなラインナップで、油断もスキもない。まあどこの店も吟味して仕入れているのだろうが、この店はその精神が「客に伝わってくる」のである。さらに社長のE間さんはバイヤーとしてのセンスがかなりとんがっていて、店内の品揃えもさることながら、何やらレアものをいつも店のどこかに隠し持っている(笑)。

 何年前だったか、私がフラッと店に立ち寄って時計とかメガネを見ていたらE間さんが現れて、「おもしろいものを見せてあげる」と言って化粧ロープみたいなのを外して2階に連れて行かれたら、そこに、当時はまだ話題にもなっていなかったフランク・ミューラーの時計がズラリと並んでいた。

E間「これ、おもしろいやろ? たぶん関西から西日本でこれを置いてる店、うちだけ(笑)」

 フランク・ミューラーの西日本仕入れ第一号らしい。今でこそ超有名になったあのデザインの時計も、当時は「何じゃこれ!」である。時計にもファッションにも疎い私ではあるが、さすがにあの時は時計の文字盤の既成概念を超えたあのデザインに「何じゃこれ!」と釘付けになったのを覚えている(その後、値段を見て釘が抜けたけど)。で、そのウォッチをウォッチしただけで帰ろうとしたら、別のショーケースの中に珍しいカバンが入っているのに目が行った。

田尾「何でカバンがあるんですか」
E間「ちょっと趣味で入れてみたんやけど」
田尾「これ、ええですねー! 何か見てたら僕に訴えて来よる!」
E間「来るでしょ! これ、イタリアのカバン工房のおじいさんが一つずつ手作りしてるカバン。注文したらそれから作り始めるから、たぶん3ヵ月ぐらいかかるけど」
田尾「うわー、見てたらどんどん訴えてくる!」

 私はその時、生まれて初めてカバンを衝動買いした。イタリアの「LAVA」という工房の、表に金具が2つついたビジネスカバン(安Z、あの時買うたやつじゃ)。あまりに気に入って、あれからずっと今まで毎日のように使っている。途中、何度か色を塗り直し、最近は持ち手の皮が少しささくれ立ってきたので修理に出す予定で、もう一生ものである。

 思い出話は以上。で、家内とメガネを物色していたら、E間さんが出てきた。E間さんとスタッフのお兄さんと私と3人で家内のメガネを選ぶ。他の店では「これは違うなあ、これは合わん、これはいかん…」とか言いながら探すのだが、ここは「これええんちゃう? これもええ、うわ、こっちはもっとええんちゃう?」みたいになるからすごい。しばらく物色して買うメガネが決まったら、E間さんが「こんなんがあるんやけど…」と言って、奥から時計を3本出してきた。見ると、またまた「何じゃこれ!」。何やらヨーロッパの著名な現代アートの作家がデザインしたという、「子どものオモチャか!」みたいな文字盤の時計。しかし値段は70万円、100万円、150万円、みたいな(笑)。

田尾「こんなん誰が買うんですか(笑)」
E間「誰も買わない(笑)。全然売れなかった。けど、これツボにはまる人なら絶対おもしろいと思う(笑)」

 とんがりバイヤー、健在だ(笑)。ちなみに「カバンは?」と聞くと、「もうやめた(笑)」そうです。それにしても、物販ビジネスにおけるバイヤーのセンスの重要性を改めて思い知りました。「人が買いたくなる物を揃える」。マーケティングの原点です。そこを押さえずにイベントや情報発信をしても、たぶん多くがムダ打ちになると思います。
2009年7月11日(土)

 今日は朝9時に大学のインタレスト編集室集合で「第一回スシ太郎ツアー」を決行するというのに、早朝5時半から峰山に登る。インシュリン分泌不全を防ぐための並々ならぬ向上心の表れである。で、7時半頃山から帰ってきてシャワーを浴びて体勢を整え、高速に乗って大学に行くと、すでにインタレスト・イナゴ軍団のスシ太郎、スシファニー、三野スシ介が集合していた。

田尾「スシ次郎とスシ三郎はどうした?」
太郎「今日は用事があって行けないとか言ってました」
田尾「しょうがないな。ほな4人で出撃じゃ」
太郎「というか、僕らのネーミング、何か今ひとつカッコ悪いんですけど…」
田尾「自らを犠牲にしてでも読者の皆さんに喜んでいただく。それが芸人の努めじゃ」
太郎「芸人じゃないんですけど…」

 さてそういうわけで、次号の「インタレスト」の主力特集の一つは香川の郷土料理。郷土料理といっても我々のアプローチは平凡ではない。一例を挙げると、本日突撃する「寿司の部」では、香川県中の産直の店で売っているパック入りのちらし寿司に入っている「具」を全部調べて県内東西の具の傾向を明らかにしようという、未だかつて誰もやったことのないオバカ企画である。段取りは、まず産直でちらし寿司を買って(産直で売っている寿司はその地域の寿司の傾向をそれなりに表していると踏んで)、それをいちいちバラして中の具をほじくり出して確認するというアホらしい作業だ(笑)。さらに、百万香川県民がどうしても知りたいある調査企画がもう一つ。さらに「スシ太郎企画」をしのぐ爆弾“目が点”オバカ企画も取材が進行中である。

 さて、本日の取材は香川県の西の端、豊浜の産直からスタートした。店内でさっそくちらし寿司を発見し、購入。そのまま表の休憩スペースでパックを開け、手先の器用な私とスシファニーが具をほじくって持参した皿に取り分け、手先の不器用なスシ太郎とスシ介がメモに記載しながら写真を撮るという作業を開始した。

スシファ「これ、他人が見たら絶対怪しい光景ですよね」
田尾「天才のやることはたいてい、一般人には怪しく見えるもんや」
スシファ「あー、何か具が全部細かいから取りにくい…」
田尾「ほんまに。何かようわからんものも入っとるぞ」
スシファ「これ何ですか?」
田尾「タケノコちゃうか? 食べてみ?」
スシファ「……かんぴょうです」

 などと言いながら悪戦苦闘すること10数分。やっと具材の発掘を終えて、小皿に並べた具材にスシ介がカメラを構えた。

スシ介「もう写真撮っていいですか?」
田尾「おー。あ、ちょっと待てよ。後でどれがどこのスシかわからんようになったらいかんから、横に場所を書いた紙を置いて撮れ。作った人の名前も書いとった方がええか」
太郎「パックの裏に名前書いてるんじゃないですか?」

 と言いながらスシ太郎がパックを裏返したら、

太郎「あー! 先生! 裏に材料全部書いてますよ!」
田尾「何とか! 今までの苦労は何やったんや!」
スシファ「でも先生、これ、パックに書いてない具も入ってますよ。ほら、パックに書いてないのにこれ、キクラゲが入ってる」
田尾「ほんまや」
太郎「あ、書いてるのに入ってない具もあります」
田尾「おー! 何か俺ら、見てはいけないものを見たか?(笑)」

 本日の取材内容はまだ詳しくは明かせないが、興味深い事実がいくつか判明しました。結局、2軒目からはその場でバラすのをやめて編集室に持って帰ることにした。この日は十数軒回って、10パックのちらし寿司を持って編集室に帰還(同じメーカーの作っているスシは買わず、数軒は売り切れで買えず)。あと、売り切れてた高瀬町の産直でおばちゃんが気の毒がっていなり寿司6コくれた(笑)。それから編集室で2時間くらいかけて、ほじくり作業と撮影を終了しました。

田尾「スシは捨てるのはもったいないから、みんなで分けて持って帰れ」
スシファ「でも全部ほじくった後やから、何かきたならしいですよ」
田尾「ほじくっただけやから基本的には何も変わってないはずや」

 ということで私もほじくられた後のちらし寿司を2パックといなり3コを持って、夜8時頃家に帰ったら家に誰もいない……あ! 今晩、家内は同窓会で「ささや」に行って焼肉食いよんや!

 今晩の私の夕食は、ちらし寿司でした。一人で寂しく、さんざんほじくられたちらし寿司を食べました。中身は同じやのに、きたならしくほじくった後はすこぶるまずいです(泣)。スシ太郎ツアー、あと中讃と東讃シリーズが残っています。驚愕の詳細オバカレポートはインタレスト次号で。
2009年7月9日(木)

 土曜日あたりから身の回りで小ネタが続発しているのだが(タイトルだけつけると、「峰山の交尾牛おじさん」「上村さんと深夜の路上ライブ遭遇事件」「王将で篠原さん」「初代麺通団メンバーとうどん撮影デー」「2日連続高速に乗ってうどん屋事件」等々…)、忙しすぎて一本ネタにまとめる暇がない。あと数日、仕事させて。一息ついたらちゃんと日記再開するとともに、近々麺通団から、主に東京の皆さまにビッグニュースもお届けします。今日はとりあえず、元気で頑張っていることのご報告だけ。
2009年7月1日(水)

 体調不良ネタの後で日記をほったらかしてたら「何かあったのか!」と思う人がいるかもしれないが、月曜日の精密検査の結果、無罪放免になりました。心配してくれた数人の方、すみませんでした。私の不幸を願っていた方、残念でした(笑)。内臓のCTと脳のMRIをやって、画像を見ながら院長から説明を受けたら、

院長「脳は異常なしや」
田尾「シワとか、大丈夫ですかね」
院長「私より多い感じやな」
田尾「よし」
院長「内臓も異常なし」
田尾「昔、急性膵炎をやってるんですけど」
院長「これ膵臓やけど、いい形しとる。肺もきれいやなー」
田尾「30年もタバコ吸ってるんですけど」
院長「ほんま? あれー? これ違う人のCTかな」
田尾「なんでやねん!」

 みたいなことでした。ちなみに辞書で調べますと、
CT(computed tomography=コンピューターのX線断層写真撮影)
MRI(magnetic resonance imaging=磁気反響画像)
 なるほど、「反響」やからMRIの検査中、耳栓されてもあんなにガンガンうるさいのか。ま、そういうわけでここのところの体調不良は知人による「ストレス説」と勝谷さん、都村さんによる「男の更年期障害説」に絞られたが、提唱者の地位と名誉から後者を採用することにします(笑)。あー、歳とると病気ネタが多くなる。人間の体は歳を重ねるごとに摩耗していくのが当たり前なんだから、いつまでも若い時の健康を追い求めてあがくことはしない、というのが私の生き方なので、引き続きできることは一生懸命やる。勝谷さんの口癖、「ただ生きるな。よく生きよ」。私もそう思う。あ、思い出したけど、この前勝谷さんからいい話のメールをもらった時に付け加えるのを忘れていました。

「こんないい話がいっぱい読める勝谷さんのメールマガジン(有料)のお問い合わせ・申し込みは、info@katsuyamasahiko.jpまで」

 よし、これでカンペキ(笑)。
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