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2004年09月の日記
2004年9月29日(水)

 実は今日は朝高松を出て、昼から千葉大学で講座をする予定だったのである。ずいぶん前から講座の打診を受けていて、スケジュールが合わずに1年越しにやっとのことで日程が合って、ところがここのところの原稿、企画物のラッシュでこっちは全然準備ができてなくて、昨日の夜、とうとうアップタウンにパソコンを持ち込んで、夜の10時頃、何とか講座の概要をまとめて、常連席で牛乳屋さんとなおちゃんとねえちゃんがバカ話してたのでちょっと席を替えてそっちへ行って、牛乳屋さんに「明日、千葉に行くんですよ」と言ったら、牛乳屋さんが言ったのである。

牛乳「あんた、明日帰って来れんようになるで」

 台風やがな。また台風やがな。

団長「まだ台風来てないんちゃうん?」
牛乳「明日来るで」
団長「えー! 飛行機飛ばんの?」
牛乳「朝は飛ぶかもしれんけど、帰りは絶対飛ばん。だって台風、高松から羽田に行くで。飛行機と同じコースや」
団長「けどね、例えば朝、台風が九州だったら高松から羽田に行く飛行機は台風の先やから、飛びますわね。ほんで帰りは羽田発最終便やから、その時台風が名古屋あたりにおったら、羽田はまだ来てないから飛行機とりあえず飛んで、名古屋の辺りで台風の上を飛んで、高松に来たらもう台風の後ろで降りられるとか」
牛乳「晩の9時頃、台風、高松の真上や」
団長「絶対降りられませんね」
牛乳「ヘタしたら橋も渡れんから、新幹線でも帰れん」
ねえ「わー、明日、長(私)が帰って来れるかどうか賭けよー!」

 ダメです。30日は朝からやることが山ほど入っているので、絶対29日の晩に帰って来ないかんのです。

牛乳「けどこの台風の進路、おかしいで。コース見た? 普通どんなに曲がってもカーブして来るけど、あっち行っきょったんが直角に曲がって来よるがな。直角や見たことないで」
団長「グアムから台風、僕を追いかけて来よんやろか」

 台風のやつ、ここんとこ籠もって原稿書いてたから私を見失ってたのが、日、月と外で用事があったので見つかってしもて、「あ! あっちにおるやないか!」言うて曲がってきたみたいな進路変更だ。

 とりあえず今朝、早起きして天気予報を見たら、ダメです。来てます。最終便が高松に着く頃、台風は高松です。私は大急ぎで千葉大学に電話を入れ、責任者の方に連絡を取ってもらって事情を説明して、本日の講座は中止となりました。担当の植田先生、ほんまにすみません。ちなみに今ネットで確認したら、羽田発高松行きの最終便とその前の便も欠航になってました。ねえちゃん、賭けがノーゲームになったら親の総取りで、コーヒー1杯タダになるんやったっけ。
2004年9月13日(月)

 しばらく日記も書けんぐらい仕事が襲いかかってきています。タウン情報かがわ創刊以来最大の忙しさを更新するぐらい、原稿や企画や報告書が襲ってきています。今の気持ちを一言で言うなら「こんなになるまで何しよったんや」でありますが、小さな頼まれ事をちょこちょこ受けていたら、大物の書き物が進まないまま、一挙に6つも締切状態になってしまったわけです。

ごん「学習しませんなあ。20年ぐらい前から同じような状態になったの100回ぐらい見ましたよ」
団長「大物原稿や企画書って、パソコンに向かって構想練りながら、頭の中である程度構成ができてから書き始めるんやけど、途中で他の用事が入ったら組み立ててた構想がブチッと切られて、再開する時にまた最初から組み立て直さないかんのや。それで全然進まんまま、今日に至ると」
ごん「その話も100回ぐらい聞きました」

 すんません、しばらく交信が途絶えるかもしれませんが、何とぞご容赦を。
2004年9月8日(水)

 善通寺一高の総合学習とかで、四国学院大学の先生4人が担当して(私と伊藤先生と漆原先生と神野先生。カルチュラル・マネジメント学科の先生ばっかりだ)模擬授業をやる。私は40人くらいの希望者を集めて「アイデア開発論」のダイジェストをやった。冒頭の自己紹介で「笑いの文化人講座の首謀者は私です」と言ったら、高校生がどよめいた。

 「笑いの文化人講座」は1982年のタウン情報かがわ創刊号から21年連載を続けたお笑いの投稿企画で、当時から香川の中高生に圧倒的な人気があったのだが、連載が終わって1年半、さすがにもう過去の遺物だろうと思っていたら、今も中高生の間でウケているらしいのである。文化人講座は単行本になって、こないだ第25巻が出て一応シリーズを終えた。その内容といい、売れ部数といい、ローカルではちょっと過去に例を見ない成功例だと我ながら思う。ローカルの読み物系出版物の金字塔と評する人もいる。

 ちなみに今でこそ「うどんの人」呼ばわりされている私であるが、実は文化人講座全盛時代のインパクトはかなり強かったらしく、当時の読者(たぶん多くは今、30代になっている)に会うといまだに「編集長」と呼ばれることが結構あるのである。この辺りの詳しい経緯や戦略は、今年中に発売予定の「超麺通団2(ほんまに出るんか?)」にも書く予定なのでよろしく。

ごん「あの、ここんところ毎回毎回(ほんまに出るんか?)がついてるんですけど、そんなに不安なんですか?」
団長「(ほんまに出るんか?)までがタイトルやないかい」
2004年9月6日(月)

 某地域の低迷する商店街で1時間半ほど講演をした。終了後、知人たちの集まりに合流して再び商店街や地域の「活性化」なる取り組みについて、1時間半ほど話をした。

 行政が商店街の道幅拡張をするらしい。ポケットパークとかも作るらしい。要するに「町並み整備」みたいなことらしい。これを機に、人を集めて地域を「活性化」したいと。そういう取り組みを、地域の有志で始めようとしているらしい。私はまず「目的は何か」と聞いたら、「人を集めたい」と言った。私は町並みを整備して集まる人が継続的に増えた例をほとんど知らない。ポケットパークを作ったおかげで地域内外から人が集まり始めた例を知らない。

 「人を集めてどうするのか?」と聞いたら「地域の活性化につながる」という。「では活性化とは何か? たとえば精神的な活性化か、あるいは経済的な活性化か?」と聞いたら、「そりゃ経済的に活性化する方がいい」と返ってきた。しかし私は、町並みを整備したおかげで人が集まって、集まった人がそこでお金を落として地域が「経済的に活性化」した (つまり儲かり始めた)という例はもっと知らない。「人が集まったらお金を落としてくれるに違いない」という先入観がかなり根強いと感じたのだが、確かに人がいっぱい集まれば財布や小銭を落とす人は増えるかもしれんが、お金をちゃんと使ってもらおうと思ったら、そこに買いたいものがなければ使ってくれないと思うのが普通でしょう。

 ということは、お金を使ってもらいたいのなら「お金を使いたくなるもの」があること(あるいは用意すること)が最低条件であり、最優先ですよ。公園作るより、街路樹を植えるより、きれいな舗装するより先です。あるいは「緑の街」や「いきいきナントカ」やキャッチフレーズを作るより先です。道路を造って町並みを整備したら人が集まってお金を使ってくれるのなら、山奥や田んぼの中のうどん屋に人が集まることの説明がつきません。

 とりあえずみんな、「自分なら行くか? 自分ならそこでお金を使うか?」とちょっと考えてみるだけで、自分たちのやろうとしていることの成果の予測ができるはずなんですが、企画する側になった途端に「客の立場」に立てなくなるみたいです。長年に渡って表面的な「机上のマーケティング理論や手法」に洗脳されているんではないですかねえ。
2004年9月5日(日)

 東京で放送作家をやっているねっくが2年以上ぶりに高松に帰ってきて、これまた久しぶりの猿人Jことイデちゃんと3人で会う。今まではねっくが帰ってくるたびにネックの強い要望で必ず麻雀になっていたのだが、我々3人ともこの2年は激動のいろんなことがあったので募る話もいっぱいあるし、それなりに大人になったし、ここはひとつ食事と飲み物を楽しみながら会話で時間を過ごそうということになって、食事もできて飲み物も飲めて会話も楽しめる場所を吟味した結果、瓦町の「さかえ」で約3時間を過ごすことになった。

ごん「それ雀荘です! あのね皆さん、このおっさんらひどいんですよ、ほんまに。前日に私、おっさんから“明日ねっくとイデちゃんと集まるからアップタウンに集合ね”って言われたから、家で待機してたんですよ。そしたら集合時間の1時間前に“今から3人で麻雀することになったから、きみ今日来んでええわ”って。どう思います?」
団長「だって俺ら、3人打ちしかせんやん。で、きみを呼んだら、きみ負けるやん。人数余るしきみは負けるし、そんな非情なことはとてもできん。人として、そうやろ?」
ごん「私を呼んでおいて、勝手に先に3人で麻雀すると決めることが、人としておかしい」

 ちなみにこの日、数年前から我々の雑談の中で出ていた「お笑い海外旅行」を来年の夏に決行することが確認された。今のところ参加予定者は今のところ団長夫妻、ごん、ねっく、猿人J夫妻であるが、何人かに声をかけるかもしれん。行き先はこれから検討。
2004年9月4日(土)

 いつまでも台風を連れてくる男ではない。本日は雨も降らずにオープンキャンパス開催。カルチュラル・マネジメント学科の学科紹介を1時間半ほど進行して高松に帰り、ごんを拾ってとって返して観音寺の集会に参加した。実は一昨日、H谷川君が「土曜日の夜、パロットで清水屋の大将やお笑いSIRAKAWA君や上戸さんと集まるんですよ」と聞いたので、「ネタ集めを兼ねて私も行くから、来られそうなやつに声かけといてくれ」と言っていたのである。

 集合したのは、私、ごん、石原D(RSK)、盛の大将、M宅嬢(日清冷凍食品)、清水屋の大将、お笑いSIRAKAWAの大将、嫁さんに3日に3回怒られる上戸うどんの大将、旦那を3日に3回怒る上戸の大将の奥さん(笑)、ガモムス(がもうの息子)、藤原君(あの天ぷらの藤原屋の二代目)というバラエティなメンバーだ。話の途中、私は初対面の藤原君から愕然とする事実を聞かされた。藤原屋の歴史を根ほり葉ほり聞いていた時のこと。

団長「藤原屋って、正式名称は“藤原”なん? “藤原屋”なん?」
藤原「いや、どっちでもなくて、ほんまは最初“藤原商店”やったんですよ。そしたら田尾さんの本見たら“藤原屋”って書いてあったんで、ほなもう“藤原屋”にしよか思って“藤原屋”にしました」
団長「俺のせいかい!」

 おいしいネタが出るたびにSIRAKAWA君が悔しがっていたが(笑)、しかし時々集まってバカ話をしているらしい清水君、白川君、上戸君、藤原君、ガモムスというこのメンバー(この日は欠席していたが白川の山下君も仲間だ)は、よく考えればライバルでもあるうどん屋の若大将と若天ぷら大将。何とも讃岐うどん界には珍しい新しいコミュニケーションの在り方である。私は彼らが非常にさわやかに興味深い。もしかしたら次世代の讃岐うどん界において、ちょっとおもしろい軍団になる素材かもしれない。ということで、とりあえず何かやろうということで、新軍団結成に向けて準備を開始することにしました。気長に待て、続報。
2004年9月3日(金)

 台風の余韻情報。警戒地域みたいなんに指定されて店を閉めていた“西端の防人”こと“郷愁の極太麺”こと“嫁さんに3日に3回怒られる大将(去年までは3日に2回だった。奥さん、これ俺が言うたんちゃうけんな・笑)”こと上戸うどんは、月曜日から再開するそうである。

 さて、明日は去る7月31日に台風で中止になったオープンキャンパスの開催日である。そういや、この時も俺が台風を呼んだのか? そういえば昔から、たき火とかしていても私のいる方へいる方へ煙が来るという経験がしょっちゅうあったな。何やったんやろ、あれ。体温で気流が上昇して煙がこっちに流れてくる……わけないわな。勝谷さんに「嵐を呼ぶ教授」と命名されたが、私の知人には「家庭に嵐を呼ぶ男」がいる。彼の家はしょっちゅう“冬のベーリング海”状態らしい(笑)。

 今週と来週、KSBの「スーパーJチャンネル」は岡山のスタジオから放送ということで、私は2週続けてお休みです。それを利用して、夕方、某広告代理店で新しいプロジェクトの打合せをやってきました。今年中には、ちょっとおもろいものが出ます。
2004年9月2日(木)

 30日の台風の夜、大阪から香川に帰ろうとしていたF社長がわずか4時間の間に2回も酔っぱらいのおっさんに絡まれたという話は、笑いなくしては語れないが書くと長くなるのでどっかでしゃべろう。ちなみにその絡まれた2回目は、新幹線が止まってたので鈍行に乗って岡山に向かってたら、姫路の駅の近くでついに鈍行も運休になって止まってしまい、急ぎの連絡をするためにパソコンでメールしようと思って駅員に電源を借りようと頼んだら駅員室を貸してくれたので机に向かってパソコンを開けて打っていたら、突然知らない酔っぱらいのおっさんが窓からF社長に向かって「こらー! 電車動かさんかこらー!」と絡んできて、「わし駅員違うがな」言うたら「お前、そこに座ってそいなシャツ着てとったら誰でも駅員や思うやろがこらー!」言うて全然引き下がらんで、社長も売り言葉に買い言葉で「わしがどないなシャツ着ようが、わしの趣味やがな」言うたら本格的にもめ始めて、これはしまいにつかみ合いになると思った社長が110番に電話して「酔っぱらいに絡まれよんですが、今は口論ですけどつかみ合いになったらいかんので来てくれますか」言うたらしばらくしておまわりさんが来て、事情を話したらおまわりさんが酔っぱらいを抑えてくれたらしいのだが、酔っぱらいがまたおまわりさんに「こいなシャツ着てその中におったら誰でも駅員や思うやろがー!」言うたら、おまわりさんが社長見て「誰でも駅員や思うで」って言うたらしい。どんなシャツ着とったんや。

 今日の昼は麺通団員H谷川くんと、丸亀の冨永に行く。宮武で修業した若手大将が最近開店した店であるが、一言で言うと「他人の家に土足で上がるみたいな店(笑)」である。詳しくは一本ネタになるので、今年中に発売予定の「超麺通団2(ほんまに出るんか?)」に書く予定なので割愛する。

H谷川「冨永の“冨”は、上に点がない“冨”ですからね」
団長「あれ、何なんやろな、点のある“富”と点のない“冨”の違いって」
H谷川「“うかんむり”と“わかんむり”の違いですね」
団長「“わかんむり”の方が高貴なんかな」
H谷川「何でですか?」
団長「ゴミ(点)がついてないし」
H谷川「あれ、ゴミですか!」
団長「“わかんむり”の漢字見てみい。“冠”や。まさに高貴な偉い人やがな。それに比べて“うかんむり”は“穴”やぞ」
H谷川「ようそんな対照的な漢字出しますわ!」
団長「“寒”やろ? “寝”やろ? 寒い穴で寝る、や。高貴な人はそんなことせんがな」
H谷川「無理やりですがな! けど“わかんむり”は、冗談の“冗”がありますよ」
団長「高貴な人はジョークうまいがな」
H谷川「えーと、写真の“写”」
団長「高貴な人は写真に収まっとるがな」
H谷川「あ、“うかんむり”は“宝”があるじゃないですか!」
団長「なかなか団長にチャレンジャーやないか」
H谷川「あ、いや、すんません。そんな字はありませんでした」

 みたいなどうでもええ話、今年中に発売予定の「超麺通団2(ほんまに出るんか?)」にも書く予定なので、ネタダブっても我慢してください。けどまだ原稿3分の1もできてない。用事が山積みで全然原稿に集中できん。というか、用事の方が本職なんやけど。
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