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2005年08月の日記
2005年8月31日(水)

 夏休みの宿題ができないままに8月終了(笑)。阪神も中日に負けちゃったし。

 阪神が今68勝で残り25試合だから全部勝って93勝。中日が今67勝で残り30試合だから全部勝って97勝。ということは、今、中日が4勝分リードしてるということ。ということは、阪神は中日戦の残り6試合を5勝1敗でいかないと、優勝(最多勝ち星)は厳しい…という感じでおります、私は。つまり今、0.5ゲーム差で首位にいるのではなく、中日を4勝差で追いかけていると。

 何か、ゲーム差表示ではなく、セリーグの優勝ルールに合致した「勝ち星ライン表示」みたいな表示ができんのですかね、スポーツ新聞。ルールが変わってるのに表示が変わらないというのも、どうも怠慢な気がして。

 というか、日記を書いてる場合でないんじゃ、俺は。明日は朝から大学でフィールドプラクティカムのミーティング。金曜はテレビがあって、土曜は例の「平成こんとん食堂」の最終試作と撮影会。日曜日は早朝7時30分に牛乳屋さんやアップタウンのねえちゃんたちとごんのマンションの前に集合して峰山ハイキングをすることは、ごんには言っていない。

田尾「どうせあいつ、そんな時間には爆睡してますからね」
牛乳「高脂血症は登山してもええんかな」
田尾「激しい運動したら血がものすごく回って、摩擦熱で脂に火がつくんちゃいます?」

 ま、私ら文化系の会話しますから。
2005年8月30日(火)

 東京に行っている間にボルボ13号のエアコンの修理ができたという連絡があったらしく、昨日、車を引き上げるために家内にヨシイモータース(車で10数分かかる)まで送ってもらって、ついでにすぐそばにあるアミチャーベーカリーでめちゃめちゃうまいおいも食パンを買おうという段取りで出かけたら、ヨシイモータースにたどり着いたら定休日で、ガックシと肩をカカトまで落としてすぐ先のアミチャーベーカリーに行ったらこれも定休日だったという、立ち直れない一日だったのよ昨日は。

 で、講義準備にうなりながら、気分転換に夜の8時過ぎにアップタウンに行って牛乳屋さんと、

牛乳「本広監督がうどんの映画を撮るんやって?」
田尾「はいな」
牛乳「うどんで大ヒットするかなあ。どうせなら大ヒット映画のおいしいとこ取りで、いろんなん入れといたらええんちゃうん」
田尾「黒いヘルメットにマント着てスーハースーハーいう悪もんが出てきて(笑)」
牛乳「スー、ハー、スー、ズー! いうてうどん食うて(笑)」
田尾「腰に下げた筒みたいなんを持って、ブン! いうて“ライト麺棒”になってうどんを延ばす(笑)」
牛乳「延ばそうと思て手を当てたら、うわっちっち!(笑)」

みたいなバカ話をして、それから夜の10時半頃からサンポートの赤灯台に向けてウォーキングをして、暗がりの中でいつになく激しいカップルが何組もおる横を早足で歩いて夜中の12時過ぎに帰って、3時頃まで仕事をして倒れるように寝たのである。

 で、今日は晴れてボルボ13号を引き上げて、アミチャーベーカリーでパンも買って、ついでに家内とがもうにうどんを食いに行ったら、「KSBスーパーJチャンネル」で一緒に出ているキャスターの中村君(挙動不審キャラ=岩井志麻子さん命名)にバッタリ出くわした。中村君、よくがもうに来ているらしいのだが、あの細いガタイでいつも特大(3玉)を食いよるらしい。負けじと私も大に天ぷら2つ。ストイックなダイエットをやっているA藤にはできん芸当だ(笑)。

 しかし気がついたら8月30日です。今月中に講義準備を全部上げて来月から本の原稿に取りかかる計画であるが、全7科目中、あと5科目残っとるがな。明日ははっきり言うて、香川県中の小学生の中で俺が一番ピンチやぞ。夏休みの宿題やないっちゅうねん! というか、小学生やないっちゅうねん。
2005年8月28日(日)

 そういうわけで原稿も上がってないのに昼の12時過ぎ、昨日粕谷さんに勧められた「現代版組踊・大航海レキオス」という公演を見るために、三軒茶屋にある世田谷パブリックシアターに行ったのである。会場の受付に行くと粕谷さんがいて、そこにいた一人の女性を紹介してくれた。名刺をいただくと、昨日話していた「タオ・ファクトリー」の高橋さんという方だ。

粕谷「こちら、田尾さん」
高橋「はじめまして」
田尾「はじめまして、田尾です」
粕谷「田尾さんは讃岐うどんブームの仕掛け人なんですよ」
高橋「はあ」
(讃岐うどんブームはあまり知らないのか?)
粕谷「『恐るべきさぬきうどん』という本を書いてブームになって…」
高橋「え? あの会長でなくて、団長の田尾さん?」
田尾「はい」
高橋「わー! そうなんですか!」
(めちゃめちゃ知られてるやんか!)
田尾「何か、タオ・ファクトリーと聞いて他人のような気がせんで見に来てしまいました(笑)」

 「大航海レキオス」は、生バンドとダンサーたちと沖縄の小学生から中高大学生たちを含む出演者たち(ホテルで夏休みの宿題をしながら出演しているらしい)による、沖縄の海洋交流の歴史や文化や音楽を織り込んだミュージカルのような舞台で、しかし「郷土の歴史」といえばありがちなうんざりする民芸調ではない、めちゃめちゃカッコイイ作品(もちろん学芸会ではなくてレベルの高いプロのエンターテインメント)に仕上がっていて非常におもしろい。途中でちょっと泣いたけど(笑)。

 今回の東京公演には竹中平蔵さんや漫画家の弘兼憲史さんや、オリックスの宮内オーナーをはじめとする財界人の方々も応援で来られていたそうで、今日の最終公演のあとは平田大一さんと竹中平蔵さんたちとのシンポジウムが開催されたが、私は帰りの時間が迫っていて、公演だけ見て会場を後にした。

 芸術文化を題材にした「まちおこし」みたいなのは、その多くが経済的に自立できないために、どうしても行政のお金(税金)を使うことが多いという問題を抱えているが、平田さんのこの公演の内容を見たりタオ・ファクトリーの話を聞くと、郷土愛というよりもっと強い、郷土に対する情熱みたいなものが強烈に醸成されているような気がする。たぶん、そんじょそこらの地域でよく見られる「地域の芸術文化の振興」みたいな生ぬるい目的ではなく、「郷土に対する強い情熱の醸成」という強い目的を持つと、その手段まで変わってくるという、一つの実践例である。公演内容より、そんなことを考えながら見ていました。すんません。
2005年8月27日(土)

 麺通団P&Mのミーティングで「東京麺通団」へ。福田社長と店長の山中とパロマスと、店の社員スタッフの自称イケメン臼杵(9月から独立を目指して香川に凱旋予定)、元気ダルマ宮前(大阪麺通団店長から東京の顔を目指して修業中)、料理人知久平、ソフトテイスト和田に、「朝まで生テレビ」から徹夜明けで寝てない勝谷さんもちょっと顔を出して厳しくも笑いどころ満載のミーティングを3時間やりました。東京麺通団のうどん、山中のたゆまぬ向上心もあってさらに私好みの「極めない延び」のある製麺所風田舎セルフうどんに進化しております。

 夜8時過ぎ、マガジンハウスの粕谷さんと合流して、粕谷さんおすすめの料理の出るバーみたいなところへ行ったら、ほとんどカウンター席だけの狭い店のスタッフの若い女性が香川出身(10年くらい前に明善高を卒業したらしい)であることが判明したりして、夜の11時頃まで仕事の話(内緒)やいろんな情報交換をしながら、ほとんど飲めない私がマッカランをストレートで、ほとんどチェイサーも口にせずに5センチも飲んでしまいました。

 この店、演劇関係の方がよく来る店らしく、ポスターやチラシをたくさん置いてある。実は私はかつて、アマチュア演劇があまり好きでなかった。理由は20年くらい前、タウン情報時代の初期の頃に取材を兼ねてアマチュア劇団の公演をいくつも見たのだが、安いとはいえお金を取って見せる域には達してないような学芸会の発表みたいなのをたくさん見せられてかなり幻滅したという、あの印象を引きずっていたからである。近年少し見られるようになったのは、上村さんの「銀河鉄道」のミュージカルを見始めてからである。

 聞くと、粕谷さんも演劇には全く興味がなかったそうなのだが、沖縄の平田大一さんという若き演出家の舞台に出会って、感動的にハマってしまったと。しかもその平田さんは出身の沖縄の島に帰って舞台芸術を核に「島おこし」みたいな活動をやっていて、中央の財界や政界の方々とも親交があるらしい。

粕谷「何かその生き方が田尾さんの香川に対するスタンスと通じるものがあるような気がしてですね、彼に田尾さんのことを話したこともあるんですよ」
田尾「そんな恐れ多い」
粕谷「今ちょうど平田さんの『大航海レキオス』という作品の東京公演をやってましてね、明日が最終日なんですけど、時間があったら見に行きません?」
田尾「今晩、ホテルで原稿1本上げないかんのですけど、うまく終わったら電話します。終わらん可能性が高いけど(笑)」
粕谷「ちなみに彼の活動の企画制作をやっている会社の名前が『タオ・ファクトリー』って言うんですよ」
田尾「僕の田尾?」
粕谷「いや、中国語の“道(タオ)”ですけどね(笑)」
田尾「そら、何としても行かないかんかもしれん(笑)」

 夜の11時過ぎ、水道橋のホテルに遅いチェックイン。久しぶりに、あの「チャオ事件」があったホテルだ。

<チャオ事件>
 10数年前、タウン情報全国ネットの会議で東京に行った時、ネット本部のスタッフが取ってくれた水道橋のホテルにチェックインしてフロントのにいちゃんに「予約してある田尾です」と言ったら、にいちゃんが何やらパソコンでカチャカチャやり始めたのだが、いつまでたっても手続きが始まらん。にいちゃんはパソコンを見ながら、首をかしげたりしている。どうも予約が入ってない様子なので心配になってちょっとのぞき込んだら、「田尾」やから「T」のはずなのにチラッと「C」の頭文字が見えた。「???」と思っていたら、にいちゃんがこっちを見て言った。
「あの…チャオ様ですよね」
 俺は中国人か!

 とりあえず今日はスムーズに「田尾」でチェックインできました。
2005年8月26日(金)

 日清冷凍食品の服部君とM宅さんが高松に来て、昼飯を食いに行こうというので盛の大将のとこで修業したとかいう「明神そば」に行ってむちゃくちゃうまいラーメンを食った後、2日連続で花樹海の喫茶で一服した。

 服部君は100キロマラソンに出場するほどのマラソンマンであるが、以前私がウォーキングを始めたという話をしたら「そのうち走りたくなりますよ」とか言われて、私は「なんぼ何でもそこまではならん」と断言したのである。私は運動オタクでもないし、そんな、走り始めたりしたら「健康ウォーキング」から逸脱して何か戻ってこられない向こうの世界(どこや)に足を踏み入れそうな気がして、服部君には申し訳ないが自信を持って「まず走ることはない」と言ったのである。というか、もう体力も衰えてきてるし、そんな気にもならないと。

服部「峰山って、どれくらいかかるんですか?」
田尾「山頂の展望台まで、家から歩いて1時間」
服部「そんなにあるんですか!」
田尾「もう慣れたで。最近はより傾斜のきつい登山道を上がりよるし。こないだなんか…いや、何でもない」
服部「何ですか」
田尾「これだけは絶対言うまいと思いよったんやけど、登山道を上がって展望台でちょっと休んで、尾根をずーっと南に歩いて行きよったんやけど、こう、ラクダの背中みたいに道が上り下りしてるところの下りのとこで、つい200メートルぐらい走ってしもた(笑)」
服部「あっはっは! ね! 走りたくなってくるでしょ?」
田尾「ちょっとだけやん!」
服部「そのちょっとだけが、だんだん延びてくるんですよ。秋に丸亀のハーフマラソンありますけど」
田尾「高橋尚子が出ん大会で勝っても意味がない……って、出るかい!」

 あれだけ「走ることはない」と信じていたのに、ウォーキングは恐ろしい(笑)。それからさんざん服部君に「腹の周りの脂肪はウォーキングだけでは取れにくいけど、走ったら取れる」とかあおられてちょっとその気になりかけた自分がこわいがな。これでも昔は軟式テニスでインターハイに出た男であるが、いかんいかん、今はバドミントンで肋骨折る男やからな。無理したらいかん。

服部「体重はどうなんです?」
田尾「最初の2カ月で7キロまで落ちて、そこからしばらく6〜7キロ減で小康状態」
服部「踊り場ですね」
M宅「私も今、踊り場」
田尾「何階の踊り場や(爆笑)」
M宅「上見たら階段がなくて空が見えた」
田尾「そら屋上や!」

 最後の2行は創作したが、とりあえず今、社会人になってから一番運動をしているのではないかと思われる私。忙しいけど、体調ええですわー。夕方テレビに出た後、夜の9時半頃からサンポートの赤灯台まで遠回りして1時間かけて歩いて行って、帰り、ちょっと走って帰りました。いかんいかん(笑)。
2005年8月25日(木)

 西日本出版社の内山さんが、前日というか今朝まで会合に拘束された後、目が赤いまま大阪から車で高松に来て、編集事務所の羽野さんと入社したばかりの手下のデザイナーの広瀬君と私の4人で昼食を兼ねて、高松一というか香川一の眺望を誇る「喜代美山荘花樹海」の喫茶で出版の打ち合わせ。席上、雑談タイムに入って羽野さんが「阪神、負けたなあ」と振ってきた。

 4ゲーム差が3ゲーム差になって詰め寄られたように思うが、私は阪神が首位にいるなんて全然思ってない。というか、セリーグは勝率でなくて勝ち星の一番多いチームが優勝するというルールなので、現在首位は中日だと思っている。水曜日が終わった次点で阪神は66勝、中日は63勝。でも中日の方が4試合多く残ってるから、それ全部勝ったら中日が1勝差で首位。途中段階のゲーム差なんて、確かに優勝に連動はしているけどほとんど錯覚なのよ。ま、屈折した阪神ファンの心理もあって、阪神が優勝するとはまだ全然思ってない。けど、巨人には順位でたぶん負けへんかなあ、と(笑)。

 ちなみに2000年から、私(真性阪神ファン)と知将A藤(筋金入り巨人ファン)とご隠居都村さん(病的中日ファン)の3人で、ペナントレースの順位勝負をやってて、毎年シーズン終了後に最下位の者が最上位者にうまいものをおごる会(2位者は自腹)を開催している。これまでの成績とおごる会の内容は、

2000年 巨人(優勝)  中日(2位)  阪神(6位)
*「喜代美山荘花樹海」で部屋に料理を運んでもらって風呂付き
2001年 巨人(2位)  中日(5位)  阪神(6位)
*本島の民宿「島っ娘」で海鮮三昧で一泊
2002年 巨人(優勝)  中日(3位)  阪神(4位)
*綾上町の山中にある完全予約制のフランス料理「シェ露堂」でフルコース
2003年 阪神(優勝)  中日(2位)  巨人(3位)
*屋島の会員制貸し切りバー「マントゥール」で料理とお酒
2004年 中日(優勝)  巨人(3位)  阪神(4位)
*高松の高級割烹「よこ井」で海鮮三昧とお酒

 圧倒的に私がおごってばかりだが、最初の3年間、毎年「田尾さん、ハンデあげようか?」と言われていたのが遠い昔の話のような近年の巨人の転落ぶりだ。A藤、今年はもうキミのおごりで決定的やからな(笑)。そろそろ会場選びを始めた方がええぞ。都村さん食通やから、たいがいのとこでは満足せんぞ(笑)。
2005年8月24日(水)

 一昨日、大学の研究室で、私の大学用のアドレスに来たeメールを新しいパソコンで取れないのでごんに電話したらごんが「実際に見てみないとどうにも…」と言うので電話を切って、しばらく一人でああでもない、こうでもないといじっていたら、ついにTCP/IPの手入力画面に到達し、秘密の数字を入力したら通じるようになって、なんとて初めて一人の力でパソコンのトラブルを解消したというあまりの達成感に舞い上がって、ただちにごんに「直った」言うて電話したのである。ごんに言わせたら大したトラブルではないのであるが、「達成感」いうのはすごいなあという、たったそれだけの話を振ったのはわけがある。

 今朝、朝早くからA藤からeメールが来てて、内容を見たら「ダイエットに入って(たぶん3カ月目)、ついにマイナス10キロ台に突入した」という報告が、明らかに舞い上がった文面で長々と書いてある。宴席でほとんど食べずに我慢したとか、朝5時半に起きて体重測って、トイレに行って無理矢理また2時間寝て測ったら200グラム減ってて、これは「人間寝ているだけでも熱量を消費している」という証拠だとか(トイレで200グラム出したんちゃうか?)、あまりに散歩に連れ出していたら犬が散歩をいやがりだしたとか。いやほんま、達成感ってすごいなあ(笑)。

 ちなみに私は依然として食べながら運動(ウォーキング)しながら、6月10日以来マイナス6キロ〜7キロあたりで落ち着き中。今日の昼もおか泉でぶっかけ天ぷら食べてきた。相変わらず一般店の最高峰級のうどんを出すが、今日はまたかつてないほどの桁違いの麺が出た。フロアに出て客さばきをしている大将と立ち話。

田尾「相変わらず桁違いにうまいっすねえ」
大将「ありがとうございます」
田尾「あ、大将がここにおるということは、(厨房でうどんを打っている若い子を指さして)あの子がすごいいうことか(笑)」
大将「あ、そうですね(笑)」

 もちろん、大将の仕込みと指導がすばらしいということで。本日、ついにボルボ13号がエアコン修理でドック入り。直ってきたらやっと安心して観光関連講義用の取材に出られる。
2005年8月23日(火)

 ある時期西日本放送で一番美しかったアナウンサー(褒め言葉と取ってくれることを祈る)の熊谷さんに頼まれて、ほぼ2年ぶりに西日本放送ラジオに生出演することになった。ま、15分くらいですけど。

 スタジオに行ったら、久しぶりに日野君(昔ごんがいじめまくっていたアナウンサー)が出てきて話してたら、何と私と「全身麻酔仲間(どんな仲間や)」であることが判明。しばし「全身麻酔はすごいよなあ」というどうでもええ話で時間をつぶしてたら、岸アナウンサー(朝の「今日も一日きし快晴!」という番組担当。「岸」と「きし」と「起死回生」を掛けてあるわけですな。説明せんでもわかるけど)が顔を出して「久しぶりですー」いうて、次にチャリ(「文化人講座」や「そんなわけ、ねーだろ!」時代からの仲間)が来て「田尾さんやせましたねー」「お前、太ったのー」という会話を交わして、時間が来てスタジオに入った。

 パーソナリティーは笑福亭小つるさんと伊達典子アナウンサーで、機関銃のように学生時代の話やうどんの映画の話をしてあっという間に私の出番は終了した。なんか、やっぱりラジオはええなあ。時間の制約が緩いフリートークが楽なだけかもしれんけど、テレビのナマのコメンテーターはいつ振られるかわからん上にコメント時間が短くて、番組中にうかうかしてられんもんなあ。

 今でも思い出す、何年か前のKSB「スーパーJチャンネル」で多賀さんたちとやってた時のこと。ローカルニュースで「小豆島沖にイルカが数頭現れて、近くにいた漁船がビデオに撮った」というのが放送されて、そのニュースが終わってカメラがスタジオに返ってきたとたん、数十秒時間が余ったのか、突然多賀さんが「どうですか田尾さん」と振ってきて、いきなり「どうですか」と振られても! と思いながらとっさに「昔、城みちるがこれに乗ってましたね」とオバカコメントをしたら、

多賀「次のニュースです」
田尾(こらー! 何か受けてくれー!)

 という「まるでバカ」事件(笑)があったが、ラジオはええなあ。元々私、ラジオのレギュラーを週4本持ってた時もあるというラジオ人間ですし。しかし小つるさんも伊達さんも熊谷さんもみんな、数年ぶりやけどかえって若返ったみたいで年を取りませんなあ(日野君とチャリは除く)。ちょっとお世辞入ってるけど。

 ラジオを終えてその足でアップタウン第二書斎へ行って仕事に取りかかったが、2時間ぐらい苦しんで、どうにも進まないので夕方5時半頃からシンキングタイムを兼ねて峰山にウォーキングに出かけたら、山の上で雨が降り出して、汗だくの上に「雨だく」じゃ。待てよ、牛丼のつゆだくさんが「つゆだく」ということは、「汗だく」のフルネームは「汗だくさん」か? 讃岐家の大将、キムチうどんのキムチ大盛り、「キムダク」いうのはどう?(ごんが読まないことを祈る)

 汗だくついでに雨に濡れながら山を下りていたら、夏至をとっくに過ぎて日が短くなっているのに気がついた。しかも曇天で、ひええー! お墓の横、真っ暗じゃー!
2005年8月22日(月)

 今朝は2時半くらいまで仕事をしてむちゃくちゃ眠かったのに、今日は朝10時から大学で例の「平成こんとん食堂」の大学生チームを集めてのミーティングと作業があるので、朝7時に起きて新聞読んでパン食って牛乳飲んで高速を飛ばして大学に行って郵便物をチェックして研究室に入っていろいろ準備をして、10時前に集合場所である学科事務室に行ったら、誰も来てなかったのである。

 10時10分まで待ったが誰も来ない。前回の試作会の日の8月7日に「次は8月22日にミーティング」と決めて解散したのだが、夏休み中につき、あれ以来学生と連絡は取っていない。夏休みで気がゆるんで集合日を忘れたのか、マネジメントを勉強する学生が何たることだ、と思って、リーダーの福Dに電話しようと思ったが、電話番号がわからんので知ってそうな真鍋に電話したら、出ん。続けざまにO西に電話をしたら、眠そうな声で出てきた。

田尾「そういうわけじゃ。福Dに電話して、俺は怒ってもう帰るけど電話だけはしてこい言うとってくれ」
O西「わっかりました」

 数分後、O西から電話が帰ってきた。

O西「アニキ(福Dのこと)、出ません。たぶん寝てると思うんですけど、一応メール入れといたきん、かかってくると思います」

 チームリーダーがなんちゅう体たらく! 私は「うどんでも食って帰る!」と、ご機嫌ナナメで車に乗って大学を後にしたのである。そしたら、10分ぐらいして福Dから電話がかかってきた。

田尾「何しょんじゃ。誰っちゃ来んけんもう帰りよるぞ」
福D「田尾先生、今日は1時からですよ」
田尾「え?」
福D「こないだ僕らが“10時からやりますか?”言うたら、先生が“朝は眠たいから昼からじゃ”言うて1時になったじゃないですか」
田尾「あ、そ。じゃ、1時に行っとるから」

 マネジメントを勉強する学生はしっかりしとる。1時から5時半まで、ミーティングと作業をやって帰りました。ま、夏はいろいろとお疲れ気味で。以前も似たようなことがあったけど。
2005年8月21日(日)

 先週の水曜日の晩に回転寿司に行って、思い切って皿に1カンしか載っていない「中トロ」(カギカッコをつけているところに並々ならぬ決意のほどが伺える)を食べて、気を静めるためにすぐあとに一番安いタマゴを食べながら油断をして唇の内側を思い切りかんで血が出たのである。そのあと、今日までにもう10回は同じところをかんで、治る間もなくさっきもトウモロコシ食いながらまた同じところをかんでもう最低。

ごん「バドミントンで肋骨折るし、もうダメですな」

 ごんがよく「しゃべってもないのに私のセリフが出てくる」とか言ってくるが、彼は気づいてないだけだ。よく剣の達人に切られたらあまりにも鮮やかに切るので、切られた本人が切られたことにさえ気づいてない、という話を聞くが、あれと同じ。会話文の達人にかかると、しゃべったことさえ気づいてないのである。以下は数日前にほんまにあった会話…いや、いつもほんまにあった会話やけど(笑)。

田尾「007の次はいつ公開や?」
ごん「作品は決まっとるらしいんですけど、役者が決まってないから撮影できんみたいですよ」
田尾「ピアース・ブロスナン、降りるんか」
ごん「みたいですねえ」
田尾「俺、正直言うてジェームス・ボンド役、別に誰でもええねん。俺、ロジャー・ムーアの007もティモシー・ダルトンの007も、ジョージ・レイゼンビーの女王陛下の007もおもろかったし。007やったら誰がやっても映画はおもろいやん」
ごん「まあそうですけど、でも誰がやってもっちゅうわけにはいかんでしょう」
田尾「ええよ別に。高田純次でもええから早よ公開してくれ」

 自分で言うて、高田純次のジェームス・ボンドを想像して笑ってしまいました。高田純次はええよなあ。ええわけないけど(笑)
2005年8月20日(土)

 授業計画に煮詰まって(最近こんなんばっかりやけど)、8月も20日の声を聞くと気分転換しよる場合でないような焦りがちょっと出てきて、でも何か気分を変えたいので久しぶりに「第二書斎」に場所を移して仕事に取りかかることにした。ま、ジャズ屋アップタウンのカウンターの隅ですけど。

 午後3時前に店に入ったらねえちゃんとまっちゃんの奥さんがいた。しかもまっちゃんの奥さん、家で採れたという私の大好物のイチジクを10コ近く持ってきていて、私は一気に4つ食べました。「一生に果物を一種類しか食べたらいかん」言われたら、たぶん私はイチジクをとるくらいイチジク好きなのであるが、去年取材で善通寺に行った時に畑にいたおばあちゃんにそんなことを言ったら、おばあちゃんに「何や、女の人みたいやなあ」と言われたのを思い出した。「イチジクは女の食いもん」みたいなことを言われたのだが、理由を何と言ってたか忘れた。

 こないだ詫間の実家に帰ってた時も畑に行ってイチジクの木をチェックしたのだが、熟れ始めるのはあと2〜3週間後。中に気の早いやつがポツリポツリと数個口を開けていたので採って食べた。ここ数年、店で買ったイチジクはほとんどがハズレでガックシきてたのだが、木で熟れているやつはほんまにうまいなあ(笑)。

 バナナやオレンジや、店で売っている果物の多くは熟れきってない状態で収穫して流通の過程で熟れるのではないかと思うが、木で熟れるのと、ちぎったあと時間がたって熟れるのとではかなり味が違うような気がする。あれ、ちぎったあと、木についているのと同じように何かの栄養を吸収させながら流通させるみたいなこと、できんのかなあ。

 で、イチジクを食ったあと、私はアイスコーヒーを頼んでカウンターの隅でパソコンを開けて、まずは仕事への気力を充実させるために店に積み上げてある書物を一冊手にし、とりあえずわかりやすいところから「風の大地」を読んで(ビッグコミックオリジナルやがな)、例によってなかなか話が進まんので書物を変えて軽いオバカ作品の「黄金のラフ」を読んで(ビッグコミックやがな)、ぐっと気合いを入れて「ゴルゴ13」を読んで、仕上げに「気まぐれコンセプト」を読んで(ビッグコミックスピリッツやがな)タバコを一服し、いよいよ「人材活用論」の授業計画の詳細部分に取りかかっていたら、天敵ハラダが来たのである。

 ハラダ、ダンナの仕事の関係で大阪に引っ越ししたとたんにダンナが東京に転勤になったらしいのだが、今日はオーストラリアのパースから帰ってきたばかりらしい。

田尾「パースってどのへんや?」
ハラ「何か西の方」
田尾「わからんなあ。四国で言うたらどのへん?」
ハラ「四国って何よ」
田尾「オーストラリアを四国に見立てたらどこやって。ケアンズが引田のへんやろ?」
ハラ「あ、そういうことな。えーと、足摺のへんかな」
田尾「おー、西の南の端かー」

 オーストラリアは四国で説明せないかんというのは、四国人の常識だ(ウソです)。そのオーストラリアの足摺岬のパースで、何かコアラやウォンバットやダチョウや、動物をいっぱい見てきたらしい。ハラダも私と同じで手足を縛られたら話ができんタイプであるが、ジェスチャー付きで説明された「ユーカリの葉っぱをムシャムシャ食っている途中で、枯れた葉っぱを一緒に食って動きが止まるコアラ」と「葉っぱを食べ終わったあと、後ずさり状態で木を降りている途中で隣の木にうまそうな葉っぱを見つけてまた食べようとするけど手が届かず、足を伸ばしてプルプル震えながら隣の木に移ろうとしているコアラ」と「それを見て笑ったらいじけてそのまま木を降りて茂みに入って二度と出てこようとしないコアラ」のモノマネは秀逸です(笑)。ガイドによると、コアラは世界で最も自己嫌悪に陥りやすい動物だそうだ。ハラダが言うんやけど。

 とりあえずこの日は第二書斎で約4時間、そのうち1時間くらいは読書とハラダの土産話、残りの3時間くらい仕事と居眠りをして帰りました。まだ山ほど仕事があるのに、早いなあ、8月。まだ取材旅行も行ってないのに。
2005年8月19日(金)

 今日は朝から、昔仕事でお世話になった方から頼まれて1時間20分の講演。前半はツカミでドカンと笑っていただいて、続く余談もええ感じでいってたのだが、後半の本編に入って(余談が半分もあったんかい)、お客さんは気がつかなかったかもしれないが自分の中ではちょっとリズムを崩しちゃってビシッとエンディングできなくて、常に100点を目指す私としては自己評価60点でちょっとへこんだ(笑)。研修会ということで研修になるようなまじめなプログラムを組んだのだが、前半でいらん時間を使って本編を走ってしまったことと、300人を超えるとどうしてもテンションや意欲の違うお客さんがいるのが壇上からわかってしまって、どっちに合わせるか迷いながらリズムを崩しちゃったのよ。

 夕方、テレビの途中休憩の時に久しぶりにオヤジギャグマスターの安Zが来て、

田尾「誰やと思たら、久しぶりやのー」
(安Zが何か言おうとした時、アシスタントの女の子が来て)
アシ「田尾さん、本番5分前になりましたのでよろしくお願いします」
安Z「相変わらずツイてないですねー、僕」

 で、別れ際に「ここのところ、日記に誤字脱字が時々ありますよ」と指摘を受けたので過去数回分を読み直して2カ所修正しました。お疲れ気味で校正してないなあ。

 テレビを終えて家に帰ったら、寄生虫、いや帰省中の娘から「何か最近、トリビアで文化人講座からネタがよっけ使われよる」との指摘。数週間前にもS原から同じ指摘があったのだが、今週は「ジーニアス英和辞典の筆者は阪神ファン」というやつが「笑いの文化人講座」に載っている作品だし、ちょっと前の「“昼”という漢字を丸で囲んだら仮面ライダーの顔みたいになる」というネタや「旧ソ連の指導者の頭はハゲ、フサ、ハゲ、フサ、ハゲ、フサ…の順になっている」というネタも、文化人講座に載ってるし、さらにあと2つか3つ、ここ2カ月ぐらい、ほんまに文化人講座からのネタが目立つようになっているらしい。かつては「タモリのボキャブラ天国」や「踊るさんま御殿」で文化人講座からのネタがバラバラ出てたことがあったが、今度は「トリビアの泉」に出始めたか。「文化人講座」って、すごいなあ、というか、何だかなあ(笑)。他人の作品をパクって賞金もらうなよなあ。
2005年8月18日(木)

 7月23日に病院で老医師から「肋骨折れとるな。3週間ぐらいでひっつくやろ」と言われてから3週間と6日を経過して、「腹筋を使うとまだちょっと、かすかな痛みがあるけど」程度になりました。あのときもらったリブバンドをつけたりはずしたりしていたのが、完治を遅らせているのかもしれない。というか、こないだリブバンドをつけたままゴルフコンペに出よるようではなあ。

 どうしてもと言われて、95%完治してたので(それは完治と言わんが)出場したのだが、一緒に回った初対面の上Tさんという人(風貌は盛の大将で、ギャグは盛の大将に切れ味を加えた感じ)が笑わすもんだから、肋骨に悪いことこの上ない。

上T「こないだゴルフに行った時、パター忘れて来てな、連れに借りたんやけど、私左打ちやのに右打ち用のパターやがな。後ろの丸い方で打っちょったんやけど、どこへ飛ぶかわからへん。ライン読んでも意味がないがな(笑)」
田尾「ようそんなパターでコース回るわ!」

 ちなみに昼休み、コンペの参加者の中に「身長が20センチぐらい低いフィル・ミケルソン」みたいな人がいて、あまりにも雰囲気が似ているので昼飯食いながらものすごく気になっていたのだが、しばらくして上Tさんがその人に声をかけたのを聞いてひっくり返った。

上T「ミケルソン、調子どう?」

 やっぱりミケルソンなんや!(笑)。

 本日の成果。後期講義の「人材活用論」の授業計画の骨子がやっと完成した。2年目の科目なんやけど、マイナーチェンジにえらい時間がかかった。ふー、8月中にあと6科目分と、プラクティカムのプランを2本。9月から本を3冊分。

2005年8月17日(水)
授業計画作成に煮詰まって気分転換に部屋の模様替えを敢行したら、配線がどうなったのか電話もインターネットも無反応になっちゃって、晩飯時に我が家の配線業者に電話をしたのである。

ごん「誰が配線業者ですか!」

 しかし電話で状況を話してごんにああせえこうせえ言われるままにいじってみたのだが、どうにも復活せん。
 
田尾「しょうがないなあ。じゃ、冷たい飲み物とおいしいお菓子を用意しとくから」
ごん「えーえーわかりましたよ! 行きますよ!」

 というわけでごんが我が家に到着して、いろんな線が集まった黒いボックスをチェックしながら何かのスイッチをパチ…と動かしたら、あーら不思議! 電話復活。インターネット復活。

ごん「誰かこのスイッチいじったでしょ!」
田尾「いじってない」
ごん「みんなそう言うんです! ほんまにもー。今まで何回か呼ばれて来ましたけど、全部来たら5分以内に解決してますわな」
田尾「魔法使いと呼ばせてもらうわ」
ごん「これが魔法なら、あんたんとこの一家以外みんな魔法使いですわ!」

 とりあえずごんの労をねぎらってマルナカで買ってきた特別うまいアイスコーヒーと、吟味に吟味を重ねて一緒に買ってきた特別うまいチップスターを振る舞いながらちょっとだけ雑談をしてたら、ごんが「選挙で政党の公約を見てたんですけど、○○党と××党の公約、アホみたいですよ」とか言ってきたのである。

 まあなあ、公約だかマニフェストだかどっちでもええけど、ビジネスで言うたらちゃんとした事業計画書に近い政策書にしようという意志が見えるのは、民主党の政策書だけだもんなあ。ま、マニフェストを言い出した党だから当然かもしれないけど。あとの党のマニフェストは「事業計画書」の前段階の「ビジョン」レベルだったり、「ビジョン」のさらに前段階の「理念」レベルで止まっているものもある。

 内容を改めて見ると、根本的な改革路線の政策になってるのは民主党だけで、あとの党の公約の内容は改革っぽいことは書いてあるが、要するに痛いところには手をつけない「マイナーチェンジ」政策だったり、中には政策に矛盾を抱えて(「小さな政府」に向かうようなビジョンを掲げながら「大きな政府」に向かう政策が混在していたり)事業計画として成立していないものもある。

 ちなみにこないだ、投票に行く気の起こらない人に対してシンプルに「今のままの自己増殖官僚と特殊法人システムと利権体質がいいと思うなら民営化反対議員(あるいは政党)に、根本的に改革した方がいいと思うなら民営化賛成議員(あるいは政党)に投票すればいい」と書いたけど、あれは割れた自民党(小泉さんとこと亀井さんとこ)の話である。政策から全政党別に判断するなら、選択肢に他の党が入ってくる。

 で、企業でよく言われる物事の改革のセオリーから言いますと、根本的に今の体質とシステムが変わった方がいいと思うなら、
(1)今の体質とシステムの中にいない野党であり、根本的改革政策を事業計画書に近い形で打ち出している民主党。
(2)基本的に「自民党が作った体制は自民党自身では壊せない」というセオリーの中にいるが、郵政民営化問題で根本的改革を実行しようとしたという事実を見せ、さらに反対派を切って意志も強く見せた小泉自民党(反対派を切る前の自民党とは少し違うという意味で)
(3)亀井さんとこ。

 逆に、マイナーチェンジは必要だと思うけど根本的に変えるのは困ると思うなら、
(1)亀井さんとこ
(2)小泉さんとこ
(3)民主党(「岡田さんとこ」と言うには、岡田さんの意志が党の意志だ、という感じがしないので)

 という感じがする。どっちがいいかは当然、どっちを望むかという目的によって変わる。すごく大ざっぱですけどね。政治の世界の裏や真実や、政党や政治家個人の裏や真実や、知らないことがいっぱいあってすごい世界なんでしょうけど、私らレベルの投票行動の判断基準って、とりあえずは難しく考えなくていいって師匠から教わりました。支持する候補者や政党がいる人はその人や党に投票すればいいわけですが、そうでない人に対して、師匠はこう言いました。応援したい候補者がいないなら、「変えたいなら野党に入れる、変えたくないなら与党に入れる」「変えたいならしがらみの少ない若い人に入れる、変えたくないなら年配に入れる」そんなところからスタートすればいいって。言われてみれば確かに、多数決の民主主義って結果的にそんなシンプルな選択肢に収れんすると思います。いずれにしろ、とにかく投票には行け、と。1票だけど、入れたらやっぱり結果に注目する。関心はそこから始まるんだって。
2005年8月11日(木)

 連日の研究日で研究しすぎて、気分転換に、昨日も太田と気分転換したけど太田ごときでは十分な転換にならんぐらい研究で苦労しているのでさらに気分転換に、家内とワーナーマイカルへ「アイランド」を見に行った。

 事前にごんから情報収集をしたところ、「まだ見に行ってないけど、あんまり噂が聞こえて来んところをみると、どうですかねえ」とのことなので、大きな期待をせずに上映10分ぐらい前に指定席に座ったのである。そしたらすぐ前の席に、中学生か高校生くらいのガキが4人。いきなりイカのニオイがぷ〜んとしてくるので見ると、串刺しにした味付きイカ(あの駄菓子屋で売ってるベタつくイカ)を持ち込んでかじりながらペチャペチャしゃべっている。真ん中の二人(男)は足を前の席(空席)に乗せて(しかも一人はハダシの足を)、スクリーンに映るCMを見ながら両端の二人(女)とバカ丸出しの会話。

女A「知的財産って何ー?」
男A「何や…。知っとる的、財産か?」
男B「貯金か?」
女B「そんなんもうええやん。アタマいと(痛)ーなるわ」

 出で立ちと髪型とふるまいから推測するに、こいつらは高松ごときの街に出てくるのも初めてではないかと思われるサル。家内が「席変わろうか」と言ったが、指定席だしまだ本編が始まってないので、しかし気分が悪いのでちょっと聞こえるくらいの声で「サルか…」と言ったら、話していたサルの一人がスクリーンを見た。サルが映っとんかと思ったようだが、サルはお前じゃ。

 スクリーンはCMから予告編に変わったが、4人は持ち込みのペットボトルのお茶類を飲みながらずーっとスルメを食っている。しばらくして男Aがスルメを食い終わった。と思ったら、男Bが袋をガサガサ言わせながら中から透明の筒みたいなんに入った、新しいスルメを取り出した。お前らスルメ好きか!

 そのうち、本編開始が近くなってきたらパラパラと客が入ってきて、サルが足を乗せていた席におばさん2人連れが近づいてきて、サルたちは足をおろしてちょっと静かになった。しかし、スルメを食い終わったサルの一人が今度はポテチみたいな袋をガサガサいわして取り出して、バリバリいうて開けて食い始めた。私の中に正義の人「くまさん」がむくむくとわき上がってきた。 

 くまさんは牛乳屋さんの仲間で、映画館でしゃべるようなマナー知らずの連中にきっぱりと注意する正義の人である。ひどいやつには「迷惑やから出て行け」とまで言ってしまう、正義の人である。元来小心者の私は、くまさんを見てこれではいけないと改心し、心が少し強くなったのである。でもちょっと小心者が残っている私は、それでも本編が始まって迷惑なふるまいを続けていたらこらえんぞ! と心の中で決心して構えていたのである。そしたら…。

 本編が始まって少し静かになったサルたちは、数十分後には画面に引き込まれてものも言わず、ポテチの手も止まって映画に見入っていました。ごん、「アイランド」はそういう感じの、一言で言うたら「サルが止まる映画」じゃ。
2005年8月10日(水)

 夕方、帰省してきた太田(浩介)から電話があって「ヒマでヒマですることがないから自転車で商店街を走りよる」と言うので、クーラーの調子が悪い車で迎えに行ってやった。

太田「小西さん(かつてのホットカプセル時代の同僚)は何をしよん?」
田尾「豊浜でカフェやっとる。オープンしてたぶん1年以上になるけど、俺、まだ行ったことがないんじゃ」
太田「ほな行きましょう」
田尾「了解」

 ということで、2年半ぶりに小西君に会えるということで高松から高速を使っても1時間かかる豊浜に行って、高速を降りて11号線沿いの「さぬき秀芸」の敷地内にあるというその「iltカフェ」というおしゃれなカフェに到着したら、定休日だった。ようそんなピンポイントで定休日に当たるわ。おかげで道中、往復2時間半も太田とバカ話をするハメになり、しまいにネタが尽きて政局まで語り合ってしもたがな。

 しかし郵政民営化反対議員の公認取り消しから、反対議員の出る選挙区への対抗馬戦略は、久々に、というかかつてない痛快な戦略である。自己増殖が目的化してしまった官僚組織と、子孫のお金まで奪いながらはびこる特殊法人と、それに群がってがんじがらめになった老害利権議員と、それらの間にある膨大な貸し借りをつぶしていくための第一歩である「郵政民営化」プロジェクトは、否決解散によって守旧派と改革派がとてもわかりやすくあぶり出されました。

 郵政民営化がいいか悪いかなどというのは、極論すれば「やってみないとわからない」のであって、要するに今のままの自己増殖官僚と特殊法人システムと利権体質がいいと思うなら民営化反対議員(あるいは政党)に、根本的に改革した方がいいと思うなら民営化賛成議員(あるいは政党)に投票すればいいというのが、私の思う対立軸であり、選択肢である。

 多くのマスコミや評論家は「民営化の内容がわかりにくい」とか「やり方に無理がある」とかいろんなことを言っているが、だいたいこういうものに完璧な計画ややり方なんてあるはずがないのである。勉強すればある程度は予測できるかもしれないが、実際のところやってみないとわからないというのが常識である。だから私らレベルには「今のままでいいのか、変えたいのか」くらいの選択肢で十分だと思うのである。

 「郵政民営化をしなくても変えられる」と言う人がいるかもしれないが、それは無理である。政治の世界に限らず、企業でも団体でも、あるいは家庭においても、旧来の価値観を持ち旧来の“貸し借り”の世界に浸かっている人間が、自分の利権を捨てる覚悟で旧来のシステムを変革した例は、私は寡聞にして全く知らない。いかに改革を叫ぼうとも、根本的に変えるのは無理である。

 では逆に新しい価値観を持った人なら改革に成功するのかといえば、それも「成功するとは限らない」というのが正しい。やってみないとわからない部分は必ずある。でも、「改革に成功する可能性はこっちにしかない」というのも正しい。たぶんその程度の対立軸、選択肢である。あと、論理的な代案も出さずに「反対」とだけ唱えている議員や政党は問題外(笑)。「もっと話し合え」という意見に至っては、どれだけ話し合って合意できなかったのかがわかっていない。さらに「話し合っても解決できない問題の決定の仕方」という常識が全くわかっていない。

 でも、とりあえず選挙には行こうぜ。特に若いやつを中心とした浮動票のみんな。投票率がドカンと上がって浮動票率が上がったら、候補者が土建や農政や郵政や宗教といったいろんな組織票では当選できんようになるんじゃ。そしたら議員のみんなが利権組織に頼っていられなくなるんじゃ。とりあえずそこからで十分じゃ。自分の選挙区で個人的には好きになれない候補者ばかりだとしても、それならイヤでも支持できる政党のやつに入れてやれ。どうせ大多数の議員は「頭数」の役割しかないんだから、好きな政党の頭数だと思って入れてやれ。結果はあとからついてくる。とにかく浮動票率を上げようぜ。
2005年8月7日(日)

午後6時30分、山本町のお笑いうどん屋SIRAKAWAにて「平成こんとんプロジェクト」の第3回だったか4回だったかの試作試食会を決行した。出席メンバーは麺通団から私、ごん、H谷川君、四天王の清水君(清水屋)、山下君(白川うどん)、白川君(SIRAKAWA)、上戸君(上戸うどん)、外郭スタッフの藤原君(藤原屋)、実名希望の匿名・Gの息子君、日清冷凍食品からM宅さん、D々君、四国学院大学の学生から福田、今田、大西、それと山下君のもとで修業中の若者深谷君の15人。試作開始前に、焼きこんとんに合わせる食材を買いにごんと近くのスーパーに出かけた。

田尾「とりあえず、スイカやろ」
ごん「何でスイカですか!」
田尾「何か今日暑いし。デザートいるで」
ごん「あんた、ここに来た目的をもう見失ってます」

 言っておくが、私はスーパーの食品売り場に来たら10回に9回は我を忘れる。

田尾「何人おるんや? 10人以上おるか。すると1玉では足りんなー」

 20個ぐらい並んだスイカの玉に産地と値段のシールが貼ってある。見ると、上は2200円くらいから下は1400円くらいまである。見た感じどれも同じような大きさなのだが、かなり値段は違うぞ。子どもの頃は家や近所の畑にスイカがいっぱい作られていて、私は収穫にもよく携わっていたため指でコンコンと弾いたらかなりの確率で熟れ具合を察知することができたのだが(「近所の畑」のスイカの「収穫」にどう携わっていたかについては深く追究してはいけない)、ブランクが長い上に「熟れ具合」と「甘さ」は別物なので予測のしようがない。そこで私は、2200円くらいのと1400円くらいのと、両極端のスイカを一つずつ買うことにした。

 答を言いますと、出席メンバーみなさんにまずは高い方から食べていただこうという奉仕の精神あふれる行動に出たら、あまり甘くなかったのである。というか、今年食べたスイカの中でも最低の味。仕方なく安い方は切らずに家に持って返って食べたら、大当たりでんがな。スイカの値段はどうも甘さに連動していないようです。

田尾「とりあえずレポートはそんな感じかな」
ごん「こんとんの話が全然ないやないですか!」

 今日は「揚げこんとん」の試作がメインテーマで、山下・藤原コンビが「チーズ揚げこんとん」の秀作を発表したが、前回絶品の焼きこんとんを発表して以来「パン屋さん」と呼ばれている白川君が、またまた驚くべきうまさの揚げこんとんを発表した。さらに山下君が「コシのあるこんとんプリン」と「外観で引いてしまうこんとん寒天」まで披露し、わけのわからないまま、オペレーションのミーティングで締めて解散した。次回はいよいよプレス発表用の商品撮影に入る。と書けばすごくまじめに進行しているように見えるが、精神は「お遊び企画」であるからカンちがいせんように。しかしあのスイカ、だまされたなあ。
2005年8月6日(土)

 今日は午後3時頃から四国学院大学の同窓会総会で講演せないかんので、午前中の取材を済ませて昼過ぎに高松西インターに向かう途中でガソリンスタンドに給油に入っって、思い切ってついでに洗車も頼んだ。思い切ってというのは、車を運転している人は誰でも思ったことがあるはずだが、私はほんまに「洗車したら雨が降る」という目にしょっちゅう遭うからである。

 しかし車の前を見たら、高速道路の行き帰りを繰り返しているおかげでおびただしい数の小さい虫の死骸が貼りついている。ええ加減で洗車しないと、ヘッドライトも効かなくなりそうな勢いだ。天気予報は向こう1週間、雨の気配はなく、昨日のテレビでも一緒に出ていたウェザーニューズの清水さんが渇水の深刻さを訴えていたばかりだし、今日の天気も暑い暑い日本晴れ。ガソリンスタンドの兄ちゃんに聞いても「雨の気配なし」と断言するので、水不足で洗車機が使えないために手洗いしかできないという洗車を、高い手洗い料金を払って決行したのである。そしたらあーた、信じられますか?

 洗車を終えて道路に出て3分走って高速に乗った途端、何やら雲行きが怪しくなって、国分寺町に入った頃からポツリポツリと雨が落ちてきて、15分後、善通寺に着いたら雷まで鳴り出して完璧に雨。講演前の2時頃からは落雷を伴う本降りになり、講演を終えて帰りの高速では飯野山の向こうにかつて見たことのないほどの太い稲妻がビシバシ落ちて、前が見えんほどの豪雨じゃ! 

 ところが、家の様子が心配になって府中湖のSAで電話でもしようかと思っていたら、高松方面の空は青空ものぞく明るさで、高松に入ったら来る時に洗車した時と全然変わらない晴天やないの。あとで聞いたら、善通寺、琴平を中心とするあの辺だけが、停電まで起こる世紀末状態の雷雨だったらしい。ようそんな奇跡的なタイミングで洗車したわ!

 ちなみに私のボルボ・サーティーン号、昨日からエアコンが、目盛り1にしてもうんともすんとも言わず、目盛り2にしても音沙汰もなく、目盛り3にしても死んだままで、目盛り4にした途端「ゴオーッ!」いうて生ぬるい風が吹き出すようになった。ディーラーに電話したら、今修理が混んでいて盆明けにならないと修理できないって。来週から後期開講の「四国瀬戸内観光論」の取材で四国と瀬戸内海沿岸を走り回らないかんのに、どうすりゃこれ。
2005年8月5日(金)

 数日間、原稿や企画ものに追われて苦しんでいて、夕方3時半頃、ついに力尽きてちょっとうたた寝をしたのである。4時50分頃からKSBの生放送なので万全を期して4時に目覚ましをかけて、4時に目覚ましが鳴って起きて二度寝して、4時35分にガバッと起きたのである。我が家からKSBまでは徒歩4分。あわてて着替えて顔を洗ってふと顔を見たら、左のほっぺたに「寝スジ」が2本ついとる。

 4時50分にスタジオに入ってそのまま本番。今日はずっと、左のほっぺたがカメラに写らんように体をちょっとひねって出てました。アホやがな。

 夜はアップタウンで牛乳屋さんと健康志向コンビで野菜ジュースについて語り合った後、このままでは良識ある社会人として情けないということで無理やり郵政民営化を語った(笑)。例によってその場では答の出ない話であるが、テーマは「郵便貯金(郵政公社)にはキャッシュがないのではないか」という話。

 あれ、240兆円ぐらいの預金量があるらしいけど、その多くが財政投融資に出ているということは、郵政公社にキャッシュはたぶんそんなにないですね。しかもその貸付先の多くが赤字垂れ流しのナントカ公団やナントカ事業団ということは、それら全部、不良債権じゃないのか、と。ということは、ちゃんと民営化したら巨額の不良債権を抱えた最悪の銀行になるんじゃないのか、と。これは僻地の郵便局がなくなるかもしれないなどという話なんか問題にもならないくらいの事態ではないのか、と。民営化に反対してる政治家って、そこにデカイ貸し借りの話があるんじゃないですかねえ。

 どっちにしても、反対派の議員さんの反対理由は「郵便事業(デリバリー)を守ろう」という話じゃないことだけは確かだと思います。解散したら、当然投票に行きますよ。浮動層の私らが投票に行かないと、腹立つことが継続してしまいますから。
2005年8月2日(火)

 数日前に入試課から「出張旅費の精算ができましたので取りに来てください」というメールが来たのだが、そのメールの中に「お体の方は大丈夫ですか。こちらでも高校側と調整しますので、どうぞ言ってください。
ご無理なさらずにお身体を大切に」というメッセージがあって、「出張授業がいくつも入ってきているので心配してくれているのかなあ。それにしても心配度合いが高くないか?」と思っていたのだが、今日、入試課に行って謎が解けた。3人いた若手職員のうちの1人の風折さんが、

風折「先生、お体は大丈夫ですか?」
田尾「え?」
風折「最近お痩せになったんで、ご病気かと思ってみんなで心配してたんですけど…」

 私、入試課のみんなに病気だと思われてたらしい(笑)。ほんまにー、ウォーキングの話、全部してきたがな。肋骨折ったことまで。

 今日は大学で用事を終えた後、夜の7時から善通寺市の商工会の「創業塾」で2時間半の講義。近年、いろんなところで創業塾みたいなのが多いなあ。何年か前に行った某所の創業塾で、担当の職員からこんなことを言われたのを思い出した。

田尾「皆さん、熱心ですねえ」
職員「熱心ですよ。毎年受講される方もいらっしゃいますから」

 私は心の中でツッコミを入れた。
「ええから早よ創業せえよ(笑)」
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