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2005年04月の日記
2005年4月22日(金)

 今日は今年一番のおバカな日であった。

 金曜日は朝一から授業が2コマ続く日なので、木曜日の晩に準備を万端にしようと思って頑張っていたのだが、疲れてソファの上で寝てしまったのである。で、気がついたら深夜3時。これはいかんと思って、朝5時に目覚ましをセットしてちゃんとふとんに入って寝て、5時に目覚ましで起きて二度寝して5時半に起きて三度寝して6時に起きて四度寝して、結局7時過ぎに起きてこらいかんと思って、朝飯も食わずに準備をして車に乗って高速を飛ばして大学に行って、わずかな時間で直前の準備をしようと学科研究事務室に行ったら、助手の真鍋がえらいラフな格好でいたのである。

田尾「9時10分からフェスタ・プラクティカムなんやけど、神野先生と上村さんがどんな段取りしとるかわからんのや。真鍋聞いてないか?」
真鍋「今日ですか?」
田尾「おー、今からや」
真鍋「田尾先生、今日、休みですよ」
田尾「何でや」
真鍋「今日、全学遠足で学生みんな出かけますし。9時に正門集合なんで僕ももうすぐ行くんですけど」
田尾「なんとかー!」
真鍋「田尾先生も行きましょう」
田尾「何時に帰ってくるんや?」
真鍋「たぶん夕方5時か5時半か」
田尾「あかんわ。5時前からテレビやから間に合わん。ほな、もう帰る」

 しかし真鍋に出会わんかったら、私は一人で教室に行って「何で誰も来んのじゃ! お前ら全員単位なしじゃー!」とか、わけのわからん逆ギレしてるところであった。あーあ、ちゃんと行事予定見とけよなー。いや、見た記憶はあるのだが、手帳に写し忘れてて完璧に予定が飛んでたんだ。私はただ帰るのもシャクなんで、琴平方面に走って久しぶりに宮武に行ったら、なんせ9時を過ぎたばっかりで私はたぶん今日の一番客で、おっちゃんに「何があったんな?」と言われた。一応事情は全部説明してきましたけど。

 家に帰って夕方のテレビまでみっちり講義計画に没頭。とりあえず、だいぶ進みました。ふー、来週はちょっと余裕ができた。
2005年4月20日(水)

 観光マネジメント概論の講義を終えた後、黒板を消している私の所へ学生のI田が来て言った。
I田「田尾先生、孫子の兵法を読んだことがありますか?」
 ここで相手が笹木なら
田尾「与作が木を切るのは聞いたことあるけどな」
笹木「それは“ヘイヘイホー”です!」
などと展開していくのだが、真面目な学生にそんな技術を教えるわけにはいかない。

田尾「読んだことないが。俺はほんまに本を読んで来んかったからなあ。“坊ちゃん”さえ読んでないが。で、何でや」
I田「田尾先生の先週と今週の話、孫子の兵法とほとんど同じなんですけど」
田尾「なんとかー!」

 私の「観光マネジメント概論」の講義の前半は「マネジメント」の手法と実践例から入っているのだが、自分のマネジメント経験から体系づけようとしている講義内容が、そんなことになってるとは……。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。喜んでいいのか? 私は本も読んでこなかった上に全部の講義内容を参考文献なしで作っているので、そういうことが起こることもあるんだろうなあ。ま、本を読んだ上でパクるよりはマシか。今日は朝一から3講義連続。続いて学科協議会。ノドの調子は大丈夫。会議の前にO西が来て「田尾さんの日記デビューやー!」とはしゃいでいたが、はしゃぐほどの内容だったか?(笑)

 夜、S社のAさんから電話。再婚が決まってその披露パーティーが5月にあるとかで、そのご案内の電話かと思ったら……
A「5月○日、空けとるやろの」
田尾「えーと、残念ながら空いてます」
A「よし、ほなM崎先生に代わるわ」
田尾「へ?」
M崎「あ、田尾さん? 実はかくかくしかじかで私と何人かが披露パーティーの段取りをしよんですけど、アトラクションの企画はもう田尾さんしかおらんやろということになって……」
 もうー、「腹が痛い」とか言う間もなく、受けさされてしまいました。ゴールデンウィーク中に企画の打合せをすることに。まさかアトラクションにごんを連れて行くわけにもいかんしなあ。行くわけにいくんかなあ。
ごん「いてて……腹痛い……」
2005年4月19日

 大学に行く途中、朝からがもうで大と天ぷら2つ取って「なんぼかなー」言うたら大将が「320円」言うて、財布を開けたら小銭の部が不足していたのでお札の部を見たら1万円札しかなくて、私は団長にあるまじき「小銭を持たずに製麺所型うどん店に行く」という事態になってしまったのである。ま、そんな大げさなことではないけど。
大将「朝一から1万円札はいかんな」
田尾「小銭がなー、えーと、100円、200円……」
大将「あるだけ出しまい。なんぼあるんな。200? 81円。あるがな。それでええわ。あ、1円はいらん」
 40円まけてもらいました。2002年に県から「香川21世紀大賞」をもらった時にお祝いで天ぷら1個つけてくれたのと合わせて、私は今、がもうに110円も施しを頂いている身です(笑)。

 大学の仕事がどんどん増えていく中、夜は西日本出版社の内山さんとお遍路の本を書いた佐藤さんという女性が高松に来て、アップタウンで次の本の原稿催促をされる。「もうこんなもん、ゴールデンウィークに一気に、バーンと」と豪語したが、「一気に」どうするかは言うてない。もちろん「バーンと」どうなるかも言うてないからな。

 先週の講義の中で、ライブドアとフジテレビの話が出たので、都村さんのアンサー(長生塾HPに掲載中)をもとに表面的な計算をして、
・(先週の時点での)負け組はライブドアとフジテレビであるが(勝ち組はリーマンブラザーズと大和証券とソフトバンクインベストメントと、村上ファンドと弁護士)、負け組同士のババの押し付け合い局面で、ライブドアは勝ち組に入れる可能性が一つだけある。それはニッポン放送の株を全部売ること。
・ライブドアの持ち出し金額は、リーマンブラザーズから借りた800億円と、リーマンに払う利子みたいなものと、証券会社に払うお金と、弁護士に払うお金と、村上ファンドが持っていったお金と……と足し算していくと、手元のええかげんな計算によると正確にはわからんけど1000億円〜1300億円ぐらいになると思う。
・よって、ライブドアはニッポン放送の株を1500億円くらいで売ったら勝ち組に入って、フジテレビの一人負けになるぞ。
と黒板に書いて学生たちに説明したのだが、ほぼピッタシ、ライブドアがニッポン放送株の売却を含めてフジから1470億円もらって手打ちしちゃったぞ。これ、普通に考えたらニッポン放送とフジテレビの経営陣、会社に大損害を与えたから責任問題発生、総退陣ものだろうなあ。
2005年4月17日(日)

 授業開始から1週間が終わった。去年よりちょっとグレードアップして、担当全科目ともなかなか充実した講義内容でスタートできたけど、授業準備はまだ前期分全部はできていない。自転車操業が続きます。時事ネタも織り込んでいかないかんし。

 金曜は講義終了後、テレビまでの時間を利用して学生たち6人と一緒にうどん食いに行って、駐車場から出る時に近所の奥さんらしき集団に見つかってビデオカメラまで回された。ちょっと手を振って愛想したけど(笑)。けどあの時、前の車は助手のM鍋(男)と学生の前D(男)、山D(女)、K田(女)。で、その後ろの私の車は私と助手席にO西(女)、H上(女)。明らかに私が女子大生2人を車に載せているの図であるから、かなり誤解された恐れがあるが、なんせ横はO西やからなあ。

0西「うちなあ、田尾さん入院したん、尿道結石や思とったんやー」
田尾「なんでやねん」
O西「何か結石や言うとったやん」
田尾「あれは腎臓結石じゃ」
O西「まあ何の石でもええけど。ほんだらこないだ家でご飯食べよる時に、うちのお母さんが“田尾さんノドで入院しとったんやて?”とか言うんやー。ほんだけん私が“尿道結石ちゃうん”言うたら“ノドやいうて聞いたで”いうて、結局どっちが正解かわからんかったけん、協議の結果“にょど”いうことにしたけん」
田尾「何じゃそら」
O西「“にょど”やったら“ノド”も“尿道”もどっちでもいけるやん。いや、ネタとしては大したことないけど、ちょっとええ感じやろ?」
田尾「どんな家族や!」

 土曜日の夜、こないだの万馬券の残りがまだ10万円くらいあるのでモリシゲの売り出しに行って、テレビの横に据え付けたい本棚でも見ようと思ってM村(モリシゲ勤務)に家具を案内させたら、数十万円の家具ばっかりで退散。その足でヤマダ電気に行ってコンポを購入。そのままアップタウンに行って23:30頃までバカ話をして、家に帰ってコンポをセットして家のあちこちにスピーカーを配置して、CDを聴いて音を変えてみて、DVDをかけて前後左右から音を出しながら見てみて、テレビの音を自分の後方の無線スピーカーから出してみたり、午前3時30分までサル状態になっていじっておりました。

 私は「メカにひれ伏す男」として周囲にバカにされ続けているのであるが、実は大学時代にやっていたバンドでは下っ端としてPA関係の配線やらセッティングやら何やらをしょちゅうやらされていて、就職した頃も仲間とバンドやってた時には自分でPAのセッティングをやっていたのである。それがこの20年くらいの間にすっかり堕落しちゃって、テレビのリモコンでさえチャンネルを変える以外の機能を使わないというていたらくになっちゃったのである。3時間ぐらい、ちょっと青春しかかったが、やっぱり最低の機能だけ使い方がわかったらもうええわ(笑)。昔は簡単やったのになあ。だいたいアナログやったからこんな分厚い取扱説明書、なかったし。
2005年4月14日(木)

ごん「はい」
田尾「あー、もしもし? 何がでっきょんかな?」
ごん「何ですか、その妙なテイストの入り方は」
田尾「あーいやいや、何ができよんかな? と思ってね」
ごん「……」
(電話の向こうで明らかに何かヤな予感を感じているごん)
田尾「テレビのな、ビデオ1とか2とか切り替えるやつがあるやん」
ごん「はいはいありますよ」
田尾「テレビにしたらテレビが映るやん」
ごん「映りますな」
田尾「ビデオ1とかにしたら、例えばビデオが再生されるやん」
ごん「ま、そう設定してたらそうなりますわな」
田尾「ビデオ2とかにしたら、例えばDVDが再生されたりするやん」
ごん「されますよ」
田尾「それがされんのや」
ごん「というか、今日電気屋さんが来て設定して帰ったんでしょ?」
田尾「帰った。帰ったあと再生したら、画面真っ黒や。ボビー・オロゴンどころか、誰も出てこん」
(電話の向こうで明らかにヤな予感が確信へと変わるごん)
ごん「で? 私に何をしろと?」
田尾「いや、まあうちに、お口に合うかどうかわかりませんがおいしいコーヒーとお菓子をご用意してございます、と」
ごん「えーえーわかりましたよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」

 程なくしてごんがやってきた。夜の8時半頃。
田尾「一応ビデオには“007オクトパシー”を入れてある。DVDには“ルパン。世カリオストロの城”を入れてある。しかもどっちも再生中やのに画面に出てこん」
 それを聞いて何やらリモコンをいじっていたごんが「ビデオ2」にして再生したら、
ごん「えー、何かやってますわな。これ、何です?」
田尾「えーと、これはどこかで見たことがあるぞ? 何かえらいアクションやっとるなー」
ごん「明らかに007です! ビデオ3は…と、これは何ですかな?」
田尾「あーっと、これは何やったっけ…銭形? 誰や。うどん屋のおっちゃんか?」
ごん「えーっと、さっき電話で何が映らん言うてましたっけ?」
田尾「だからさっきまで映ってなかったんやって!」
ごん「だいたいみんなそう言うんです! さっきまでいかんかったとか、説明書のどこにも書いてないとか。書いてないわけがないっちゅうねん! たいてい取り説読んだらどこかに書いとるっちゅうねん!」

 ちなみに「ちゅうねん」の連発はごんが「私のオリジナルだ」と言い張っております(笑)。そうこうしているうちに、牛乳屋さんから電話。なんでもアップタウンにマスターのねえさん(横浜在住)が来ているとかで、ねえさんから「田尾を呼べ」とのご命令が下ったらしいことが、電話の向こうの牛乳屋さんの、脇腹に銃を突きつけられてしゃべっている人質のような口調から読みとれる。身内以外で私を「あんたよばわり」できる世界でただ一人の女性である。何でこうなったのか、思い出せん。ごんと2人で飛んで行きました。ちなみにアップタウンでは、強い順に「ねえさん」「ねえちゃん」「ねえやん」という3人の女性が出入りしている。4年ぶりにねえさんと対決して、コテンコテンにやられてきました。いやー、ごんはすごいわ。強いとわかったらあっという間にねえさんの懐にシュッと入って俺の敵に回るんやもん。
2005年4月13日(水)

 先週大学のオリエンテーションでニューレオマワールドに行った時に思い出したのであるが、「レオマ(Reoma)」の語源が「レジャーは、オオニシに、マかせろ」の頭を取ったものだ、といろんな所で言われていたけれど、あれは違うと思うなあ。私は当時の大西専務(のちの副社長)とよくお会いしていたのだが、本人の口からはそんなことを聞いたことがないし、何よりレオマの「レ」は「Re」だけど、レジャーの「レ」は「Le」やんか。ま、どうでもいいけど。

 今日は朝から1時間半の講義が2本連続。ほぼ3時間しゃべりっぱなしというのは声帯ポリープ除去後初めてである。何しろ先月末、1時間の講演を3時間くらいのインターバルで2本やったら声が枯れたので、今日はおそるおそるやらないといけないと思って、マイクのボリュームを上げて小さい声でも届くようにして、1時間目の「観光マネジメント概論」を始めたわけです。低い声でしゃべり始めたら、もともと低い声は普通に出るのでええ感じやがな。ところが、しゃべり始めて10分ぐらいしたら、何か変な音に気がついた。しゃべってる途中で、何か空気の音が時々入る。何やろ? と思ったら、俺の鼻息やがな。ボリューム上げてるもんだから、マイクが鼻息の音を拾ってるやないの。あわててボリューム下げて大きめに声を出して、続く「放送メディア論」も1時間半。終わってみたら、はっはっは、声が枯れてませんでした。楽勝やっちゅうねん。かかってこんかいっちゅうねん。学校から帰り、車の中で井上陽水かけて歌いながら帰ったっちゅうねん。アホですがな。

 さて、我が家では依然として模様替えが継続しています。大きいものはだいたい配置換えを終えたわけですが、あと細かいものと、最大の難関は配線。テレビやビデオやDVD関係やPATは電気屋さんがテレビ持ってきた時に全部やってもらうとして、それまでは我慢するからええけど、電話とFAXとパソコン環境は止めとくわけにいかんから、配線カバーのあっちを剥がしこっちに持ってきて、またやり直したりして……というのを、私は昼間、大学にいるので、家で家内が担当してやってたわけです。素人の家内に、メカにひれ伏す私。いきおい、こういうことになる。講義2本を終えて昼休みに電話を見ると、家内からメールが入っていた。
「家の電話、不通です。なんぼやっても電話が通じん」
約1時間後、またメールが入った。
「直りました。疲れた」
おー、なかなかやるやんかーと思っていたら、ごんから電話が入った。

ごん「さっき私の携帯に覚えのない不審な番号の電話が入りましてですね、“電話が不通なんやけど、どないしたらええん?”って。どういうことですか!」
田尾「あっはっは、そういうことかー」
ごん「私は電話工事屋ですか!」
田尾「きみはうちの通信関係業者じゃ。明日テレビが来るけど、慣れんテレビやから何が起こるかわからん。よって明日から1週間ぐらい、携帯の電源切るなよ」
ごん「なんでやねん!」
田尾「いつでもテレビ見せてやるけん」
ごん「うちにもテレビあります!」
2005年4月11日(月)

 嵐のような先週が終わって、今週からいよいよ2005年度の前期の授業開始である。例によって嵐になったのは自分のせいであるが、別にトラブルではない。大学に新入生が入ってきて、先週は履修指導やらレオマに1泊2日のオリエンテーションやら、さらに子供が2人大学に行ったので狭いマンションの部屋が2つ空いて、生涯初の「自分の仕事部屋」が確保できることになったため、大規模模様替えを敢行するなどで、ヘトヘトになったのである。さらに授業準備。前期は新しく担当になる科目が増える上、去年までやった科目も講義内容の修正や追加がいっぱい。その上に学内のいろんな役割も増えて、大学の仕事は去年の1.5倍ぐらいになるかな、という感触がある。どうすりゃ、これ。やるしかないけど。昔、「やるっきゃない」とか言って「それはやったらいかんだろう」ということばかりやってた人がいたが、人にものを教えるという仕事をしている私は、ああならないように人一倍気をつけて、やるしかない。

 今日は朝から香川県の広聴広報課へ行って、年度替わりで担当者が何人か代わったとのことでごあいさつ。ついでに今年度の情報発信アドバイザーの更新委嘱を受けた。大したアドバイスもできていないのに、すんませんねえ。県の広報紙に2年にわたって連載した「小さな満足の風景」の終了について、課長たちから「読者から“何で連載終わるんですか?”とか反響が来てます」「連載のおかげでせっかく若い人が広報紙を読んでくれるようになったのに」とか言われたが、申し訳ありません。去年も言った通り、県の広報紙という媒体に、しかも20数ページしかないところに2ページも一人の人間が連載し続けると、必ずどこかから「何で田尾だけにあんなスペースを割くんだ」という声が挙がってくると思うので、オリます。何か書きたい人は県内にたくさんいらっしゃると思いますので。

 10年近く頑張ってきた我が家のテレビが、2週間くらい前からどんどん暗くなってきて、先週は出てくるタレント全員が松崎しげる状態になっていたのだが、週末はついに全員ボビー・オロゴンになってしまった。マスターズの中継を見てたらグリーンはほぼ真っ黒。そこにボールだけが白く、カップが薄く見える状態。おもろいなあ。真っ暗な画面にボールだけが動いてカップに向かっていくんぞ(笑)。というか、おもろないわい! 日曜日、こないだの万馬券のアブク銭でテレビを買いました。取り付けは木曜日とのこと。しばらくテレビは見ん。腹立つ中国のニュースを見なくてすむからまあええか。
2005年4月4日(月)

 朝から大学の放送研究会の学生たちの要請を受けて、2時間半くらいミーティング。放送研究会は現在、毎月最終日曜の夜8時から30分、FM香川で千葉むつみアナのリードで「ぐるりんキャンパス」という番組を放送していて、今年度の番組をどうするかについてアドバイスが欲しいという依頼だったのだが、先月の1回目のミーティングで「放送研究会の活動目的は何だ?」という基本的な質問をしたら、いきなり「そんなことは考えたこともなかった」という返事が返ってきた。そこで、「目的を決めないと戦略(何をするか)が決まらない」という根本的なことからレクチャーをして、さらに「会議の席でみんなで考え始めるというのは時間のムダである。会議までにそれぞれがプランを考えてきて、会議の席では用意してきたプランのプレゼンテーションから議論を始めること」という、効率的なミーティングの原則を提示して、今日の会議となった。会議の内容はともかく、こういう基本的なことを教える人がいないらしい。みんな、目からウロコがよっけ落ちてたようです。ウロコが落ちるということは、十分向上心があるということだ。ちょっと頑張って指導してやるかなあ。

 続いて今日は学科協議会、文化学会と、いろんな提案も含めてなかなか充実したスケジュールでした。でも、提案したらそれが全部、自分がやることになっていくのね(笑)。何か今日一日でよっけ仕事を抱え込んだ。でもこれが本業だから、頑張って取り組んで行くしかない。まだ隠居するつもりはないし、自分のことだけやってればいい、みたいな生き方はイヤだし。
2005年4月2日(土)

 20数年ぶりに母校の関学に行って、入学式を見てきた。昨日は四国学院大学の入学式だから、入学式の2連戦だ(笑)。関学は何か、いろんな建物が増えていました。ま、20年も経ったら変わっとるわな。

 入学式会場の体育館に入ると、パイプイスがずらーっと並べられていて、まるでスター・ウォーズのドロイド軍団の出撃前みたいな様相。すごい数だと思ったら、学生2200人以上、父兄の席もたぶん1500ぐらいあるから、4000席近くのパイプイスが並んでいたらしい。しかも聞いたら今日の入学式は午前の部と午後の部があるらしく、合計で新入生は4500人くらいいるらしい。

 入学式のプログラムは、四国学院大学と同じミッション系の大学なのでほぼ同じような進行で、賛美歌斉唱や聖書朗読があって、学長が式辞を述べて、校歌斉唱して、アトラクションにチアリーディングや応援団の演舞、関学名物のグリークラブの合唱なんかがあって滞りなく終了した。学長の式辞はちゃんと自分の言葉で立派に話されていたが(何を私がえらそうに)まあ無難でよくある内容の式辞。内容は四国学院の学長の式辞の方が圧倒的にインパクトがあったなあ。ちなみに私の横の席にいたおばさんがどうも関学の卒業生らしく、しかも母校に思い入れがあるようで、校歌斉唱の時、みんながパンフレットの歌詞を見ながら小さい声で歌っているのに私の周囲で一人だけ歌詞も見ずに正面を向いて、まるでアマチュアのオペラ歌手みたいな裏声で声を張り上げて歌い始めた。まいったなあ(笑)。しかも最後の「上ヶ原ふ〜る〜え〜」の歌い終わりのところで、周りが発声終わってるのにビブラートを効かせてちょっと引っぱられた日にゃ(笑)。

でですね、10時前に入学式が終わって、退場するのになんせ3000人以上いるもんだから30分以上かかって、それから何か袋に入ったお土産もらって、まあちょっと学内の探索をして、で、学生時代と同じように15分ぐらい歩いて甲東園の駅に帰ったわけです。そしたら、あーら不思議、一つ隣の駅が「仁川」じゃあーりませんか。

ごん「おっさんおっさん! あんた最初から阪神競馬場が目的やったんやないですか!」
田尾「失礼な! 私は同じミッション系の大学に勤める者として向学のために忙しい合間を縫ってあえて京阪神の雄である関学の……」
ごん「はいはい」

 そしたらですね、仁川の駅を下りたら何かきれいな広い地下道ができていて、これは何か新しい、高松にはないような商業施設か何かがこの先にあるのではないか? とするとかつて情報誌に携わっていた人間としては、情報収集に行かないわけにはいかんだろう、ということでどんどん進んでいったら、あれー? 阪神競馬場に着いちゃったぞー(もうええっちゅうに)。4年ぶりの競馬場です。何か、久しぶりに生のパドックを見ていたらどうも感じがつかめなくて、せっかく競馬場に行ったのに途中でモニターのパドック中継を見たりして、わけのわからないまま、中山開催のレースも含めてあっという間に8連敗。とりあえず牛乳屋さんに電話して「8連敗中でーす。あと最終レースしかありませーん」と報告して、最終レースを3点だけ買うたら、万馬券をヒットしちゃいました。

 で、帰りに気が大きくなってどーんと、のぞみのグリーン席で帰ったわけです。グリーン席、ガラガラで私の乗った車両には私を入れて3人しか乗ってない。そしたら新大阪を出て新神戸で、おとなしそうな初老のおっちゃんが乗ってきて私の前の席に座りました。のぞみはそのまま姫路を過ぎ、岡山に近づいてきた頃、足を伸ばして「逆説の日本史」を読んでいた私は、足を組み替えようとして前の座席の背を蹴ってしまったわけです。「あ、すいません」と言ったのですが、聞こえてるかどうかわからないまま、のぞみは岡山に到着しました。私が立ち上がったらその初老のおっちゃんも立ち上がったので「あ、ちょっと席蹴ってしまいました、すんません」と言ったら、おっちゃんは「あ」とか言って、私ら2人はそのままドアの前でおっちゃん、私の順で立ってドアが開くのを待っていました。しばらくしてドアが開いた瞬間、目の前のホームに、明らかにそれらしい方々がこっちを向いて並んでいるではないか! 「うわ! 何事や!」と思った瞬間、それらしい人たちが私の前のおっちゃんに向かってグッと腰を落として、
「お帰りなさいませ!」
ひええーーっ!

2005年4月1日(金)
 書いているのは4月1日12:30だけど、話は3月30日(水)15:00頃から続くのである。ま、下の続きですけど。

 そういうわけで作業開始2時間くらいですべての原稿の校正と修正が終わって、モノクロページのファイリングとカラーページの出力が始まったのである。ところが、出力チェック担当の和田から奇声が上がった。
和田「あー! 笹木さんダメです! 10枚目くらいで色がダメになります!」
 カラーページは16ページを30セット。計480枚の出力をするのだが、何と、プリンターが10枚目くらいで色落ちするというアクシデントに見舞われたのである。
真鍋「カラーのトナーが切れたんですかね」
 あわてて学科内で一番パソコンに詳しい辻田先生を呼びだして救援依頼。さらに真鍋が業者に電話をして状況を説明したら、何とそれはトナーのせいではなくてプリンター自体の問題ではないかという回答が返ってきた。しかしそんなに古いプリンターではないのだ。
真鍋「こんな大量の出力、今までしたことないですからね」
笹木「ようけ出力するという指示を出したから、プリンターが戸惑いよんですかね」
和田「こいつ、きっとびっくりしとんですよ」
田尾「“480枚出力”いうて指示出したら、プリンター、メガネ外して目ぇこすって“なな、なんですと!”とか。

 そういえばタウン誌時代にも似たことがあったな。
田尾「D々くん」
D々「できません」
田尾「まだ言うてないやんか!」
みたいな。
田尾「S伯ー」
S伯「あ、無理です」
田尾「まだ言うてないやんか!」
みたいな。

 なんかほんまに長編になりそうなので端折るが、結局それから3時間近く苦闘を強いられて、最後に出した結論が「とりあえずプリンターのご機嫌を窺いながら、5枚ずつぐらい出力をしていく」という、何とも情緒的な手段を選ばざるを得なくなった。日本人はやっぱり最後には「和」の精神に戻るのだ。

 さて、そうすると今度は時間が問題になってきた。カラーページは出力の後、トンボで切って2枚ずつ裏表に貼り合わせて、B4二つ折り状態のものを240枚作るという途方もない作業が待っている。しかも単純な連続作業用に調達していたお笑い女子学生軍団は、待ちくたびれて夕方になったので帰ってしまったのである。真鍋も他の学生も、17:30には全員帰ってしまった。もはや我々に残された手段は、誰かタダ働きの兵隊を調達することだけになった。
和田「いやいや、“自分らだけで頑張る”いう手段があるじゃないですか!」
田尾「そんな手段は前例がない」

 さすがにごんに「高松から出てこい」とは言えん。言えるけど。私は比較的大学に近い所にいるであろう者を探して電話することにした。この栄誉ある作業員に選ばれたのは、讃岐うどん周辺界の将来を担って立つ若きイヌの、彼であった。
田尾「あ、H谷川君。今どこで何しよん?」
H谷「いや、今家に帰ってきて、メシ食おうかな思いよんですけど」
田尾「それはまさに“今から行きます”いうんと同義やな。実は俺ら今、かくかくしかじかで腕がカクカクなんやけど、来てくれ」
H谷「はあ、わかりました。ほなメシ食うてから行きますわ」
田尾「頼むぞ。ちなみに俺らはメシも食わんとやっりょんやけどな」
H谷「脅迫ですか!」(以下次号)

 あかん、ほんまに長編になる。もう端折って終わる。H谷川君が来るまで、私と笹木と和田の3人は必死で作業を始めていた。19:00頃になって笹木と和田が「サッカー見る」言うのでテレビをつけたら、あからさまに笹木と和田の作業能力が落ちたが、20:00を過ぎた頃、H谷川君がさらに助っ人をもう一人調達して登場した。連行されてきたのは、清水屋の大将(笑)。
田尾「大将すんませんねー! 明日、仕込みは何時頃からですか?」
清水「6時くらいかな」
田尾「すんませんねー、ほな5時半ぐらいまではいけますね」
H谷「あっはっは!」
清水「いや、店近いから6時までいけますよ(笑)」
H谷「あと、例のお笑いのS川君にも声をかけたんですけどね、“サッカーがあるから行かん”って一言ですわ」
田尾「そうかー、S川君、サッカーファンなんか」
H谷「みたいですねー」
田尾「そうかー。俺の依頼よりサッカーファンなんか」
H谷「脅迫ですか!(笑)」

 結局、2人の戦力投入が効いて何と23:00頃、作業は終了しました。

 翌31日、私は朝、県の広聴広報課に報告書を届けて、後頭部まで燃えている原稿に取りかかって、夜中までかかって構想がまとまらず、今日4月1日、朝から大学の入学式に出て、式終了後何とか原稿を上げて、こいつを書いているわけです。入学式の感想。明らかに去年、一昨年に比べて、茶色い頭のやつが減っていました。ふー、今から企画書をちょっとやって、テレビに出て、そのまま夜、大阪入りじゃ。
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