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2006年03月の日記
2006年3月30日(木)

 月曜日、大学から帰りに宮脇書店国分寺店にフラッと立ち寄って資料を物色していたら、以前から何度も本屋で探しては見つからなかった本を発見して、買って帰っていたのである。西尾幹二編「国民の歴史」、本文776ページ、広辞苑の3分の2ぐらいの厚さ。で、インタレストの原稿が残り4ページにこぎ着けて、ひとときの気分転換に風呂の中で読み始めたのである。まだ50ページにも達してないが、買うてよかった。また明日からしばらく読む時間はないけど、頭の50ページで私の中では「この本はオッケー」(笑)。たぶん数回読み返すことになると思います。

 でもこの本、3年前に出会ってたら、私は何を書いているのか本質を理解できてなかったかもしれん。

 それまで私は、日本の歴史については30年以上前に小学校と中学校と高校で習った内容と、その後大人になってテレビや新聞で断片的に入ってくる情報くらいしか知らなかったのである。そこへ3年前、たまたま空港の本屋で買ったことから井沢元彦の「逆説の日本史」のシリーズに、文庫と単行本合わせて12巻を何と3回も読み返すほど嵌って、それから何か「今まで習ってきた日本史、おかしいぞ?」ということに気がついて、何冊か違う本を読んできた。私は元々ほとんど本を読まないので(「ゴルゴ13」は除く)大した読書量ではないが、たぶん「逆説の日本史」以後の3年間があったから「国民の歴史」の内容がよくわかるのだ、と思う。まだ50ページやけど。

 ちなみに私は歴史にはあまり興味がないので、「逆説の日本史」も「国民の歴史」も「歴史書」と思って読んではいません。日本人の何たるか、という、自分に関わる教育書として読んでますねん。

 実は私はタウン情報時代、社史を3冊書いたのである。1冊は東京に本社のある一部上場企業の香川の出先工場の20年史。もう1冊は香川のある老舗企業の戦前の創業からの約50年史。もう1冊はある団体のこれも戦前からの約50年史。いずれも資料や写真集みたいな記念誌ではなく、数百ページの文章で構成した社史で、1年から2年かけて大量の資料や数十人からの聞き取りをベースに一から仕上げたものである。文化人講座やゲリラうどん通ごっこのオバカ文章の連載と平行して、ちゃんとこんな真面目な仕事もやってたわけですが、あの時私は、「歴史の編纂とは一体何ものか」というのを、書き手の立場からはっきりと認識したのを覚えている。すなわち、その一面を極端に言えば、「書いた人が歴史を作ってしまうのだ」ということです。

 もちろん取材と資料を基に書いた社史なので、私の創作社史ではない。1冊は恐れ多くも岩崎弥太郎の話から書いてますし、また1冊は戦前の時代背景からちゃんと入ってますし、あと一冊は途中のエピソードに(笑)を入れたら社長が「おもろいからそれで行こ」いうて、(笑)入りの社史になってますが(笑)。けど、それが後世に残るわけですよね。編纂を発注した工場長や社長や理事長の意向が入った歴史が。そういう意味で「書いた人、あるいは編纂させた人が歴史を作ってしまう」ということである。

 それを体験者として知っていたので、「逆説の日本史」が実に痛快だったわけで、その延長で「国民の歴史」に今、ワクワクしてるところです。読み終えるの、だいぶ先になりそうやけど。

 今日は早朝から原稿に取り組んで、昼、久しぶりに「あたりや」であつあつの大を食った。あたりやのうどん、ますます凄味を増しとる。

大将「田尾さんも知っとる○○の社長な、最近よう来よるで」
田尾「ほんまなー」
大将「最初はな、ワシが偏屈げなきん来ん言よったのに、“会うてみたらそうでもないな”やて(笑)」

 あたりやの大将、一見取っつきにくそうで絶対損しとると思うけど(笑)、ありゃほんまもんの職人じゃ。というか、天才が入っとるかもしれん。ま、普通のお客さんはそこまで気に掛けてないかもしれんけど、凄いうどん出しよる。

 午後から学科事務室で漆原先生や学生10数人らと来週末のオリエンテーションの打ち合わせやいろんなことをやって、インタレストの残りに取りかかって、睡眠不足や疲れで目の奥が熱くなってきたので退散。夜、薬飲んで原稿書いてます。4月10日からの授業の準備、全然できてないがな。

田尾「仕方がない、前期の授業、バイシクル・オペレーションで行くか」
S原「自転車操業ですね」
 
2006年3月28日(火)

 原稿の合間に、RNCの熊谷おば…いや、ねえさんから頼まれて断れなかったラジオに15分ぐらい出てきた。笑福亭小つるさんと伊達典子さんのやってる昼の生ワイド番組。何か「学生の1人暮らしのワンルーム、あなたはベッド派? ふとん派?」みたいなテーマだったので、関連して当時の貧乏学生の必須インテリアアイテム「ファンシーケース(笑)」について熱く語って、それから第二書斎のアップタウンに行って夕方5時半までインタレストの原稿に取り組んで、家に帰ってメシ食って風呂入ってまた原稿にかかろうと思って、ふと今日のラジオの同録テープをもらってたので聴いてみたのである。

 そしたら小つるさんと掛け合いでマシンガンのようにしゃべっている途中で、本番中に全然気づかなかったこんなやりとりがあったことを発見。

つる「何か今度雑誌を作っているそうですね」
田尾「はい。香川県にあるいろんなネタを集めて、ちょっと切り口を変えて見せてみようかと思って」
つる「田尾さんのその“切り口”いうのがすごいからなあ。普通の人と視点が360度違いますからねえ」
田尾「それで特集を3本予定してるんですけどね…」

 で、そのまま特集の話になだれ込んでた。あかんがな。「360度違いますからねえ」ですぐさま「元に戻っとるがな!」とツッコミ入れてあげないかんとこやがな。いやー、私としたことが、全然余裕のないしゃべりをしてたんやなあ。小つるさんに悪いことした(笑)。ま、大したことじゃないですけどね。普通の人には。

 さて、イタリア小ネタレポート第2弾は、イタリアの観光ガイド事情です。実は私が参加したツアーは日本からガイドさんがずーっとついて行ったのであるが、イタリアに着くと現地のガイドを使わないといけないという決まりになっているらしくて、行くところ行くところで次々に違うガイドが同行してくるのである。現地の雇用対策の一環らしいのだが、例えば初日の晩にミラノに着いて、翌朝、バスでミラノ観光に出る時に、ホテルからちょっと出た公園みたいなところにバスが止まったかと思ったらそこでイタリア人のおっちゃんが乗ってきて、日本から一緒に行っているガイドさんが「ミラノ観光のガイドをしてくれる○○さんです」言うて、そこからガイドが2人になるわけです。で、日本のガイドさんはそこでガイドすると越権行為になって怒られるらしくて、イタリアのガイドのおっちゃんについて行くことになる。で、ミラノ観光が終わるとバスは最初の公園に戻って、おっちゃんは「はい、私の仕事はここまでです」言うてバスを降りて、そこに置いてあった自転車で帰っていきました(笑)。

 という感じで、行くところ行くところで違うガイドが「そのエリアだけのガイド」をして、去っていくのである。ひっくり返ったのは(いや、ひっくり返ってないけど)フィレンツェの駅でユーロスターに乗る時。午前中、フィレンツェだけのガイドさんがついて街や美術館を案内してもらって、それからユーロスターでナポリに行くためにフィレンツェの駅に着いたら、ガイドさんが「お仕事終了」言うてバスを降りたわけです。そしたらすぐさま違うイタリア人のガイドのおねえさんが来た。「いやいや、ガイドの出番終わったがな。あとは私ら、ユーロスターでナポリに行くだけやがな」と思っていたら、日本人ガイドさんが、

ガイ「えー、ここからユーロスターに乗るまでのガイドをしてくれる○○さんです」

 すぐそこまでやがな! 改札出てホームに出るまでのガイドかい! 

 イタリアの観光ガイド事情は、ものすごいワークシェアリング(笑)。ちなみにベローナではイタリア語しかしゃべれない現地ガイドが乗り込んできて、その人のガイドを日本のガイドさんがいちいち私たちに通訳をするということもあったし、どこか忘れたがもう一人、英語しかしゃべれなくてまた日本のガイドさんが通訳しながら回るという現地ガイドもいた。というか、イタリアで英語しかしゃべれない現地ガイドって、何や(笑)。

 今回の“当たり”ガイドは、ベネチアのサンマルコ広場のガイドを担当した、変な日本語を話す、その名も「マルコ」です。

マル「私の名前はー、マルコです。サンマルコ広場でー、マルコです」

 来たぞ来たぞー!(笑)

マル「この広場にはー、たーくさんのお客さんと、たーくさんのガイドがいます。皆さんはー、イヤホンガイドをつけてるね。他のお客さんもみんな、イヤホンガイドをつけてる。私がしゃべる声は皆さんのイヤホンガイドに聞こえるけれどもー、時々他のガイドさんの声が混じる時があるねー。だから皆さんはー、私の声を覚えてください。私の声はー、いい声ー。声もいいけどー、顔もいいー」

 マルコの顔は、「しまりのないダン・エイクロイド」が80%入っていると想像してくれれば完璧です。

マル「最初に広場の説明をします。広場の周りの建物はー、見たらわかる。1階がお店になっています。たくさんある。どこもお土産を売っています。でもー、私がお勧めするお店は右の向こうの路地を入っていく。その奥もお店がたくさんあるよー。そこを入っていくとー、一つ目の角にグッチがあります。ブランドの店ではないよー。お土産の店のー、入りグッチー」

 ダジャレかよー(笑)。続いて我々は、ベネチアンガラスの工房に案内された。職人さんがガラス細工をしているのを見て、さらに奥へ案内されるとケバケバしい色のベネチアンガラスの商品がズラーっと並んだお店になっていた。

マル「ベネチアンガラスはニセモノがたくさんあります。ここは本物ー。だからー、ベネチアンガラスを買いたい人は、ここで買うと間違いないね。買わないとー、出られないよ(笑)。もし買わないで出られなくなったら、私に言うと弁護士を呼んであげます。私は優秀な弁護士を知っている。マールヤーマ弁護士」

 誰が教えたんじゃ! そんなネタ。ま、マルコの名誉のために言うと、ちゃんとしたウンチクも詳しくて、中世の建物の中や美術品の説明も充実していました。

マル「この部屋は、政治犯を拷問した部屋ね。これは、指を締め上げる拷問の道具。今で言うと、結婚指輪みたいなものね」

 うまいやんけ。

マル「これは、中世の貞操帯。使い方は、わかるね(笑)。中世の兵隊さんは、遠征に行く時に心配だからー、奥さんに貞操帯をさせてー、カギは自分で持って行ったねー。でもー、貴族はー、その合い鍵を持ってたりしましたー(笑)。やり手の貴族はー、いろんな合い鍵をたーくさん持ってた。中世で一番お金持ちは誰ー? 合い鍵屋さんね(笑)」

 何のことだか意味がわからないが、そういうことらしい。今日はここまで。
2006年3月27日(月)

 読者27人と書いたら「私も見てまっせ」という連絡を数人から頂いたので整理してみると、私の周りで29人に増えたので修正するが、大したことではない。

 香川の情報を変わった視点から料理しながらカルチュラル・マネジメント学科の学生教育と学科及び四国学院大学のPRを狙ったフリーマガジン「インタレスト」の編集追い込みで、朝から大学の学科事務室で学生スタッフの作業を指示、夜は外部協力スタッフの笹木、和田画伯、松本君をアップタウンに集めて、遅れに遅れているスケジュール挽回のミーティングを行った。今日は3本ある特集のうちの一つ、「香川の名字の勢力図」の最終の詰めで、学生たちが必死で集計したデータを笹木が分類整理し、それを松本君が2ページ見開きのビジュアルに作り上げてきたのを検討するのである。

松本「とりあえず、こんな感じにしてみたんですけど」
田尾・笹木・和田「おおー! これはすごい!」

 まだお見せするわけにはいかないが、すごくおもしろい、おそらく香川では初めて見る「勢力図」ができあがりつつあります。続いて文字校正をしていると、ランキングの順位に間違いを発見。

田尾「あれ? こっちの資料、今日学生が最終集計を出したやつやけど、最初の資料で作ったこれとランキングの順番が違うぞ」
笹木「3位と4位が逆ですね」
田尾「えーと、あ、こっち、2354が3位で2364が4位になっとるが」
笹木「2364が3位ですよね」
田尾「誰が集計したんや。あ、阿Bや」
笹木「阿Bくんですかー(笑)。会うたことないけどええキャラですねえ」
田尾「すまんすまん。5より6の方が大きいこと、まだ教えてなかった」

 ケアレスミスです。とフォローしときます。阿Bの名誉のために(笑)。さてと、イタリアレポートはどうしたものか。全部やると「超麺通団3・団長の事件簿」のケアンズレポートより長くなるが、とりあえずミラノから入ってベローナ行ってベネチアに行ってフィレンツェに行ってユーロスターでナポリに入ってポンペイに行ってカプリ島に渡って青の洞窟に入って、ローマに行って帰ってきました。

 2日目のホテルの夕食。強烈に磯臭いスパゲティに続いて強烈に臭いドレッシングのかかった苦い野菜のサラダが出てきて、口で息をしながら一口だけ食べて、鼻が曲がるほど臭い香草をまぶした痩せた白身魚のムニエルみたいなのを口で息をしながら三口ぐらい食べて、それに添えられた口の中でとろけるようなブロッコリーを1つだけ食べてメインディッシュ部門を終了。あと、デザートとコーヒーで、デザートにハズレはないやろと思っていたら、出てきたのがキタナイ豆腐みたいな姿のプリン。見ると、下から透明の汁みたいなのがしみ出ている。食べたら、何か固いところとドロッとしたところが混ざって変な食感で、味もハテナ? みたいな。最後に出てきたエスプレッソが、煮詰めて風味を全部飛ばしたみたいな悪濃い味だ(笑)。いや、笑うしかないっちゅうに。

 部屋に帰って風呂に入ろうとしたら、シャワーカーテンがない。シャワーはえらい高いところにかかっていて、中段に引っかけがない。あれ、背の低いばあちゃんが入ったら絶対にシャワーに届きません。しかもシャワーを出したら中央付近の3つぐらいの穴以外全部詰まっていて、中央からものすごい勢いで湯がジェット噴射してきて体に当てると痛い痛い! あのね、体についた石けんの泡をシャワーで落とそうとしたら、ピンポイントで直線的に噴射してくるから、湯が当たったところの泡しか落ちんのです。状況、わかります? 泡を全部落とそうとしたらお湯をクネクネと、ガラスにスプレー吹くみたいに当てないかん。しかも痛い(笑)。痛いから体から離してシャワーしようとしたら、シャワーカーテンがないもんだから体を外したら反対側の洗面台の壁面に湯が直撃する(笑)。

 私、シャワーをして不快になったの生まれて初めてです。風呂から出てテレビをつけました。けたたましい声のイタリア語のニュースが流れました。とりあえずイスに座ってリモコンでチャンネルをいろいろ変えていて、しばらくして眠くなったのでベッドに入ってまたチャンネルを変えようとしたら、全然リモコンが効かん。電池切れかいな…と思って手動で変えようと思ってベッドを下りてテレビに近づいて、ちょっとリモコンを押したら、あれ? チャンネル変わるがな。私はまさかと思いつつも、チャンネルを変えながら少しずつテレビから離れてみたら、ちょうどベッドの長さの半分あたりでリモコンが効かなくなることが判明しました。 電波が(電波かどうか知らんけど)3メートルしか飛ばんリモコンかい!(笑)

 翌朝、ブッフェスタイルの朝食で脱脂粉乳を2倍に湯割りしたみたいな牛乳を飲んでホテルを出る。表にかかった看板のホテル名の下に、緑色の星が4つ並んでいました。4つ星かい! 私はどうにも納得できんで、同行のツアー客に聞きました。

田尾「ここ、4つ星ですか?」
客「みたいですね」
田尾「緑の星5つで赤い星1コになるんちゃいます?」
客「あっはっは! そうかもしれませんね(笑)」

 正直なところ、さらにその赤い星5つで金の星1コになるんちゃうかとにらんでるんですが。いや、楽しかったですよ(笑)。
2006年3月24日(金)

 現在27人ほど確認されている読者の皆さん、申し訳ありません。仕事が佳境で小ネタを披露するヒマがありません。とりあえずご一報のみ。H谷川君、ラジオの打ち合わせせないかんのやけど全然できん。
2006年3月20日(月)

 ちょっと留守にしておりましたが、本日取材旅行から帰ってきました。イタリアから山ほどネタを持って帰ってきたのですが、現在、実質24時間ぐらい寝てないのでまだネタが十分こなれてない。牛乳屋さんにお土産で「ナポリの珍味」を探してこようと思ったのだが、自由時間がなくて発見できず。というか「なとりの珍味」がわかる人が少なくてかなり隙間に突っ込んでいくギャグやけど。あと、ミラノのドゥオモ(大聖堂)にいる間中、頭の中を「ドゥオモー、吉村真理です」いうのがぐるぐる回ってたのを覚えているが、今日はここまでで勘弁してください。山ほど仕事とメールの返事を抱えたまま、もう寝る。
2006年3月11日(土)

 大西桂(本名)からのメール。

こんにちは
たまに麺通団日記を読ませていただいてます
3/8のイベリコ豚について
イベリコ豚とは、スペイン産の黒豚
広い敷地で放牧されて育つので肉が(脂肪が?)豊かな味になるとのこと
そして、エサはドングリ

ドングリですよ
ドングリ

ドングリなんかその辺に落ちてるでしょ
そんな安いエサなのに、高級肉とは・・・

人間も粗食と広大な土地で飼育されると
価値があがるのかしら?
香川県は広大な土地と小麦(うどん)だから
イベリコ資質がありますね

以上、無断転載(笑)。「ドングリなんかその辺に落ちてるでしょ」あたりのくだりは本人の性格と口調を知ってるとおもしろさ10倍増なのだが、要するに何? 香川の俺らの肉は高級っちゅうことか? けど最近ウォーキングで脂肪が減ってきたからなあ(笑)。

 で、一昨日、子どもらが春休みで大学から帰ってきたので、何かうまいもん食いに行こうということになったのである。もう、あれしかないがな。

長男「一鶴(骨付鳥の名店)でもええな」
長女「まあ、一鶴でもええか」
田尾「どうしてもというなら、イベリコ豚という選択肢もあるぞ。ま、お前らには普通では食べられん世界の高級グルメやけどな」
長女「知っとる」
田尾「食べたことあるんか!」
長女「蔵ずしにある」
田尾「寿司屋でイベリコ豚が出るんか! というか、そんな高級な寿司屋にいつ行ったんや」
長女「100円寿司やで」
田尾「それ、ほんまにイベリコ豚かあ? よーに見たらイベリ・子豚とか書いとんちゃうんか」
長女「それ、もひとつやな」

 なんとかー、回転寿司に回りよんかイベリコ豚! 何か感激度がうなぎ下がりになったので、家族で回転寿司に行ってきました(笑)。そしたら今日、勝谷さんからこんなメール(無断転載)。

「イベリコ豚というのは長野県伊部里村で生育された生後60日以下の子豚を言います。
よくカタカナ表示されますが、正式には『伊部里子豚』です。」

うわっちゃー! ほんまに「イベリ・子豚」やったんや! と思ったら、

「全部嘘です。わはははは。でも、一度一緒にトンカツ食った連中に言うて、信じるかどうか実験してみてください。大阪に、イベリコ豚の焼きトンを出す呑み屋があって、無茶苦茶うまい。今度行きましょう。」

って。信じかけたやん!

 今日は朝5時に起きて6時半まで仕事して、外がものすごい濃霧だったので何かワクワクして、6時半からサウナスーツ着てビー・クォーター飲んで濃霧の中を峰山に上がってきた。標高375m、我が家から山頂の展望台までたぶん5〜6kmくらいある。これを大体1時間くらいで上がる。土曜のこんな時間には人が出てないだろうと思いながら出発したら、まずすぐそばの家の前でゴルフバッグと一緒に迎えを待っているらしいおっさんに出会う。紫雲中学の前で、ゴルフバッグと一緒に立っているおっさんに遭遇。石清尾神社の入り口で、ゴルフバッグと一緒に誰かを待っているおっさんを発見。ゴルフ大会があるんかい!

 登りに差しかかると、すでに上がってきたらしいウォーキングじじばば軍団(15人くらい)が下りてくるのに出会う。続いてどっかの高校の運動部らしき軍団10数人がランニングで下りてくるのに出会う。続いてさっきの運動部軍団から脱落したちょっと小太りの生徒3人が歩きながら下りてくるのに出会う。続いてウォーキングじじばば第2軍団に遭遇。一人でウォーキングをしているおっちゃんに何人か遭遇。出発から約1時間後、アスレチックの横で造園工事みたいなんをしている作業員のおっちゃんに「おはよございまーす」言うて汗だくになって展望台に上がったら、見事な濃霧ですぐ下の街も見えない全くの真っ白の世界でした。

 家に帰ってシャワー浴びて、まだ朝の9時前。今日はよっけ原稿書きました。夜10時までがんばって、一息ついてアップタウンに行ったら牛乳屋さんと細川がいて(さっきまでごんがおったらしい)、バカ話をしてたらしんちゃんが来て、夜12時前に家に帰った。ふー。全32ページのうちの13ページ完了。まだ先は長いぞ。
2006年3月8日(水)

 あーん、どっか山にこもって音信不通になって原稿書きたい。

 実は去年の暮れから、私の所属するカルチュラル・マネジメント学科の浮沈を賭けた(と学科長たちから期待をかけられている)フリーマガジンの企画制作に取り組んでいるのである。これが真っ白の状態からの創刊号で、コンセプト作りから企画、取材、原稿書き、デザインとの打ち合わせ、印刷交渉まで全部一から組み立てながら今日に至る。これを、1月末までは授業や会議のない時間を拾いながら取り組んできて、後期の授業が終わった2月からは「さあ、集中的にやるぞ」と心構えだけはしたのだが、毎日毎日依頼事やら電話やらがバラバラ入ってきて、構想を練っている頭の中がブチブチ切られながら、3月末の締め切りがどんどん迫ってきてるのです。

 さらに大変なことに、これは私の担当する情報発信プラクティカムとも連動していて、履修している20人くらいの学生たちの実践教育も兼ねてるから、学生に編集の基本を教えながら作業を分担して進めているのである。「分担してるのならちょっと仕事が軽減されるやん」と思った人は、全く考え違いをしています。分担したら、一人でやる場合の3倍くらい手間がかかるんじゃ。だって、全員素人やぞ。いちいち説明しながら、けどただの一度としてちゃんとしたものが上がってこないからいちいち修正しながら、時には一から教え直しながら、一からやり直させながら、しかし世に出すマガジンであるから「学生が作ったので…」とか言って学芸会の延長みたいなものを出すわけにはいかんからもう大変。

 で、悪いけど創刊号は時間がないので、この期に及んで和D、S木という強力なプロの助っ人に登場いただいたというわけである。3週間前、2人を集めて、学生たちが集めたデータを見ながら3時間にわたって料理の仕方のミーティングをやって、コーヒーとお菓子を出して十分な接待をして全32ページのうちの8ページを担当してもらうということで「田尾さんのためなら、たとえ火のそば水のそば」という力強いお言葉をいただいて、私は中船に乗った気持ちでこないだ「どんな感じや?」という電話をしたら、誰も1行も取りかかってなくて本日、再集合をかけたのである。

S木「ま、泥船に乗っていたということですね」
田尾「強力な助っ人やと思とった俺が甘かったわ」
S木「協力的な助っ人ではあるんですけどね。けど今日、もう一人助っ人を呼んでありますから」
田尾「強力か?」
S木「えーと、協力的」
田尾「S原か」
S木「何でわかるんですか!」

 夜7時半、全員がアップタウンに集合して1時間ほど熱のこもったミーティング。それからちょっと夕食を挟もうということで、トンカツのひがさに突撃することになった。

S原「うわー、ひがさや去年の8月以来ですよ〜」
田尾「泣くな泣くな」
S木「めちゃめちゃ覚えてますやん」
S原「ひがさやぞ。めったに行けんが」

 店に入ると男前のマスターが「久しぶりやな〜」と言って小上がりの部屋に入れてくれて、美人の奥さんが(奥さんやろ?)メニューを持ってきた。みんながメニュー選びを始める。

田尾「どうせ1000円台の一番安いやつやんか。選びよるふりをするな」
S木「うわ! イベリコ豚(ぶた)が入っとる」
和D「イベリコ豚ですか!」
田尾「あのくるくる回りながら空を飛ぶ」
S原「それヘリコプターです。イベリコ豚!」
田尾「何やそれ」
和D「今グルメ番組でしょっちゅう出てますやん。スペインかどっかの高級豚ですよ」
田尾「なんぼや? 3990円? おー、ロースの3倍やんか!」
S木「僕ら、ちょっと無理ですね…」

 ワーワー言いながら吟味に吟味を重ねて、我々は注文した。

S木「あのー、ロースカツ定食」
和D「私もロースカツ」
S原「ロースカツ」
田尾「イベリコ豚」
全員「おーっ!」

 奥さんが厨房に向かって告げた。

奥「ロース3つ、イベリコ1つ」
田尾「すんません、イベリコのとこ、ちょっと強めに発注してくれますか?」
奥「ロース3つ、イベリコ豚1つー!」

 バカです私ら(笑)。そうこうしているうちにトンカツ登場。ロースを前にした3人に見せびらかすように、私は早速イベリコ豚の真ん中あたりの一切れを取って食べた。

S木「どうですか?」
田尾「んー……おお! 全然違うぞ!」
和D「どんなんですか?」
田尾「ワイルドや。肉がこんな一切れの中で均質でない。さらに、肉の油の風味が格上じゃ」

 みんながあまりに物欲しそうに見つめるので、私は意を決して一切れをS木のお皿に置いた。

田尾「一切れ味見させてやるわ。3人でかじり合え」
S木「かじり合うんですか!」
田尾「あほか、一人に一切れずつやったら俺のが半分になるやんか。ほら、一切れやるけんロース一切れ返せ」
S原「大学教授のセリフとは思えんな」

 我々は今日から、イベリコ豚をメチャメチャ語るぞ(笑)。他の3人は一かじり分しか語れんけど。食事を終えて我々はその場でミーティングの続きを11時半までやって、ようやく目処が付いて店を後にすることにした。

田尾「しかしひがさ、また一段と切れ味を増したな」
S木「それ、イベリコ食べたからです!」
2006年3月3日(金)

 数日間全面かかり切りの仕事がめでたく3/1(水)の昼に山を越える。その間、日曜日に以前から入っていた会合で3時間取られ、月曜日に以前から入っていた学生ミーティングと取材で7時間取られ、火曜日に大学の会議や何かで5時間取られたからほんまにかかりっきりになっていたらもう1日は早く山を越えられたはずだが、用事がなければなかったで集中力が油断するから同じことであろう。そんなもんっすよねえ…って、誰に同意を求めているのか。

 で、3/1の昼から直ちに元の仕事に追われる。今日は朝から原稿に取り組んでいて、また煮詰まったので、黒のサウナスーツの上下を着てさらにベンチコートを上から着てビー・クォーター飲んで、考え事をしながら峰山に上がった。50分ぐらい歩いて山上の公園を越えて展望台に向かっていたら、ちょっと先にひょこひょこと歩いている初老のおっちゃんが見えた。あの歩き方はもしや…と思って早足で追いついたら、うわっちゃー! 世相じいさんや!

じい「お、田尾さん」
田尾「うわー、久しぶりですねえ。どしたんですか、長い間見んから寝込んどんかと思ってました」
じい「それがあんた、ぎっくり腰で歩けなんだんやが」
田尾「なんとですかー」

 そういうことだったらしい。「田尾さん」と声を掛けられたのは初めてなんで話をしながら探っていたら、歩けんので家でよくテレビを見ていたら毎週金曜日に私が出てるのを発見したらしい。そこから展望台までじいさんの速度に合わせて10分くらい、いろいろ話をしながら歩いていたら、じいさん、私と一回りしか年が違わんことが判明。本日より「世相おじさん」と呼称変更する(笑)。展望台でおっちゃんが永田議員を斬るのに相づちを打っていたら、装備万端のトレッキングおばさんが上がってきて、私らが話しているところに来ておっちゃんを見つけて

おば「あらー! 久しぶりですね! どうしてたんですか?」
世相「腰をやってな、歩けなんだんやが。太ってしもたが」
おば「そうですかー。でもよかった、歩けるようになって」

 しばらくするとまた違うトレッキングおばさんが来て、

おば「あら、最近姿が見えないから心配してたんですよ」
世相「腰をやっての。歩けんがい」

 しばらくして二人で山を下りかけていたら、下から上がってきた軽トラのおっちゃんが世相おじさんを見つけておっちゃんに向かって手を挙げる。おっちゃん、やっぱり峰山名物なんや。それにしても今日はおっちゃんやおばちゃんから、私の知らないライフスタイルの話をよっけ聞いた。何でも峰山に歩きに来ている人の多くはおばさんたちで、その人たちの多くは年に何回も全国の山に登に行ってて、峰山はその練習のために何度も上り下りしているらしい。こないだはグループでマレーシアに山登りに行ってきたとか、スイスの山に行ってきたとか、腰まで埋まる雪山に行ってきたとか、小笠原諸島は交通費が高い割に高い山がないからあまりおもしろくなかったとか…。へえー、そういうことやってる人がよっけおるんや。

 などと思いにふけっている場合ではない。帰って山のように押し寄せてくる仕事に取り組んでいたら学生の星野Oから電話。あるところに頼んでいた原稿用の資料が予定日を越えても全然出て来んので取り立てを指示していたのだが、行ってみたら「そんな資料は頼まれた覚えがない」と言われたらしく(私が直接頼んで「できれば2月中に」と言ったら「もうすぐに、2月17日には用意しておく」って言うたのに)、もう予定が大幅に狂ったやないの。どやって取り返すぞ、これ。
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